殿堂入りリスト 野球殿堂博物館 <2011.7.22> 平成23年野球殿堂入りした中日ドラゴンズ落合博満監督と、南海ホークスの主力投手だった故皆川睦雄氏の表彰式が7月22日、マツダオールスターゲーム第1戦 (ナゴヤドーム) の試合前に行われた。今年全セ監督の落合博満監督のスピーチ 「東日本大震災で多くの人が亡くなりましたが、、今年、東北人2人 (秋田県、山形県) がこの賞をいただいた。東北人でもやれば必ず光が見えてくるんだということを、ちょっとでも感じていただければ。」 ※ 故皆川睦雄投手: 米沢市出身、「最後の30勝投手」 として知られ、18年間で通算221勝。表彰式では真智子夫人に元南海監督野村克也氏から花束が贈られた。<2011.1.15> 平成23年1月14日、野球殿堂入りを決める野球体育博物館の表彰委員会は、史上最多3度の三冠王に輝いた落合博満氏(男鹿市出身)を選出したと発表。
野球殿堂
プロ野球・南海(現ソフトバンク)ホークスの長距離打者で、1988年に40歳で本塁打、打点で2冠に輝いた門田博光さんが死去したことが1月24日、分かった。74歳。<2020.1.18> 現役時代は中日の名二塁手として活躍し 「ミスタードラゴンズ」 と称された中日元監督の高木守道さんが1月17日、急性心不全のため名古屋市内で死去、78歳。葬儀は家族葬で営まれる。2013年限りで中日の監督を退任していた高木さんは、ここまで大きな持病もなく元気に過ごしていた。<2006.1.11> 野球殿堂入りを決める野球体育博物館の競技者、特別両表彰委員会は10日、今年の被表彰者として門田博光 氏、高木守道 氏、山田久志 氏(以上競技者表彰)、豊田泰光 氏、川島広守 氏(以上特別表彰)を選出した。・ 山田久志・・・・ 能代高校から富士鉄釜石 (新日鉄釜石) を経て69年、ドラフト1位で阪急 (オリックス) に入団。2年目に10勝を挙げ、以降17年連続2けた勝利。最多勝、最優秀防御率などタイトルを多数獲得、76年から3年連続で最優秀選手に選ばれた。77年は日本シリーズMVP。下手投げからの速球、シンカーを武器に抜群の制球も誇った。通産284勝166敗43セーブ。02年から2年間、中日で監督も務めた。57歳。能代市出身。
1993年7月20日、広島で投手として活躍した津田恒実さん(旧名・恒美)が、脳腫瘍のために死去、享年32歳。【2017.6.19】1993年に脳腫瘍のため32歳の若さで亡くなった元広島の津田恒美投手の記念館が広島市内に作られることが6月18日、明らかになった。昨年から津田氏の長男大毅さん(28)が設立に向け奔走していた。当初は津田氏の故郷である山口県内に設立予定だったが、関係者らと話を進める中で 「ファンのみなさんが触れる機会が少ない」(大毅さん) と、マツダスタジアム近くに候補地を絞った。19日からFAAVOのクラウドファンディングで賛同者を募り、返礼品として金額に応じて津田氏の現役時代のレプリカユニホームや現在のレプリカユニホーム、そして漫画家による津田氏のイラストを送る。現在も賛同してくれる漫画家を受け付けているという。野球殿堂入りも果たした偉大な投手の記念館は 「来年の命日くらいには」 と18年7月20日を目標にオープンする。【2012.12.15】山口県周南市営野球場の愛称が2012 平成24年 12月14日、「 津田恒実メモリアルスタジアム (略称・津田スタ)」に。同市の県立南陽工高出身で今年1月に野球殿堂入りしたプロ野球広島の津田恒実投手 (故人) の功績をたたえての愛称公募により決定。【2012.01.12】炎のストッパー広島カープ 故津田恒美投手 平成24年野球殿堂入り。【2010.10.18】炎のストッパー広島カープ故津田恒美投手長男津田大毅投手 (東京国際大) がリーグ戦初登板。東京国際大古場竹識監督を慕って九州国際大から転入、故障が続きこの日の最終戦が初マウンド。卒業後は一般企業へ就職 (内定)。【2010.05.05】炎のストッパー広島カープ津田恒美投手。NHKライブラリーNO.46 「もう一度、投げたかった-炎のストッパー津田恒美・最後の闘い-」 (山根義明 、大古滋久 著、1996年11月1日発売)。どんな打者にも快速球で勝負を挑んだ広島カープの津田。その絶頂期に悪性の脳腫瘍に冒されてしまう。不治の病と闘う彼と、それを支える妻の闘病を彼の野球人生と共に綴ったヒューマン・ドキュメント。
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