★ 備忘録 「熱球通信」 ・ 特定非営利活動法人秋田県野球フォーラム ★

「熱球通信」は特定非営利活動法人秋田県野球フォーラム会員有志による備忘録を兼ねた「秋田県野球」にこだわった私的ブログです。掲載している記録等については公式なものではありませんのでご注意願います。リンク等についてはオールフリーですので事前のメール等一切不要です。更新頻度は原則毎日の更新です。秋田県出身で県外に在住の方も念頭に更新していきますが、内容等一部については地元情報と時差が生じる場合があります。練習・親善試合の結果情報は原則掲載しません。また、コメント送信欄と掲示板については諸般の事情により対応していません。積極的な中学硬式野球・女子野球の紹介に努めています。

記憶残る選手

記憶に残る選手 / 不慮の事故死 須田嘉太朗選手(秋田経法大中退-酒田南-象潟)

shuku・1998(平成10年)第64回全県少年野球大会に象潟中(本荘由利2区)2年生で出場。酒田南では2002(平成14年)春センバツ大会に中堅手で出場し3打数2安打(酒田南初出場)。平成18年新規参入社会人野球由利本荘BCの選手選考会で「内定」を得ていた矢先の平成17年10月25日未明、偶然通りかかったにかほ市象潟の国道7号線で発生した事故の後処理に協力している最中の連鎖事故により不慮の事故死。[事故概略] 信号柱倒れ3人死傷。25日午前1時頃、にかほ市象潟町の国道7号で、青森市浪岡の運転手(47)の大型トラックが、垂れ下がっていた信号機柱のケーブルを引っ掛かけて柱が倒れ、近くにいた1人が頭を強く打って死亡したほか、1人が重体、1人が軽傷を負った。にかほ署によると、約25分前に乗用車が柱に衝突する別の事故があり、高さ約7・5メートルのコンクリート製の柱が倒れケーブルが路上に下がっていた。トラックの荷台がケーブルを引っ掛けたため、柱はいったん持ち上がり、再び倒れた。死亡したのは秋田県潟上市の会社員佐藤○○さん(25)、重体は、にかほ市象潟町須田嘉太朗さん(21)、軽傷は同市象潟町狐森の店員田中○○さん(29)。(秋田魁新報11月2日記事)10月25日未明ににかほ市象潟町の国道7号線丁字路交差点でコンクリート製信号柱が倒れ、そばにいた3人が死傷した事故で、意識不明の重体となっていた同市象潟町の農業須田嘉太朗さん(21)は1日、入院先の由利本荘市内の病院で死亡した。死因は頭部の外傷や肺挫傷など。

Timely!WEB / 社長になった「球児」に会いにいく 米沢谷友広(秋田商)

12https://timely-web.jp/article/4118/ 米沢谷さんは名門秋田商業で甲子園に出られているそうですね。何年の時ですか?3年の夏ですね。1年の夏は決勝で金足農に一時は10点リードしていたんですけどそこから大逆転されて、2年秋の東北大会もあと一つ勝てばセンバツだったんですけど東北高校に負けて逃して。最後のチャンスでやっとでしたね。1年の夏はなかなか衝撃的な負け方ですね...スタンドから応援していたのですが、悔しかったですね。前の年に石川雅規さん(現東京ヤクルト)がエースで甲子園でベスト16まで行かれていて、中学の時に「(秋田商業にきたら)5回甲子園に出れる」って声をかけていただいて、僕らも5回甲子園に行くつもりで片道2時間かかる場所にある秋田商業を選んで寮にまで入ってましたから。5回行くつもりだった甲子園がいきなり目前で潰えてしまって...めちゃめちゃ悔しかったですね。5回出るつもりで入学したのに「1回もいけないかも...」という焦りはありました?3年のときは攝津正(元ソフトバンク)と加藤光教(元中日)というプロレベルが2枚いてセンバツでもベスト8まで行ってる秋田経法大附属(現・明桜高校)がライバルでした。なので本当に「甲子園に行けないかも...」とは思いましたね。最後の夏に決勝で勝って甲子園を決めた瞬間のことは覚えていますか?最後の夏はピッチャーの4番手だったんですけど、ベンチから飛び出してマウンドに向かって走ってるうちに大号泣してましたね(笑)。3年生はみんな泣いてましたね。甲子園出場を決めた日から甲子園での試合まで、どんな感じで過ごすのですか?決勝の次の日から2、3日はランニングとかストレッチとかのコンディショニングがメインでしたね。その後は通常のガチ練習でしたね。あとは東北とか北海道のチームがよくやる、長袖を着たりして暑さ対策の練習をしていましたね。真夏なのに冬トレと同じようなウエアを着込んで。毎日「あと○にちで甲子園だ」みたいなワクワクした気持ちで過ごすんですか?そうです、そうです。甲子園での目標は?目標はベスト4でしたね。前年の新チーム結成から秋の東北大会では負けてしまいましたが秋田県内ではずっと無敗でしたから。監督さんもベスト4は狙えるだろうと思ったのだと思います。実際は開会式直後の開幕戦でその年ベスト4まで進む育英高校(兵庫県)に9-2で負けてしまったのですが。相手が地元の高校ということもあり完全なアウェイでしたね。何もできませんでした。浮き足立ちまくりましたね(笑)。甲子園でマウンドに立つ機会は?甲子園では秋田大会よりもベンチ入り人数が2人減らされるのですが、そこで私は外されてしまいました。外されるのを告げられたのはいつですか?大阪入りしてからですね。心の準備みたいなものはあったのですか?ありましたね。ピッチャーの4番手でしたし、当落線上だなって。どのようにして伝えられたんですか?メンバーの名前が呼ばれて背番号が配られて、「名前、呼ばれなかった......」という感じですね。ーなかなかキツいですね......・でもそのあとに監督さんの配慮で、秋田のメディアの皆さんを集めて、ベンチから外れる3年生のピッチャー3人が公式練習で甲子園のマウンドで投げるから取材してあげてくれと言ってくれましたね。それで救われました。それがなかったら絶望しかなかったですね。この3年間なんだったんだって。メンバーから外れてしまったことは親御さんにはどのように報告されたんですか?あまり覚えてないですけど、電話で「ダメだったわ......」みたいなことを話したと思います。親はたぶん泣いてましたね。新チームになってからずっと背番号11番、18番を繰り返していたんですけどベンチには入っていたんですね。県大会や東北大会でもちょこちょこは投げていてそれなりに評価はされていたと思うんですけど。親も自分の息子が当落線上にいるというのは分かっていたとは思います。直前にメンバーから外されてしまってスタンドから素直に仲間を応援できました?できましたね。甲子園に出られたことが夢のようなことでもありましたし、正直もう肩も壊して限界にきていましたので、試合に出られてもベストパフォーマンスは難しいと分かってましたから。逆にベンチに後輩のピッチャーが入っていたんですけどそこを応援する気持ちの方が強かったですね。甲子園から帰ってきてからの地元の反応は?やっぱりキャーキャー言われるものですか?・当時秋田商業は人気あったと思います。田舎なんで野球部のバッグに「秋田商業」って入ってると追いかけられたりとかしましたね。石川さんが活躍されて秋田商業をブランド化してくださっていたのもあったのが大きかったと感じています。高校野球を頑張ったこと、甲子園に出たことでその後の進路で何か影響はありましたか?・大学は神奈川大学なんですけど、秋田商業で言われていたのは、最低でも日商簿記検定2級に合格して部活で全国大会に出れば就職も進学も苦労しないよ、ということでした。僕は当時から少し海外志向があったので、いくつかの指定校推薦の中から国際経営を学べる神奈川大学を選びました。海外志向が強かったのはどういった理由からですか?一番好きな選手である野茂英雄さんの影響ですかね。アメリカで一世風靡していて、その頃から自分も将来はアメリカでー、みたいなことを考えていましたね。野球ではなくビジネスで。大学で野球は続けられなかったんですよね?高3の夏に、今考えれば肩もトレーニングすれば治せたし伸びしろもまだあったと思うんですけど、自分の中では区切りとして考えてしまったんです。大学野球にせよ、社会人野球にせよ、今よりも上のレベルで(競争に)勝ち続けるのは難しいだろうなと思ったんですね。次回へ続きます(取材・構成/永松欣也)。米沢谷友広(秋田商-金沢)神奈川大学を経てスポーツ小売業大手ゼビオ株式会社に入社。経営企画室でスポーツ事業に関わる広報活動やスポンサード、新規事業開発、M&A等の投資関連業務に従事。プロ野球独立リーグやJリーグ、アイスホッケークラブ等の運営にも関わり、スポーツ小売やスポンサーサイドからみたクラブチーム経営に携わる。その間、カリフォルニア大学にてアントレプレナーシップやビジネスインキュベーション、コーポレートファイナンス単位を取得。その後はAmazon Japanにてスポーツ&アウトドア事業部の商品戦略部統括部長などを歴任し、2017年に現在の会社グローバルポーターズ株式会社(https://www.global-porters.com)を起業。トータルベースボールカンパニー構想の実現を目指して野球界の発展に努めている。

名前が「志」で終わる秋田県関係野球指導者・選手(令和2年9月現在、41名)

si安保天志(平成25年由利監督、能代-阿仁一)・石井温志(外、能代、甲子園出場)伊藤広志(外、羽後、昭和50年羽後高校全県大会初出場)伊藤将志(専大北上-横手北)・伊藤元志(内、秋田-男鹿南、甲子園出場)・岩谷剛志(捕、秋田商-土崎)上村大志(内、天王中、2020東京五輪聖火ランナー、祖父も昭和39年東京五輪聖火ランナー)遠藤正志(外、本荘-象潟、八橋球場本塁打)・景山貴志(外、経法大付-八郎潟、甲子園出場)・金子里志(外、秋田市立-天王)・鎌田健志(天王南中監督)・川北篤志(内、経法大付-金浦)・木村大志(外、秋田北鷹-合川)・小玉竹志(投、秋田市立ー男鹿東、金子里志選手と同期)・児玉武志(内、青森大-秋田商-勝平、秋田北シニアコーチ)・小玉正志(外、秋田-五城目一)・児玉将志(内、金足農-五城目一、甲子園出場)・斎藤正志(内、仁賀保-金浦、選手権秋田大会サヨナラ本塁打)・嵯峨一志(内、秋田工-太平、八橋球場本塁打)・佐々木大志(投、金足農-城東、甲子園出場)・佐々木千代志(元大曲工監督、日本高野連育成功労賞受賞)・佐々木雄志(内、秋田商-勝平、甲子園出場)・佐藤高(内、秋田商-太平、甲子園出場)・三戸仁志(外、秋田-八郎潟、甲子園出場)・高松直志(投、能代-山本、甲子園出場)・田村威志(投、西仙北-西仙北東、社会人野球秋田銀行)・遠山比呂志(内、酒田南-岩城、甲子園出場)・中嶋健志(投、能代商-能代一、甲子園出場)・夏井一志(内、秋田商-天王、甲子園出場)・半田貴志(内、経法大付-井川、甲子園出場)・藤田健志(内、能代松陽-能代南、選手県秋田大会準優勝)・藤田大志 (32、消防士長、平成31年1月22日、能代市富町住宅火災で消火活動中に殉職、能代-二ツ井、平成19年採用、勤続12年目、合掌)・藤谷弘志(500歳野球大曲ク、秋田還ク、秋田県初少林寺拳法8段正範士)・藤原英志(内、金足農-秋田北)・船木正志(秋田南中監督)・堀江岳志(能代二中監督)・山岡政志(投、秋田商-下浜、甲子園出場)・山田久志(投、能代-能代二、プロ野球名球会)・山谷勝志(外、秋田-協和、甲子園出場)・米村洋志(内、経法大付-山王)与良大志(内、能代-八郎潟、八郎潟中で第82回全県優勝)。※順不同敬称略、自薦他薦お願いします

ユニークキャラで記録ホルダー / 菅原勝矢投手(巨人-東京農大中退-鷹巣農林)

bc87349b-s<スポーツ紙紹介、一部略> 長い巨人の番記者生活で、この男ほど波瀾万丈の道を歩んだ選手を知らない。菅原勝矢投手、秋田県立鷹巣農林高から東京農大を経て、昭和41年に巨人に入団、現役8年間で33勝8敗、防御率2.98という成績を残している。秋田県大館市の農家に10人兄弟の9番目として生まれた。兄弟で高校へ進学したのは彼ひとりという極貧の環境だったが、「どうしても野球がしたい」 と東京農大へ。ところが、1年目の春のリーグ戦に3勝をあげ、素質を見抜いた巨人の青木宥明スカウトにくどかれると、家計を助けたいと大学をスパッと退学、プロの水に飛び込んだ。ずんぐりむっくりの体形、赤い頬、ズーズー弁、まるで砲丸投げのようなぎこちない投法・・・・。チームメートだけでなく、番記者からも好かれるキャラクターだった。ニックネームは 「ガービー君」 。東北なまりが消えず、「カーブ」 が 「ガービー」 に聞こえるからだった。入団当時は速球だけだったが、カーブ、スライダーと球種を増やすにつれて成績も上昇し、41年に初勝利、42年には11勝4敗という好成績をマークしている。この間、なぜか菅原には珍記録がついて回った。まず、プロ入り初登板だった41年8月21日のサンケイ戦で、初勝利が完封勝ち。神宮球場が初めてなら、ナイターも初体験だった。2勝目となった42年5月15日の阪神戦は、ノーヒットノーラン目前の1安打(1四球)完封という離れ業だった。さらに意外だったのは5年がかりの11連勝。これだけ間隔をあけながらの記録だと、うっかり見過ごされかねないほど、珍しい記録といえる。巨人投手の連勝記録は松田清の19連勝、初登板から無傷の連勝としては41年の堀内恒夫の13連勝だが、いずれも短期間でマークしたもの。菅原のような例はあまりない。理由は簡単。活躍→抜擢→故障→空白→活躍→このサイクルの繰り返し。さまざまな故障に泣かされ、ブランクは長かったが、久々に登板となってもなぜか負け投手だけにはならなかった。ついているのかいないのか? まったく不思議な男だった。その11連勝は43年から始まった。6月30日の大洋戦完封勝ち(後楽園)が華々しい? スタート。ところが2連勝目が9月21日の中日戦(中日)。なんと84日ぶりの白星だった。この間、菅原は原因不明の故障に悩まされていた。背中の筋肉が硬くなり、投げているうちに「背中がつる」(筋肉の収縮現象)のである。「人には説明できないですね。いくら話しても実感してはもらえないでしょう」 と、菅原は童顔を曇らせるだけだった。それでも体調がよくなった秋には、阪神戦(9月28日)、広島戦(10月10日)と連勝を伸ばしてみせる。「もう大丈夫。ローテーションの一角をまかせる」 と、川上監督を喜ばせた44年と45年には勝ち星なしの2軍生活。理由は前回と同じ背中の筋肉がつる奇病だった。大学時代から交際していた美代子さんは44年、結婚したとたんに近所のお地蔵さんに通うのが日課になってしまった。そして46年後半に4連勝すると、47年は開幕からエンジン全開で4月22日の3勝目で、延べ11連勝をマークした次第。もうひとつの珍記録がある。これは42年8月15日の阪神戦(後楽園)だった。8回2死から金田正一投手が負傷降板し、菅原がリリーフ。藤田平を1球で左飛に打ち取った。その裏、巨人は2点を取って逆転。打順が回ってきた菅原には代打が送られ、9回は中村稔が抑えた。これにより38年8月21日の近鉄・ミケンズ、41年8月26日の中日・坂東英二に次いでの 「1球で勝利投手」 に。

秋田市立秋田商業高校投手陣黄金期 三浦清投手(慶応大-日本石油・大昭和製紙)

kiyoi秋田南中1期生。何よりも人材が揃っていた秋田商の同期三平晴樹投手 「3年の時は三浦清投手を擁して優勝間違いなしといわれたチームでした。春の全県選抜で優勝、さらに東北大会でも優勝しましたからね。」、急病で倒れた赤根谷飛雄太郎監督の後任佐川吉十郎監督 「当時のメンバーだったら全国の上位に進出しても何らおかしくはなかった。」 夏の県予選準決勝で秋田に1-2で惜敗し全国大会出場は逃がす。慶応大進学直後に結核で半年間入院、復帰後は主力投手となり、伝説の早慶66連戦にも先発。プロに誘われたが、利き腕の右肘を痛め断念、社会人野球の名門日本石油4年、大昭和製紙で1年プレーして現役を引退。1学年上に嵯峨健四郎投手(東映)、同期に三平晴樹投手(大毎)、1学年下に佐々木吉郎投手(大洋)。

1996 平成8年度 夏甲子園秋田大会 サイクル安打達成 村井聖史選手(金足農)

72e7994d-s<2018.7.14> 鶴岡工5番打者遠藤正裕選手 (3年) サイクル安打達成、初回中前打、3回右中間二塁打、5回右中間三塁打、7回左越え2ラン。2015.7.17】第97回全国野球選手権秋田大会3回戦対大曲(八橋)で西目4番佐藤泰成選手(内・投、3、象潟)が第1打席で場外本塁打、あと二塁打が出ればサイクル安打達成の猛打賞。【2010.5.15】1996(平成8年)7月20日、全国高校野球選手権秋田県大会2回戦対能代商戦(県立球場)で村井聖史選手(3、金足農-飯島)は、6番左翼で先発出場、右前安打、左中間三塁打、右越え二塁打と絶好調。そして迎えた9回表の第6打席でカウント2-3から逆風をついて本塁打を放ち見事サイクル安打達成。嶋崎久美監督も 「簡単にできるものではない。最後に本塁打で決めるとはたいしたものだ」 と褒めていたのが印象的。背番号2桁での登録が比較的多かったが年間通して実質不動のレギュラー選手。<秋田県立金足農業高校先発出場選手> [三]三浦和憲(3、合川)、[二]松橋順(3、飯島)、[中]加賀谷文規(3、秋田東)、[捕]阿部伸吾(3、五城目一)、[一]泉田透(2、男鹿東)、[左]村井聖史(3、左左、飯島)、[右]阿部直(3、天王南)、[投]工藤太一(2、河辺)、[遊]鎌田守(3、男鹿東)、○佐々木将(大内)、佐藤一徳(2、秋田東)、大友則明(2、大内)、津谷武輝(3、鷹巣)、藤原博成(2、天王)、佐藤佑(3、外旭川)、高野大(2、大内)、藤田千尋(3、井川)、加藤力(3、男鹿南)、[責]浅利吉晴、[監督]嶋崎久美、[記]江畑公一(2、男鹿中)。

令和2年3月秋田さきがけ/秋田高PTA会長 長谷川敦さん(46、長男は叶投手)

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2020センバツ秋田県勢の選出なし / 残念シーズンオフ企画 / 高校野球列伝②

735d026c伊藤慶太アナ所属局:東京アナウンス。<2020.1.27>思いつくまま徒然に、脈絡は全くありません、残っているメモ頼りですので正確性に欠けます、敬称略。<金足農> 昭和63年、背番号7ながら2番手として登板していた大越久美 (潟西、176/73)、内野手として俊敏なプレーを見せた富岡善昌 (下浜、174/64)。平成2年、春センバツ出場、船木良明 (秋田東、179/79)は右大型本格派。平成3年、佐藤平 (秋田北、172/66)は俊足巧打。<秋田高> 昭和62年、2年時にセンバツベンチ入りした佐藤秀一 (協和、176/65) は東京育ちで投手に野手にユーテリティだった。昭和63年、珍田靖郎 (秋大付、178/74) は先発マウンドにも立った右本格派。平成元年、春センバツ出場、山内崇章 (雄和、171/61)の内野守備は印象深い、現スポーツ紙記者。現NHKアナウンサーの伊藤慶太 (秋大付、178/67) は右本格派で父は秋田商のエースだった。平成2年、高屋速人 (河辺、178/63) は全県中学にも出場し投手兼野手。平成3年、夏甲子園出場、沢井直豊 (城東、180/76) は大型内野手で他チームならレギュラークラスだったか?<秋田中央> 昭和62年、佐藤淳 (秋大付) は3番手ながら右の好投手。昭和63年、菅沼博明 (大潟、169/63) は小柄ながらキビキビした選手。平成2年、堀川浩之 (秋田東、168/59) は右の技巧派投手で全県中学準優勝。<秋田商> 昭和59年、林泰治 (生保内、173/67) は小柄ながら力強い投球だった。昭和62年、長谷川千秋 (土崎、173/66)はJR東日本東北入りしてから大ブレ-クしてエースとなった。平成元年、近藤勉 (山王、185/78) は大型サウスポー。平成2年、主将の工藤泰宏 (大正寺、174/70)。平成3年、大型捕手として期待された 宇野隆(外旭川、179/83) はパワフルなバッティングが記憶に残る。<経法大付> 昭和62年甲子園出場、控捕手の平林拓郎 (越谷南、170/70、現社会人野球オールフロンティアのオーナー) の安定したリードが目についた。昭和63年、三浦孝仁 (秋大付、182/72) は大型サウスポー。平成元年甲子園ベスト4、沼田満秋 (城東、174/66)、、、。

記憶に残る選手 / 秋田県湯沢雄勝地区 雄勝中・高瀬中の左右2人の柴田大樹投手

201379yuzawaogati22013(平成25年)6月23日 12:58~ 秋田県少年野球大会湯沢雄勝2区決勝、雄勝2-0東成瀬(雄勝球場)、雄勝 柴田大樹投手(3、左左)がノーヒットノーラン達成。内訳 / 四球2、毎回12奪三振、失策1、ボーク1、外野に飛んだ打球はレフトフライ1、ライトフライ1、ライト前ゴロ1。優勝候補同士高瀬と雄勝の直接対決(1回戦)は雄勝が3-2で逆転勝利。<2012.8.11>湯沢雄勝2区の雄勝中と高瀬中、雄勝 柴田大樹選手(2、小野)は、左投、4番、平成23年秋と平成24年夏の全県大会出場、夏全県大会では初戦で将軍野に2-3で逆転負け(先発完投)、高橋航大(2、小野)とは小学校からのバッテリーで平成25年の活躍に期待。高瀬 柴田大樹選手(2、田代仙道)は、右投、元楽天Jr.で、平成24年夏地区予選では羽後中に2-3で敗退(この試合背番号8でリリーフ登板)。

追分駅前 /「秋田県立金足農業高校野球部応援団」と言えばこの方 藤原正三 さん

-若かりし頃の藤原正三さん(ご本人は秋田高校柔道部OB)-
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平成28年6月 / 松蔭大野球部 飯塚海翔投手(秋田修英-太平)交通事故で死亡

kaito<2017.7.07、バーチャル高校野球>高校野球・秋田修英の鈴木蓮君(3年)は中学3年の秋、進学を考えていた修英の試合を見ようと、ジャージー姿で球場へ足を運んだ。試合前、球場の外にある自動販売機の前で突然声をかけられた。「うちに来るの? キャッチボールしようよ」それが2学年上の先輩だった飯塚海翔(かいと)さんとの最初の会話だった。自分より20センチは背が高くて、何だか怖かった。でも、誘ってくれたのがうれしくて、すぐに「はい」と返事をした。ボールを受け、また返す。それが5分間ほど続いた。「投げ方がきれいだなぁ」。褒められたのがうれしかった。多くの部員が寮で暮らす秋田修英。鈴木君も入学式後に寮に行くと、飯塚さんがいた。「不安なことある?」優しく尋ねられ、「朝起きたら、ごはんをならべた方が良いですか」と心配をぶつけた。「そんなに厳しくないからね」。不安が少し和らいだ。ノックでも、フェンスにぶつかりながら捕球する。ガッツあふれるプレーと面倒見の良さで、飯塚さんは後輩たちに慕われていた。夏の大会が終わり、飯塚さんが部を引退した後も、2人で焼き肉を食べに行ったり、プリクラを撮ったりした。きょうだいが妹1人だけの飯塚さんにとって、2人はまるで兄弟であり、親友のようだった。翌年の正月休み。飯塚さんと2人で遊ぶと、鈴木君がいすに掛けていた上着のポケットに気づかないうちに手紙が入っていた。飯塚さんは口にすると照れくさいことを、手紙にして渡すことがあった。「頑張ればちゃんと結果が出るから」鈴木君は走り込みが嫌いで、電話で冬の練習のつらさをこぼしたことがあった。その励ましだった。飯塚さんは卒業後、神奈川県の大学に進んだ。一人暮らしの部屋には鈴木君や部員と撮った写真を飾っていた。鈴木君は、そんな先輩にスランプの時やつらい時はLINEを送り、助言をもらった。「悲しい報告がある。昨日、飯塚が事故で亡くなった」。その年の6月、練習試合が終わったあとのミーティングで、監督が部員に告げた。大学の野球部の練習に行く途中の事故。まだ18歳だった。頭が真っ白になり、すぐにLINEを送った。「飯塚さーん!」「何してますか?」。でも、「既読」はつかなかった。卒業直後にもらった便箋の手紙を何度も読み返した。涙が止まらなかった。「蓮が甲子園でプレーする姿を見るのを楽しみにしてる。たくさん食っておっきくなれ~。海翔より」結びは、笑顔の顔文字が手書きで並んでいた。鈴木君は今も、その便箋を財布に入れて持ち歩いている。2番打者としてチームを支えた昨夏は、準々決勝で惜敗。飯塚さんとの約束を果たせなかった。唯一無二の目標に向け、追い込みの練習に汗を流す。あの日の出会い。感謝の気持ち。書き慣れない手紙を書いたら、2600字にもなった。「かけがえのない存在だった飯塚さん。シャイな一面もありますが、本当に人思いで優しく、元気のある人でした。いつまでも一緒にいたかったのですが、今はもうできません。けど、必ず飯塚さんは見ています。最後まで諦めないで頑張りたいです。飯塚さんのために甲子園!」。<2016.6.20> 飯塚海翔投手(18、左/左、182/78)、明桜から秋田修英転入、今年4月に松蔭大学(神奈川大学野球連盟)入学。投手としての経験が少なく無名もその潜在能力を高く評価する関係者が多かった。「アピールポイント / 元気に練習や試合に取り組みます」。明桜時代1年秋からベンチ入り。葬儀は6月22日(水)13:00~ 秋田市旭南1-2-21秋田ベルコ会館、喪主・父喜弘さん。<2016.6.19> 6月18日午前8時50分ごろ、厚木市酒井の市道交差点で、伊勢原市東成瀬、私立大学1年生の男性(18)の運転するミニバイクと乗用車が衝突、男性は胸を強く打つなどして死亡した。厚木署は、乗用車を運転していた同市山際、トラック運転手(48)を自動車運転処罰法違反(過失傷害)で現行犯逮捕した。

1、2年時だけで完全試合2回 作新学院 江川卓投手 / 大学受験会場が一緒でした

受験会場退出時のマスコミのフラッシュがすごかった記憶
篠塚
和典利夫)氏「 ピッチャーでNO1だと思っている 」

1995 / 平成7年 第77回大会 1回戦 金足農-倉吉東 佐藤慶和 投手( 合川 )

対倉吉東戦全員得点、佐藤慶和選手は現在も現役で活躍

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2001 / 平成13年 金足農 佐々木大志(右、城東)、斎藤翼(右、仁賀保)投手

佐々木大志(180)、斎藤翼(180)、嘉藤功(大正寺)強力投手陣
https://www.youtube.com/watch?v=AhnuVE13PTU
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回顧 / 大曲農 湊谷秀樹投手(182cm、太田)全12球団スカウト 大曲を訪問

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1991平成3年全国高校野球秋田大会1回戦 大曲農 湊谷秀樹投手(2、太田)

斎藤孝一監督(27)も全幅の信頼
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秋田県出身 慶應義塾大学野球部OB選手 / 猿田和三 主将 (内野手、秋田-豊岩)

368110882020令和2年度秋田県職員異動で産業労働部長に猿田和三産業労働部次長(56)。平成30年9月39日TBS系列 「消えた天才」長嶋一茂氏が紹介するのは猿田和三選手 (秋田高校~慶応義塾大学)。・猿田三兄弟としても有名、東京六大学で早稲田大石井浩郎選手と対戦。ボールパーク秋田 で詳しく紹介 ~野球が教えてくれたこと~昭和62年度慶応義塾大学主将、5番三塁手として活躍、大学3年秋首位打者、ベストナイン2回。八橋球場の思い出 「八橋での多くの好投手との対戦が忘れられません」。<昭和56年春秋田高校登録選手> [投]石井浩郎(2、八郎潟)、[捕]鈴木彰(3、秋田北)、[一]伊保谷徹(1、山王)、[二]高橋誠(2、秋田西)、[三]三浦純也(2、秋田西)、[遊]○猿田和三(3、豊岩)、[左]住吉浩鹿(2、秋田西)、[中]稲垣寿(3、秋田西)、[右]菅原謙二(2、羽城)、天野清美(3、秋田東)、石井浩次(3、雄和)、佐々木誠(2、羽城)、立花俊幸(1、城東)、小野武紀(3、土崎)、伊藤元(2、秋田南)、浅野英樹(3、五城目一)、菅原文夫(3、山王)、[責]竹内一朔、[監]大久保正樹、[記]沢田石辰美(3、五城目一)。

秋田県出身 慶應義塾大学野球部OB選手 / 猿田和三 内野手 (主将、秋田-豊岩)

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2012平成24年第7回15U全国KB野球秋季大会決勝 Akita中クラブ

kuy ● 平成24年第7回15U全国KB野球秋季大会 Akita中クラブ登録選手。会田海都(雄勝)、竹内陸(能代南)、黒木匠(本荘南)、檜森京弥(八竜)、村上大成(羽後)、鷲尾洋知(天王南)、石山凌(能代南)、須田忠厚(生保内)、小柳寛人(天王)、真坂陸(出羽)、工藤慶(将軍野)、仙花一輝(将軍野)、古谷耀 (生保内)、福田凌央(東成瀬)、村上駿(本荘東) 。熱球通信調べ、一部選手未確認。 ● 平成23年Kボール秋田県選抜、阿部勇大(象潟)、淡路柊(羽城)、大友翔矢(大内)、鎌田有(羽城)、斎藤大喜(羽後)、桜庭和夫(鷹巣)、相馬諒(鷹巣)、佐藤彰賢(三輪)、佐藤光(稲川)、佐藤公宣(稲川)、鈴木健太(横手南)、高島将都(秋田西)、高橋昴佑(雄物川)、高橋康太(太田)、中川智(土崎)、深田崇史(勝平)、松長拓朗(能代東)、宮原康平(山田)、一部選手未確認。

~昭和63年 / 松尾俊治氏監修 文芸春秋社雑誌Number秋田県ベストナイン

best9number平成29年度創設能代市民栄誉賞(山田久志さん、小野喬さん、加藤廣志さん、野呂田芳成さん)。<Number 昭和63年8月20日号より抜粋>「好投手は多いが、スラッガーがいませんね」竹内一朔元秋田高部長がいう。なるほど拾っていくと、投手はいる、、、、、。古くは秋田商・赤根谷飛雄太郎、角館・五井孝蔵、秋田商から嵯峨健四郎、パーフェクト男の佐々木吉郎、センバツベスト4の今川敬三、小さな大投手山岡政志、高山郁夫ら。現在のプロでは能代の山田久志、金足農・小野和幸、秋田経大付・松本豊、本荘・工藤幹夫ら。それに昭和59年ベスト4へ進んだ金足農・水沢博文。甲子園での健闘では水沢がピカ一。実力派では山田だが、甲子園経験なし。ここは甲子園でも春、夏力投した松本を選びたい。捕手は水沢の女房役で、桑田から先制打を奪うなどよく打った長谷川寿。一塁手は慶応の4番を打ち、リーグ首位打者となった高橋捷郎、二塁手も秋田の本多秀男だ。三塁手は早大の4番を打ち本塁打13本の石井浩郎、ショートは同じく秋田から慶大に進み首位打者となり、全日本学生の主将をつとめた猿田和三か。外野陣は秋田商の主砲、武藤一邦がまずは異論なし。あとは傑出した選手がいないので、秋田県選手の甲子園第1号本塁打を記録した秋田・成田憲明と秋田・小西秀朗を選んだ。ここでどうしても入れておきたい大物が一人。三冠王の秋田工・落合博満だ。秋田-六大学勢で内野陣を形成したから、DHで頑張って貰おう。

第100回全国高校野球大会第14日目 8月18日(土)第4試合 金足農-近江

9回裏無死一塁 ベンチサイドの斎藤璃玖選手 スクイズ成功の予感
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熱球通信 リレートーク / 平成7年高校生編 / 金澤 博和 投手 (経法大付-花輪二)

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2014(平成26年)全国高校野球大会 角館高 相馬和輝(平和)、伊藤健也(太田)。

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記憶に残る試合 / 木村優太投手 (ロッテ-東京ガス-経法大付) 高校最後の夏。

左 / 菅原圭介投手 (3、羽城)、右 / 木村雄太投手 (3、花輪二)
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記憶に残る選手/ 慶應大学 佐藤翔選手 リーグ史上初 1シーズン満塁本塁打2本。

TKY20050529012261d0816d-s【2014.7.03】平成21年7月2日、都市対抗東北2次予選決勝でJR東日本東北が七十七銀行を破り3年ぶり22度目の本戦出場。4番DHで出場した佐藤翔選手は3安打3打点、大会MVP。【2013.2.15】2007(平成19年)5月19日対法政大1回戦で、慶應大 佐藤翔選手 (秋田-御野場) が東京六大学史上初となる1シーズン満塁本塁打2本達成 (リーグ通算最多記録は3本)、右右、190cm94kg、遠投95m、50m6秒1、血液型A。高校時は3年夏に捕手として甲子園出場、大学入学後に外野手転向。両親ともにバレーボール選手で、巨体を生かした長打力が持ち味。リーグ通算11本塁打、ベストナイン2回。【2009.11.08】社会人野球JR東日本東北 佐藤翔選手 (慶応大-秋田-御野場-仁井田)、現役引退報道。右足の故障が原因、残念の一言。大学3年時には、ドラフト候補の 「3翔」 「4翔」 と高い評価。<平成15年夏秋田高校県大会登録選手> 佐藤裕輝 (3、御野場)、佐藤翔 (3、御野場)、渡辺亮 (2、城東)、○佐々木圭太 (3、泉)、伊藤徹平 (3、大正寺)、佐藤拓也 (3、平和)、小野康太 (3、泉)、成田大 (3、二ツ井)、浜田浩二 (3、羽城)、草階卓巳 (2、八郎潟)、山岡樹宗 (1、土崎)、遠藤野歩 (1、井川)、藤原憲惣 (2、角館)、高橋範慈 (3、協和)、加藤研 (2、泉)、齋藤正明 (2、秋田西)、田中祐哉 (3、大潟)、長門将志 (2、峰浜)、谷地田潤 (2、御野場)、江畑知洋 (3、男鹿中)、[責]小林正人、[監]佐藤幸彦、[記]伊藤厚 (3、雄和)。
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