マネジャー
今日は母校のグラウンドで久しぶりに我らが名将とお会いしました⚾
— すがわら さきこ(秋田テレビアナウンサー) (@_saccoly_) June 21, 2025
変わらずお元気🙂↕️ pic.twitter.com/bs0ncE0hOG
・平成24年全国高校野球選手権秋田大会 3回戦 本荘6-7秋田工 2 回戦 本荘10-1新屋 。< 責任教師 > 安保天志 < 監督 > 尾留川徹 <3年生 > 須藤健太( 西目 )三浦雄一郎( 矢島 )須藤憂真( 象潟 )今野拓也( 岩城 )三浦大貴( 本荘東 )○ 三船裕貴( 鳥海 )金野真登( 秋田南 )土田大介( 矢島 )佐々木誠( 本荘東 )佐藤圭介( 金浦 )奥山裕宇( 矢島 )金澤竜磨( 鳥海 )金子大悟( 本荘東 )今村駿平( 西目 )佐藤良輝( 城東 )佐々木俊太( 西目 )菅原咲子 。 < 校訓 > 右文尚武・質實剛健・玲瓏 。
記者は前職の公務員(行政職員)時代にスポーツ文化振興を担当し、スポーツにおいて「する」「みる」「支える」のどれもが欠かせないと業務を通して学んだ。だからこそ、なかなかスポットライトの当たらない「支える」人を報じることが重要だと思っている。20年にアマチュア野球担当となり5年目を迎えた。取材経験から「良いチームには優れたマネジャーあり」と信じている。野球部に所属しながら選手とは異なり「完封勝利」も「本塁打」もないマネジャーたちの活躍を記していく。「主務」。大学スポーツ経験者やファンでなければ、聞き慣れない言葉かもしれない。選手たちをまとめ上げるリーダーが「主将」であり、野球部の運営を担い、部外との窓口も担当するマネジャーたちのトップを「主務」という。高校より自主性を求められる大学野球部では重要度の高い存在。選手だけではなく主務にも1人、1人にドラマがある。東都大学野球リーグの名門・中大。昨秋の新チームから主務となった加賀谷三亜土(さあど)マネジャー(3年)はいつもニコニコ笑顔を絶やさない。だが、彼には壮絶な過去と、大志がある。「チームとしては優勝という目標があるんですけど今まで15年以上1部に残っているので、まずはそこが最低ライン。絶対に死守しないといけない気持ちを主務として持っています。チームにどれだけ貢献できるか。しっかりやっていきたい」秋田県秋田市出身。小2で第一歩を踏みしめた野球道を突き進み、高校は5度の甲子園出場を誇る秋田中央に進学した。主に二塁手として1年秋からベンチ入りし、チームが甲子園出場を果たした2年夏には背番号14で聖地の土を踏みしめた。順風満帆な野球人生は1つのアクシデントで一変した。最上級生となった2年秋の新チーム。秋季大会初戦の前日だった。いつもの練習、いつものシートノック。そしていつもの打球が、イレギュラーバウンドで左目上部に直撃した。すぐに病院に運ばれ「結膜下出血」の診断。ひどく腫れ、視界は真っ暗だった。医師からは「見えなくなるかもしれません」と言われた。2度と視力が戻らない可能性があったが「試合前にやってしまった…」と一番にチームのことを心配した。翌日の初戦、秋田中央ベンチには眼帯をした加賀谷の姿があった。その後は左目の自然治癒を待ったが視力は極端に落ち、しばしば焦点が合わなくなることも。野球選手は目が命。プレーヤーとして「ここまでだな…」という確信があった。その変わり、以前からぼんやりと描いてきた「教員免許を取って高校野球の指導者になりたい」という夢は明確になった。最後の夏は背番号4を手に入れたが、試合に出場することなく高校野球とお別れすることになった。「教師と指導者になるために」。加賀谷は夢の実現へ向け、東都リーグの名門・中大を進学先に選んだ。単身、故郷から遠く離れた東京へ。「僕はずっと秋田にいて秋田しか知らなかった。指導者の接し方次第で選手は大きく変わる。いろいろな人と接して寄り添える考え方を持ちたかった」と焦点はバッチリ合っていた。バットとグラブを置き、チーム全体を俯瞰(ふかん)するマネジャーとして中大野球部に入部した。中大には多くの名選手を育ててきた清水達也監督がいる。牧秀悟(DeNA)、北村恵吾(ヤクルト)ら頼れる主将がいた。西舘勇陽(巨人)ら夢に向かって地道に努力する選手がいた。その一瞬、一瞬が将来指導者になるための財産だった。あっという間に3年間が過ぎ、加賀谷が最上級生となった昨秋には主務の大役を任された。夢を理解している清水監督からは「先生になるのであればしっかり指示を出さなければいけない」とリーダーシップを求められた。加賀谷は「代表する立場になり自分の行動1つで周りが変わる」と責任の重さを痛感した。加賀谷は春季リーグ戦中の5月に母校・秋田中央での教育実習に行くためにチームを離れる予定だ。優勝と降格が紙一重なことから「戦国東都」といわれるリーグ戦中の離脱は痛恨だが仲間を信じるのみ。「高校の(佐藤幸彦)監督からよく言われたんですけど“暗い人間に明るい未来はない”と。やりがいを持って1年を過ごしていきたい」とニコニコ顔で言った。いまでも左目はボヤけることがある。それでも夢はハッキリと見えている。(柳内遼平)◇ 加賀谷三亜土(かがや・さあど)2002年9月2日生まれ、秋田県秋田市出身の21歳。金足西小2年時に金足西野球スポーツ少年団で野球を始める。秋田北中では軟式野球部に所属。秋田中央では二塁手として1年秋からベンチ入り。3年時には副主将を務め、夏は背番号4。中大野球部にはマネジャーとして入部し、3年秋に主務就任。好きな言葉は「凡事徹底」。中大では文学部人文社会学科に所属。
横手城南の女子マネージャーによる内野ノック!!!!! pic.twitter.com/By9dpJHZRq
— しゅうまい⚾️🎽 (@syumaibaseball) July 23, 2023

(2023.7.7 秋田さきがけ)

8/12能代商0-4久留米商(3安打完封敗退)


加茂暁星高校(学校法人加茂暁星学園、新潟県加茂市)で2017年、部活動中に意識不明となり、その後に亡くなった野球部の女子マネージャーの遺族が、学校側に損害賠償を求めていた裁判で、学校側が300万円を支払い、再発防止を誓うことで3月9日に和解が成立。<2017.6.07、新聞報道>加茂暁星高校(私、加茂市)で7月、野球部の練習直後に倒れ、意識不明になっていた2年生の女子マネジャー(16)が、8月5日に入院先の新潟市内の病院で亡くなったことが県警への取材で分かった。死因は低酸素脳症だった。同校によると、女子生徒は7月21日午後5時半すぎ、同校から約3・5キロ離れた野球場での練習に参加。午後7時半ごろに練習を終え、男子部員と一緒に走って学校に戻った直後、玄関前で倒れたという。女子生徒は普段、球場を行き来する際は、用具などを積み込むマイクロバスに乗っていた。この日はけがをした部員がバスに乗るなどしたため、監督が 「マネジャーはマイペースで走って帰るように」 と指示していた。女子生徒が倒れた直後、駆けつけた監督は 「呼吸は弱いけれどある」 と判断し、救急車が来るまでの間、AED(自動体外式除細動器)は使用しなかったという。加茂署は業務上過失致死の疑いも視野に、関係者から事情を聴く方針。
父は能代松陵クラブ 伊藤金弥投手兼任コーチ(右 / 右、能代商-能代二)




現在、野球審判員の資格を取得し活動中。<2019.6.04> 秋田県高校野球四商大会 秋田商-湯沢翔北、秋田商4番宇野樹選手2安打2打点の活躍。<2018.7.20> 秋田商には女子マネジャーがいない。試合チームのマネジャーが務める球場アナウンスは、同校野球部員の宇野樹さん (2年) が担当した。例年は1年生が務めるが、第100回記念大会に向けた大切な試合で、テレビの生中継もある。「失敗は許されない」 と、経験豊富な宇野さんに白羽の矢が立った。昨春の県大会から、「1年生の中で一番うまい」 とアナウンスを担当するようになった。初めは間違えないように一生懸命話すだけだったが、回数を重ねるうちに余裕が出てきた。「他の人と違いをつけたいな、と」。ひそかに 「ライト」 の発音で巻き舌を使っている。「誰にも気付かれていないと思いますけど」 この日は最後まで逆転を信じていたが、かなわなかった。試合終了とともに涙する先輩たち。もらい泣きしそうで、目を背けた。「アナウンスで、敵味方は関係ないので」。立派に役割を果たし、いま強く思う。「来年は試合に出たいです」。
バーチャル高校野球 / 2020秋田県高校野球大会が7月9日、開幕する。選手権大会が中止となり、一時は全県規模の大会の開催も危ぶまれた。そんな異例の状況の中で選手を支え、喜怒哀楽を共にしてきた3年生のマネジャーにとっても、「最後の夏」が始まる。大館鳳鳴のマネジャーの成田理子さん(3年)は「鳳鳴野球部一家」に育った。父と兄は元選手、姉も元マネジャー。幼い頃から休日はいつも、家族で兄の練習試合の応援に行った。「小さいときから野球しか見てこなかったから、ほかのスポーツには魅力を感じない」という、筋金入りの野球好きだ。マネジャーを志すようになったのは、小学2年のとき。鳳鳴が21世紀枠で選抜大会に出場した年だ。1年生だった兄はベンチ入りを逃したものの、成田さん一家も甲子園球場まで応援に行った。戦っているのは、普段兄と一緒に練習している選手たち。「甲子園ってテレビの中だけの世界じゃないんだ」。高校生になったら鳳鳴の選手と一緒に甲子園に行きたい、と思った。念願がかない鳳鳴に入学し、マネジャーになった。授業が終わると、選手より早くグラウンドに着けるよう、誰よりも早く教室を出た。選手たちが飲む麦茶を10リットル近く用意したり、前日の試合のスコアを集計したり、勝利祈願のお守りを作ったり。どの仕事も選手と一緒に甲子園に行くためだと思うと、やりがいを感じた。選手権大会の中止は衝撃だった。発表の翌朝にあった3年生のミーティングでは、誰よりも泣いた。選手たちが「県大会の開催を信じて気持ちを切り替えよう」と話し合う中、ショックから立ち直れなかった。しばらくは家にいても、ぼーっとしたり泣いたりを繰り返す日々が続いた。いまも喪失感が完全にぬぐえたわけではないが、これまで以上に声を出して練習する選手の姿を見ているうち、「落ち込んでばかりじゃいられない」と思えるようになった。安打の記録が増えてきた練習試合のスコアを見ると、チームのレベルアップを実感してうれしくなる。鳳鳴は9日、大館桂桜との初戦を迎える。「甲子園はなくなってしまったけど、県大会で優勝できれば甲子園に行ったのと同じくらいの価値があると思う。優勝してほしいです」(高橋杏璃)









