★ 備忘録 「熱球通信」 ・ 特定非営利活動法人秋田県野球フォーラム ★

「熱球通信」は特定非営利活動法人秋田県野球フォーラム会員有志による備忘録を兼ねた「秋田県野球」にこだわった私的ブログです。掲載している記録等については公式なものではありませんのでご注意願います。リンク等についてはオールフリーですので事前のメール等一切不要です。更新頻度は原則毎日の更新です。秋田県出身で県外に在住の方も念頭に更新していきますが、内容等一部については地元情報と時差が生じる場合があります。練習・親善試合の結果情報は原則掲載しません。また、コメント送信欄と掲示板については諸般の事情により対応していません。積極的な中学硬式野球・女子野球の紹介に努めています。

100回夏選手権

2018.11.28|秋田県民に夢や感動・希望 金足農業高校野球部に県民栄誉章

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11/28秋田県民栄誉章授与式(市文化会館)11/29あきたふるさと市民賞表彰式(市正庁)
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2023令和5年第75回秋季高等学校校野球秋田県大会 金足農 髙橋佑輔コーチ

2018.8.21第100回全国高等学校野球選手権大会 決勝 金足農-大阪桐蔭

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第100回全国高校野球大会第14日目 8月18日(土)第4試合 金足農-近江

ABC朝日放送中邨雄二アナが選ぶベストゲーム
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( 斎藤璃玖スクイズで二塁走者菊地彪吾が三塁走者に続いて一気に生還 )
八戸学院大 菊地彪吾選手 
昭和23年創業 野球用品商社 株式会社イソノ運動具店入社

2018熱球通信期待|秋田 菊池信平(1二ツ井)・ 柴田和希(1大館シニア)

秋田高校 菊池信平選手 首都大学リーグ 日本体育大学進学
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2018 平成30年第105回大会 横浜高校 齊藤大輝二塁手・遠藤圭吾遊撃手

日本農業新聞|平成30年準優勝メンバー 高橋佑輔さん(22)母校農業講師に

金足農野球部コーチ就任   河北新報オンラインで近況紹介
日本農業新聞
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畜産担当農業講師  東京農業大生物産業学部-金足農生物資源科-勝平中-勝平小

さきがけスポーツ|TDK 新戦力 打川和輝選手(22、東日本国際大-金足農)

TDK新加入選手|佐藤亜蓮・米井武瑠・水町辰良・小島康明・谷藤大成・前田一輝
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打川和輝(22、東日本国際大-金足農-泉-八橋)

第100回全国高等学校野球大会 金足農アルプススタンドに選手の弟と妹 大集合

天王中 吉田大輝投手 令和5年4月金足農進学  <チョコパン>さん https://twitter.com/smalto19
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2018 平成30年第100回全国高校野球秋田大会 秋田-由利工( 八橋球場 )

菊池翔選手 福島大硬式 長谷川叶選手 秋田大軟式
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[由利工]佐藤亜蓮  [秋田]菊池翔(1、左、二ツ井)→ 長谷川叶(2、右、雄和)

日刊スポーツ東北版 / 「甲子園」100年物語 輝いた東北の男たち 信太貞一塁手。

Ceremonial_First_Pitch_191513度目の挑戦で成し遂げられた東北勢初優勝。秋田市内の自宅でテレビ観戦した信太聡一さん(88)は「やったよと伝えたい」と、父親への思いを口にした。父の貞(さだか)さんは1915年(大4)の第1回大会に出場した秋田中(現秋田高)の一塁手だった。<2018.6.24> 信太貞選手の孫 信太誠一さん(54)が第100会大会開会式後の始球式で投手を担当。・<決勝延長13回悲劇のサヨナラ / 信太貞一塁手> 1915年(大4)に夏の甲子園の前身である 「第1回全国中等学校優勝野球大会」 が始まってから今年で100年。このコーナーでは 「甲子園100年物語~輝いた東北の男たち~」 と題し、「甲子園」 を舞台に生まれたみちのく球児たちのドラマ、秘話などをお届けしていきます。第1弾は大旗にあと1歩まで近づいた準優勝編。その初回は、延長にもつれこんだ第1回大会決勝でサヨナラ失策をした秋田中・信太貞(しだ・さだか)内野手の物語を、息子の信太聡一さん(81)と孫の誠一さん(51)に語ってもらいます。秋田中は、おやじのエラーで負けた−。息子聡一は、中学2年の時に学校で聞かされるまで、その事実を知らなかった。[聡一] 先生が教えてくれるわけです。こういう試合があって、最後はファーストのエラーで負けたと。席の後ろから 「信太のおやじだ! 」 と声が上がった。帰って家で報告したら、おやじは何も言わなかった。1915年8月23日。東北勢最初の優勝のチャンスは “エラー” で逃げていった。1-1で迎えた延長13回裏、京都二中1死二塁。二塁へ飛んだ小フライを斎藤長治がワンバウンドで処理し、一塁へ投げる。一塁の信太が 「お手玉」 し、その後すぐにホームへ転送するも、二塁走者のホームインには間に合わなかった。この決勝点を許す失策は、一塁手の信太に記録された。信太は、秋田に帰り、校誌 「羽城」 にこう寄稿している。悪戦苦闘十三合、刀折れ矢尽きて我軍万事休して戦の終った瞬間、余は忘れんとして忘れ能はざる光景である。かの燦然たる優勝旗八百円の優勝旗は、彼れ京都二中の手に授けられたのである。吾れらは帰途の電車の内、宿舎に入っても只出づるものは涙のみであった(原文ママ)本来は捕手で、大会直前の練習試合でケガをし、一塁手に転向。それでも守備中に 「さぁ、こい。さぁ、こい」 と球を呼ぶ自信はあった。攻守に活躍したとし、主催の朝日新聞から現在でいうベストナインとして表彰された。亡くなるまで言い訳はしなかった。1948年(昭23)2月22日、貞は自分の野球人生の多くを語らないまま、大腸がんでこの世を去った。その代わり、妻礼(ひろ)が、息子聡一へ、孫の誠一へ、夫から聞いた話を聞かせた。[聡一] おやじから聞いた野球の話はほとんどないの。[誠一] 子どもには話さないけど、多分、祖母には話していたんだよ。私は (礼さんから) 「おじいさんが、(エラー)やったと言われているけど、お前も野球やれ 」と、ずっと言われてきた。聡一は、後に地元紙 「秋田魁新報」 の運動記者として、1960年(昭35)から春夏通じ9度甲子園を取材。誠一は、「じいちゃんの敵を取りたい」 と、秋田高野球部で同期で元プロの石井浩郎らとともに甲子園を目指したが届かず。50歳を過ぎた今も、草野球で外野手としてプレーし続ける。野球と深く関わる2人の元には 「信太貞」 のエピソードが集まっていった。貞の野球への熱い思いは、一生続いた。秋田中を卒業後、青山学院大予科に進学したが、すぐに父成六が病気で入院したため、中退して東京で就職。休みに秋田へ帰省した際には、仲間と作った 「朝日クラブ」 という草野球チームでプレーし、少年野球大会も立ち上げた。その大会は、秋田魁新報に開催権が渡り今でも続く。その後、成六が亡くなると秋田に帰郷した。[聡一] 秋田に帰ると男鹿半島、仏戸(ふっと)の小学校で代用教員をしていた。その頃の教え子に聞いたこともあるけど、野球ばっかり教えていたそうだ。野球愛が高じて自ら 「運動の秋田社」 というスポーツ新聞社を立ちあげ、茨島(ばらじま)球場という今はなきグラウンドの管理人も務めた。甲子園予選の試合中に、熱くなってグラウンドに乱入。試合を中断させ、ヤジを受けたこともあった。妻子とともに球場近くに住む野球漬けの生活。だが、戦争の影が迫る。[聡一] 戦時中に、スポーツ新聞が作れなくなった。うちのおやじは野球以外何もできなかった。召集はされず、国策のパルプ工場で働き、終戦の半年前からは、プロペラを作る軍需工場に単身赴任した。もともと料理が出来ないため、そこで胃腸を崩し、終戦から2年半後、51歳でこの世を去った。秋田中・信太貞一塁手は、最後に失策した選手として記録に残る。ただ、こんな説もある。二塁手の斎藤は大会前に連れてきた急造の選手。ワンバウンドで捕った後、あわてて一塁へ投げたその送球が悪かった、と。[聡一] セカンドが悪いと言ってくれる人もいる。そうかもしれないが、そちらにも家族がいるんだからと思ってしまう。誰が悪い、ということは反対です。[誠一]だからうちが、エラーして負けました、と。それをずっとリベンジしようと思っているんだよ。今年12月19、20日には、100周年を記念し、甲子園球場で第1回出場10校のOB戦が行われる。誠一は、秋田高OBとしてメンバー入りを熱望する。秋田中が優勝を逃したあの日から100年。東北勢の優勝はまだない(敬称略)【高場泉穂】。◆第1回大会と秋田中 1914年、朝日新聞が全国中等学校優勝野球大会(現全国高校野球選手権大会)の開催を決定。全国各地区から10校が参加し、翌15年8月18日から23日にかけ、大阪・豊中球場で行われた。秋田中は県内の秋田農(現大曲農)、横手中(現横手高)と3校で臨時の東北大会を開催。2校に勝ち東北代表として参加した。

平成30年 第100回全国高校野球 金足農 佐々木大夢主将(171/73、河辺)

日本体育大学 佐々木大夢選手(3、金足農)2022年度グラウンドマネージャー
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第100回全国高校野球大会第14日目 8月18日(土)第4試合 金足農-近江

9回裏無死一塁 ベンチサイドの斎藤璃玖選手 スクイズ成功の予感
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2019年8月12日除幕式 / 全国高校野球 金足農業高校全国準優勝 記念碑完成

- 幅約3m、高さ約2.5m、奥行き約70cm、御影石 -
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県立金足農野球部 佐々木大地 投手(平成25年7月30日急性白血病により他界)

- 平成30年8月24日 秋田魁  佐々木聖友選手(1、金足農-南外)-
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平成30年6月29日 県立金足農業高校 創立90周年記念招待試合 (八橋球場)

5回 被安打1 8奪三振 1失点 最速147km
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1989 平成元年 秋季東北地区高等学校野球大会 決勝 金足農-東北(岩手県営)

中泉一豊選手 2018平成30年100回大会 金足農監督として甲子園準優勝
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第100回全国高等学校野球大会出場 金足農業高校 佐々木大夢主将 (河辺中)。

hiromu日本体育大学 佐々木大夢選手(3、金足農)学生コーチ。<2019.3.07、日刊スポーツ>  昨夏の甲子園で準優勝した金足農高で主将を務めた佐々木大夢外野手 (3年) が3月6日、「トップアスリートAO入試」 で首都大学野球リーグ1部の日体大に合格した。佐々木は決勝までの全6試合に 「2番・左翼」 でフル出場。1年冬にバセドー病を発症した経験などから、競技を引退する意向を示していたが、「日本一へあと1つ勝てなかった悔しさがある。大学では高校でなれなかった日本一になりたい」 と翻意した。【2018.8.08】夏の甲子園第4日の8月8日、金足農の佐々木大夢主将は、野球ができる喜びをかみ締めながら、初戦に臨んだ。昨年2月、甲状腺の疾患の一つバセドー病と診断され、半年ほど運動ができない状態が続いたからだ。「ここまで回復し、野球ができるなんて想像もしなかった」。この日も全力でグラウンドを駆けた。「走ってはいけないよ」。医師から告げられ、「もう野球ができないのか」 と初めて聞く病名にショックを受けた。野球部の遠征にも行けず自室にこもる日々が続いた。高校1年の夏ごろから急激に体力が落ち、練習についていけなくなった。階段を上るだけで息切れがし、異常に疲れた。すぐに水分が欲しくなり、夜はトイレに何度も起きた。熟睡はできなかった。食欲も落ち、70キロあった体重は60キロまで落ちた。昨冬、コーチが異変に気付き、病院に行くよう促された。両親を通じ、中泉一豊監督やコーチ陣に 「野球部をやめたい」 と伝えると、菅原天城コーチらから 「しっかり休んで戻って来てほしい」 という言葉が返ってきた。そう聞いて、チームの役に立ちたいと思い直した。4階の教室に自力で上れず、チームメートがかばんを持ってくれたことも思い出した。マネジャーに転身し、2年の夏の秋田大会では記録員も務めた。服薬を続け、症状は和らいだ。昨秋には選手に復帰し、新チームで主将の大役を任された。「チームで一番声を出すし、非常に気がきく性格だから」。中泉監督は抜てきの理由を語る。だが、高校最後の大会まで1年を切っていた。「人一倍練習しないといけない」 と、オーバーワークになってしまうことも、しばしばあった。そんな時、「焦らなくていいんだよ」 というチームメートや家族の言葉が心の支えになった。甲子園出場を懸けた夏の秋田大会。打率5割3分8厘はチームトップ。チャンスメーカーとして11年ぶりの優勝に大きく貢献した。「支えてくれた人たちのために、全力プレーで感謝の気持ちを伝えたい」。そう誓って、大舞台のグラウンドに飛び出した。【高野裕士】

2018/第100回全国高等学校野球選手権記念秋田大会 決勝戦 明 桜-金足農

優勝 : 金足農業高校 (11年ぶり6回目)

追分駅前 /「秋田県立金足農業高校野球部応援団」と言えばこの方 藤原正三 さん

令和2年6月23日 秋田さきがけ紙(コロナウイルス関連)でも紹介
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第100回全国高校野球選手権大会 / 第13日 8月17日 第2試合 金足農-横浜

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2018平成30年第100回全国高校野球選手権 金足農大友朝陽選手(3、桜)

3-3で8回一死 12球目を左翼スタンドへソロ本塁打 (大会第34号)
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2018平成30年第100回全国高校野球大会 金足農 菊地亮太捕手(3、羽城)

甲子園では秋田大会での打撃不振から本来の攻守の活躍
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秋田さきがけ / 金足農甲子園大会準優勝をたたえる石碑 「欲しい人に譲りたい」 。

homebas3312複数の希望者の中から潟上市天王字追分西在住 佐藤恵佐雄さん(73)に贈られることになり、12月22日に佐藤さん宅駐車場で除幕式。【2019.10.20】秋田市外旭川の資材置き場に、昨年夏の第100回全国高校野球選手権記念大会で準優勝した金足農をたたえる石碑がある。同市将軍野の解体業佐藤清春さん (79) が、同校の活躍に感動し、準優勝直後に制作した。縦2・7メートル、横1・5メートルほどの大きさ。ホームベース型のプレート状の石には、当時のベンチ入りメンバーと監督の名前を刻んだ。「欲しい人がいたら、無償で譲りたい」 と佐藤さん。「金足とか、学校の近くに置ければ一番いいんだけどな」 と話した。【2019.8.14】 昨年の第100回全国高校野球選手権大会で準優勝し、硬式野球部が県民栄誉賞を受賞した県立金足農業高校で、記念碑の除幕式が行われた。スコアボードをかたどった記念碑 (黒御影石製、高さ2・5メートル、幅3メートル) は、同窓会有志の寄付で建立された。日大三を破って決勝進出を決め、校歌を熱唱するチームのカラー写真の陶板 (縦35センチ、横50センチ) と 「準優勝」「雑草軍団」 と刻んだ赤御影石プレートを配している。

秋田さきがけ / 金足農甲子園大会 準優勝をたたえる石碑 「欲しい人に譲りたい」

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