\ 育成功労賞 表彰式 /
— 日本高等学校野球連盟 (@official_jhbf) August 15, 2025
高校野球の育成と発展に尽くされた指導者を表彰する
「育成功労賞」の表彰式を行いました⚾✨
受賞者のうち、秋田、茨城、福井、奈良、島根、愛媛、福岡、鹿児島の計8人を阪神甲子園球場に招待しました🌈 pic.twitter.com/mnYbNPTqUM
育成功労賞
おめでとうございます👹✨️ pic.twitter.com/yMUdXt6Jee
— としけん@北日本の脊梁 (@toshiken5589) August 15, 2025
高校野球「育成功労賞」に能代の納谷さん 15日、甲子園球場で表彰 https://t.co/JLkYDmIOPc
— yamaben (@2106noshiro) August 13, 2025
バーチャル高校野球 日本高校野球連盟と朝日新聞社は、高校野球の育成と発展に尽くした指導者を表彰する今年度の育成功労賞に、秋田県内から秋田中央などで監督を務めた塚田博さん(65)を選出した。5年に一度、育成や運営に功績があった人が選ばれる都道府県功労者には、金足農業高校長で元県高野連理事長の工藤雅文さん(57)が決まった。第105回全国高校野球選手権記念秋田大会が開幕する7月7日、こまちスタジアム(秋田市)で表彰される。■ 育成功労賞・塚田博さん。塚田さんは、甲子園で金属バットが初めて導入された1974年の第56回大会に、旧秋田市立(現秋田中央)の二塁手で出場した。日本体育大で野球を続け、「今度は監督として後輩を甲子園に連れて行きたい」と教職を志し、9度目の採用試験で合格。角館、旧海洋技術(現男鹿海洋)、秋田中央などで計20年以上、監督を務めた。角館の監督就任1年目の87年。第69回秋田大会で、ノーシードながら準決勝で母校の秋田中央を破り、決勝進出を果たした。「午前に教員採用試験を受け、ユニホームに着替えて午後の決勝に臨んだ」という一戦で秋田経法大付(現明桜)に屈し、甲子園を逃した。分校や専門校、進学校などさまざまな学校を率い、指導法や練習メニューはその都度変えた。だが、一貫して求めたのは、礼儀正しさと感謝の気持ちを持つこと。選手には「野球をとったら何も残らない人間になるな」と語りかけた。野球の指導を離れて15年ほど。現在は秋田北で女子バドミントン部を指導する。受賞に「監督として甲子園出場は果たせなかったが、身に余る光栄」と喜ぶ。「機会があれば、小中学生に野球の基礎を教えてみたい」。野球への情熱は衰えていない。■ 都道府県功労者・工藤雅文さん。工藤さんは秋田中央でプレーし、早稲田大を経て母校などの監督を経験。2016年から3年間、県高野連理事長を務めた。社会人野球の指導者らを招き、県教育委員会とともに県高校野球の強化を進めた。思い出深い大会が二つある。一つは、由利工が21世紀枠で出場した18年春の第90回記念選抜大会だ。由利工では、「地域に愛される工業高校」を目指し、野球部が先頭に立って学校改革に取り組んだ。選考委員会で推薦理由を説明するために与えられた時間は3分半。プレゼンを練りに練り、地域の評価を上げて野球の力も付けたことをストーリー仕立てで紹介した。普段は緊張しないが、「この時ばかりは緊張で震えた」という。もう一つは、同年夏の第100回大会。吉田輝星投手(日本ハム)を擁した金足農が、第1回大会に並ぶ準優勝を果たした。勝ち上がるごとに、チームの宿舎で出迎える人の数が膨らんでいった。工藤さんは主に選手たちの警備などを担当。「力があることは分かっていたが、本当によくやってくれた」と振り返る。今春、高野連副会長に就任し、今夏の105回大会で大会運営の現場に再登板する。「球児が悔いなく野球に専念できるよう、お手伝いしたい」

( 平成4年 能代4-3佐賀東 )
昭和50年8月 第4回東北地区中学軟式野球大会 本荘市立本荘南中学校 優勝。<2020.11.19> 尾留川徹教諭 令和2年度秋田県学校体育功労者(学校体育の発展、振興に貢献、秋田県学校体育研究連合会)。<2016.5.13> 中学時代に野球部のチームメートだった村岡敏英衆院議員は 「 彼(工藤幹夫投手)が故障のときは励まし、逆に私が落選中は慰めてくれた親友だった。国会が終わったら見舞いに行こうと思っていたのに… 」 と死を悼んだ。< 若鷲旗争奪第4回東北中学軟式野球大会 、昭和50年8月12日~、宮城球場、 本荘南中優勝、大曲中準優勝 >[決勝]本荘南1-0大曲(延長10回押し出し、工藤幹夫投手24イニング無失点)[準決勝]本荘南1-0弘前一、大曲1-0佐沼、[1回戦]本荘南3-0仙台一、大曲2-0喜久田。< 本荘南中登録選手 >[投]工藤幹夫(3)[捕]森川透(3)[一]上原隆(3)[二]保科政幸(3)[三]○ 尾留川徹(3)[遊]鈴木昭(3)[左]菊地正和(3)[中]斎藤潤(3)[右]渡部浩孝(3)小園(3)小野晃(3)丸山(3)小野利(3)渡部学(2)斎藤一(3)[部]長谷川達夫[監]沢田宣夫。< 大曲中登録選手 >[投]高橋和彦(3)[捕]○ 斎藤頼太郎(3)[一]藤井吉人(3)[二]古屋司(3)[三]伊藤利彦(3)[遊]小西憲二郎(2)[左]小松功司(3)[中]桑島功(3)[右]高橋和彦(2)小松(2)高橋良(3)渡部(3)児玉(3)加藤(3)[部]加藤尚[監]後藤晃男。

左 / 小野巧選手 右 / 高原宏選手 -高原氏提供-


秋田県選抜チーム 責任教師 / 古谷孝男( 経法大付 ) 監督 / 鈴木 寿( 経法大付 ) コーチ / 塚田 博( 角館 )

<新聞報道> 鎌倉学園硬式野球部100周年記念祝賀会 令和6年1月21日、横浜市中区のホテルで開催。同部は1921年創部。これまで春の選抜大会に2度出場し、夏の神奈川大会決勝に6度進出。長らく監督を務めた武田隆・現副校長が「名門と言われているが、大きな宿題が夏の甲子園出場。何とか頑張って、重い扉を開けて欲しい」とあいさつ。竹内智一監督は「選手一人一人に全力で関わり、頑張ります」と応じた。<2018.7.27> 第100回全国高校野球選手権記念大会南神奈川大会準決勝、鎌倉学園が横浜創学館に5-4で競り勝ち、決勝進出、スタンドは歴代OBで埋まった。ベイスターズなどでプレーした若田部健一さんとともに1987年夏に神奈川4強入りした二塁手の岩田光徳さん (49) は 「今までで一番甲子園に近い代。鎌学の“K”の重みを背負って必ず行ってくれるはず」 と期待を込めた。88年夏の決勝を指揮した元監督の武田隆教頭 (62) は 「30年は長かった。素直にうれしい」 と自らの労苦も重ねて喜んだ。夏初制覇への6度目の挑戦に向け 「優勝と準優勝では天と地の差。自分は地獄を味わった。何としても勝ってほしい」 と思いを託した。【2018.4.26】神奈川新聞 高校野球連載 「鎌倉学園最強世代」。http://www.kanaloco.jp/ 【2011.7.07、朝日新聞神奈川版】日本高野連と朝日新聞社が高校野球の発展に貢献した指導者を表彰する 「育成功労賞」 に県内から鎌倉学園の前監督、武田隆さん(55) が選ばれた。元プロ野球・ダイエーの若田部健一投手らを育てた名監督だ。10日の神奈川大会開会式で表彰される。 早大を卒業した1978年に赴任してから09年10月まで同校一筋で指導した武田さん。受賞に 「名誉なこと。長く指導したのを評価してもらえたのかな」 とはにかんだ。 赴任時、部員はたった15人。古豪はどん底に落ちていた。「まさにゼロからのスタートだった」 青年監督はスパルタ式の練習で選手を鍛えた。「思い返すとめちゃくちゃだったが、選手がよくついてきてくれた」。成果は着実に表れ、2年目は16強、3年目は4強に進出。常に強豪の一角として神奈川の高校野球を盛り上げた。 長い監督生活で、忘れられない試合が二つある。 一つは若田部投手を擁して臨んだ87年夏の準決勝。相手は前年の覇者、横浜商だった。「若田部は制球も球速も抜群だったから、外角の出し入れだけで抑えられた。そこをY校が読み、外角を狙って踏み込んできた」。序盤の6失点を追いつけず敗退。神奈川の厳しさを思い知った。 もう1試合は翌88年夏の決勝。エースの指のマメがつぶれ、法政二に打ち込まれて敗戦した。「初戦からエースを使い続けた僕は、度胸がなかったんだね」。決勝に1度、準決勝に3度導きながら、甲子園出場はついにかなわなかった。「もう一度できるなら、あの2試合をしたいよ」 「言い訳、泣き言、人のせい、この三つは絶対ダメ」と厳しい指導を貫いた。厳しさの中に温かさがあると信じてきた。事実、厳しく接した子ほど、卒業後も訪ねてきてくれた。 その信念が数年前から揺らいできた。「僕のエネルギーがなくなったのか、生徒の気質が変わったのか」。折しも教え子3人が教員として学校に戻ってきた。「引き際だ」 と09年秋の県大会4強進出を花道に監督から退いた。 今は本業の体育教師の傍ら、鎌倉学園中学の野球部を指導する。高校生を鍛え上げた昔と違い、野球を楽しめるよう心がける。「おじいちゃんが孫を教えているようなものだから」。やさしいまなざしでつぶやいた。「この子たちが高校野球で活躍するのが楽しみなんだよ」。(安富崇)
令和2年 秋田市立秋田商業高校創立100周年記念「写真が語る 秋商100年」でも紹介。<2013.12.12> 高山郁夫オリックス投手コーチが弔辞。<2013.12.08> 三浦第三監督から指導を受けた明桜高校3年生20人が弔問。 明桜高校野球部監督三浦第三氏(専修大-秋田商)が2013(平成25年)12月6日午後11時秋田市新屋の自宅で死去、73歳。葬儀は12月11日午前11時から秋田市泉ベルコシティホール秋田。秋田商3年の昭和33年中堅手で甲子園大会出場、徳島商板東英二投手からその試合でチーム唯一の安打を放った。秋田商監督時代の昭和54年夏、55年春夏3季連続で甲子園出場、大館商、大曲農監督歴任。定年退職後、秋田経法大(現ノースアジア大)硬式野球部監督を経て平成23年から明桜監督。平成18年日本高野連育成功労賞受賞。厳しい指導法でも知られ、高山郁夫投手、DeNA育成1位砂田毅樹投手等多数の選手を育てる。
日本高野連は6月7日、野球部の指導・育成に貢献した監督・責任教師を表彰する本年度の「育成功労章」に角館や秋田中央などで監督を務めた塚田博さん(65)ら全国の48人を発表。育成功労賞の対象者は、原則20年以上務めた指導者で、各都道府県高野連の推薦を受けて選出。また、5年に1度選出し表彰する「都道府県功労者」には、県高野連元理事長の工藤雅文さん(57)ら46人。・2000 平成12年第7回 秋田・山形高校野球部監督交流会出場指導者。石川聡(秋田南)、今畠寿樹(能代工)、尾形徳昭(大曲)、小野曜(秋田西)、加藤秀夫(男鹿工)、川村寿紀(能代商)、菊池和仁(鷹巣農林)、工藤明(能代商)、工藤浩孝(金足農)、工藤雅文(五城目)、熊谷隆益(秋田南)、斉藤広樹(横手)、佐藤幸彦(平成)、佐藤良治(金足農)、白根弘也(秋田高専)、嶋崎久美(本荘養護)、菅原晴彦(秋田中央)、杉本宗人(経法大付)、鈴木寿(経法大付)、高田環樹(秋田南)、高橋典雄(横手)、塚田博(秋田中央)、土田一(秋田高専)、土崎諭史(能代)、土濃塚寿史(大館)、中泉一豊(秋田商)、中田稔(金足農)、納谷聡(鷹巣農林)、成田昇(能代)、野中仁史(鷹巣)、袴田智毅(大館工)、和田史穂(能代西)。
大リーグ吉田正尚選手を青山学院大時代指導 小野平さんABSラジオ番組ゲスト出演
2019.2.23(土)能代市 「魚松」 / 発起人中嶋健志昭和60年度主将
第104回大会で勇退が決まっている雄物川・仁賀保・羽後3校連合 尾留川徹監督(62、仁賀保)は初戦の2回戦で教え子の藤盛憲二監督(41)が指揮する本荘に2-9で敗退(画像は秋田魁新報社ツイッターより引用)<朝日新聞バーチャル高校野球> 本荘が最後に夏の甲子園に出場したのは、2008年の第90回記念大会。常連校の天理 (奈良) を最後まで苦しめた06年の大会から2年後のことだ。1回戦の相手は鳴門工 (徳島)。「知り合いから特徴は聞いていた。強いが、粒は小さい印象。チャンスはあるかなと」 2年前は独特の雰囲気の中ですべての力を出せなかった。だが、経験を積んだことで自信がついた。試合は土壇場の九回に本荘が2点を挙げ、3-2と逆転。だがその裏、相手の先頭打者を安打で出してしまう。内野手がマウンドに集まるのを見て、ベンチから三船翔選手を伝令に出した。「ここは犠打で送ってくる。次の打者は本塁打を打っているが、そこで勝負しよう」 ところが、伝令はうまく伝わらなかった。犠打の後、1死二塁で、選手たちは勝負をせずに敬遠を選択。その後、連続適時打を浴びてサヨナラ負けした。甲子園初勝利は、あと一歩でスルリと逃げた。「もう一人走者を出すと逆転につながる。あそこは勝負してほしかった。でも、選手たちが話し合って決めたのなら仕方がないと思った」。試合後、報道陣に 「敬遠は私の指示」 と話して選手をかばった。その年の秋、3年生を送り出す恒例の 「球納会」 が開かれた。その席で三船選手は明かした。「心残りがあります。それは、甲子園で尾留川先生の伝令を伝えられなかったことです」 会場はどよめいた。「おいおい待てよ、そうだったの、と。もう笑い話だけど、勉強になった」 この大会の後から、伝令がチームの強化メニューに入った。伝令を送るタイミングや的確な指示の伝え方を、練習試合で何度も試した。大舞台では、こんなことも試合の流れを左右しかねないことがよくわかったからだ。いま教鞭を執る明徳館高に硬式野球部はない。「選手に伝えられることはまだあると思う。秋田の野球をもっと全国で知ってもらいたい」。チャンスがあれば、またあの舞台に立ちたいと思っている。(山田佳毅)

「胴上げを見た時には感動で鳥肌が立ち、涙が出ました。あの照れ屋の中嶋が、本当にうれしそうで。長生きすると、こういうものが見られるんだなと感慨深かったです」<2020.11.13> オリックス新監督に中嶋聡監督代行(51)、鷹巣農林時代の監督 津谷正俊さん(73)は「まさか自分が関わった選手がプロの監督になるとは夢にも思わなかった。誇りに央思うし、感動した」高校時代にバッテリーを組んだ庄司和哉さんは「代行が取れてより重責を担うことになるが、ぜひ1年を通して務め上げてほしい」。<2018.9.25>花館クラブ石川堅治監督(元大曲農野球部監督)平成30年第40回秋田県500歳野球大会を目前に控えた9月14日急逝。【2011.7.14】日本高野連は、野球部の責任教師や監督として指導、育成に通算20年以上にわたり貢献した 「育成功労賞」 の平成23年度の表彰者49人を発表。秋田県からは元秋田県高野連会長 (平成17年4月から2年間) 津谷正俊氏 (元鷹巣農林監督) が選ばれた。教え子に現日本ハム中嶋聡コーチ兼任捕手。[秋田県高野連表彰監督] 熊谷隆益氏(秋田商校長として甲子園出場、横手高監督時代の教え子に竹林宏NHKスポーツアナウンサー。[秋田県高野連表彰審判員] 加賀光也、塚本康次、菅原一樹、佐藤敏弘の各氏。【2010.7.15】日本高野連は、高校野球の育成と指導に永年従事し顕著な功労があった指導者を表彰する 「育成功労賞」 の受賞者を決定し、秋田県からは佐々信雄氏が受賞。同氏は、横手高から日本体育大学進学 (担当教科保健体育)、長く増田監督を務め (平成2年まで)、平成4年の湯沢を挟んで平成6年から平成15年まで横手工で野球部の指導にあたる。平成8、9年当時、御子息佐々仁監督 (雄物川) との親子監督で度々マスコミで紹介。[秋田県高野連表彰監督] 石川堅治氏は今年大曲農退職。[秋田県高野連表彰審判員] 柴田仁志、松田耕治、佐藤奥之、小田長久喜、伊藤雄二、藤原秀樹、佐藤恒の各氏。【2007.6.15】日本高野連は、「育成功労賞」 48人発表。秋田県からは旧秋田市立 (現秋田中央) を3度の甲子園に導いた塚田丈也氏 (63) が選ばれた。同賞は野球部で20年以上指導し、育成と発展に功績のあった部長や監督を表彰する。【2006.7.13】 高校野球選手の指導に尽くした人に日本高校野球連盟と朝日新聞社が贈る平成18年度の育成功労賞に秋田経法大監督 三浦第三氏(65、大館商、秋田商、大曲農監督)が選ばれた。


日本高校野球連盟と朝日新聞社は、高校野球の育成と発展に尽くした指導者を表彰する「育成功労賞」の受賞者49人を決め、6月26日発表した。野球部長として八戸(青森)を甲子園出場へ導いた中里郁男さん、創部1年余の遊学館(石川)を夏初出場で8強に進出させた監督の山本雅弘さん、川之江、今治西、小松の愛媛県立3校を甲子園へ導いた監督の宇佐美秀文さん、監督として唐津西(佐賀)、佐賀東を率いて甲子園に出場した吉丸信さんらが選ばれた。対象は、野球部(軟式を含む)の監督か部長を原則として20年以上務めた指導者。各都道府県高野連の推薦を受けて選出した(北海道、東京は2人ずつ)。福島、東京、石川、和歌山、広島、高知、佐賀の計8人は来年8月の全国高校野球選手権大会に招待され、阪神甲子園球場で紹介される。受賞者は次のみなさん。◇北海道 船越広幸(61、帯広工)、工藤高司(62、札幌東)▽青森 中里郁男(68、大湊)▽岩手 川村和志(62、宮古工)▽秋田 桜田義信(66、合川)▽山形 氏家光彦(59、山形商)▽宮城 佐藤政信(65、鹿島台商)▽福島 関川博巳(66、福島東)▽茨城 一ノ戸雅弘(60、波崎柳川)▽栃木 実島範朗(61、国学院栃木)▽群馬 大須賀誠一(61、前橋南)▽埼玉 大内洋八州(ひろやす)(58、杉戸)▽山梨 荒井和夫(69、日大明誠)▽千葉 川俣幸一(61、志学館)▽東京 市原勝人(55、二松学舎大付)、渡部静夫(71、調布北)▽神奈川 金沢哲男(62、横浜商大)▽長野 福沢一洋(60、辰野)▽新潟 佐藤康広(62、中条)▽富山 杉森清文(56、砺波)▽石川 山本雅弘(69、遊学館)▽福井 山田栄司(59、勝山)▽静岡 荒浪和彦(58、袋井)▽愛知 竹治玄造(59、愛産大三河)▽岐阜 石榑(いしぐれ)淳(59、県岐阜商)▽三重 田中龍男(67、明野)▽滋賀 井上充也(62、彦根翔西館)▽京都 井口浩己(66、堀川)▽奈良 百合幸二郎(59、高取国際)▽和歌山 中村尚登(65、県和歌山商)▽大阪 和田充司(60、茨木)▽兵庫 神田進(66、津名)▽岡山 中山隆幸(59、岡山工)▽鳥取 北中晃由(45、倉吉西)▽広島 丸小俊一(63、基町)▽島根 唐島一将(60、出雲農林)▽山口 花田祐策(67、宇部高専)▽香川 多田博之(61、高瀬)▽愛媛 宇佐美秀文(62、小松)▽徳島 矢川雅英(54、穴吹)▽高知 橋田行弘(55、高知東工)▽福岡 金城清忠(63、祐誠=旧・久留米工大付)▽佐賀 吉丸信(65、北陵)▽長崎 下野研児(58、創成館)▽熊本 坂本道彦(54、多良木)▽大分 木村秀之(59、中津北)▽宮崎 西浦秋夫(69、日南工)▽鹿児島 森園正治(63、鹿屋)▽沖縄 盛根一美(68、中部商)(かっこ内は年齢と、野球部長または監督として現在もしくは最終在籍の高校)




