★ 備忘録 「熱球通信」 ・ 特定非営利活動法人秋田県野球フォーラム ★

「熱球通信」は特定非営利活動法人秋田県野球フォーラム会員有志による備忘録を兼ねた「秋田県野球」にこだわった私的ブログです。掲載している記録等については公式なものではありませんのでご注意願います。リンク等についてはオールフリーですので事前のメール等一切不要です。更新頻度は原則毎日の更新です。秋田県出身で県外に在住の方も念頭に更新していきますが、内容等一部については地元情報と時差が生じる場合があります。練習・親善試合の結果情報は原則掲載しません。また、コメント送信欄と掲示板については諸般の事情により対応していません。積極的な中学硬式野球・女子野球の紹介に努めています。

記録残る試合

能代松陽 三浦凌輔投手(2、大館東)令和3年 秋季地区大会 四死球1準完全試合

oda能代松陽 三浦凌輔投手(2、大館東)2021令和3年度秋季高校野球県北地区大会1回戦対秋田北鷹戦で四死球1の準完全試合(9奪三振、四球は8回先頭打者)。<2018.11.3> 第10回秋田県中学校秋季軟式野球大会登録選手。< 大館東 >[投]三浦凌輔(2、長木)、[捕]嶋田壮真(2)、[一]工藤音久(2)、[二]佐々木羚(2)、[三]菅原大雅(2)、[遊]能登谷俊(2)、[左]中村日和吏(2)、[中]○大久保馨都(2)、[右]大川輝(2)、佐々木雄陽(2)、虻川煌雅(2)、久根木遥己(2)、鳴海碧人(2)、佐藤由河(2)、田中真滉(2)、佐藤悠悟(2)、薮田絵人(2)、石倉大翔(1)、佐々木陽馬(1)、高橋昇汰(1)、[監]阿部剛士、[記]戸田和貴(2)。< 八郎潟 >[投]児玉凌海(2)、[捕]児玉昊輝(2)、[一]藤井大直(2)、[二]小玉啓太(2)、[三]信太凌翔(2)、[遊]佐々木陽向(2)、[左]田口琳久(2)、[中]○金子柊斗(2)、[右]村井愛琉(2)、秋本理璃杏(2)、土橋大和(1)、鎌田翔琉(1)、[監]三戸仁志。< 鳥海 >[投]佐藤央芽(2)、[捕]佐藤大成(2)、[一]眞坂晟斗(2)、[二]佐藤飛鷹(2)、[三]○佐藤海士(2)、[遊]今野駿(2)、[左]佐藤魁翔(2)、[中]村上結兜(2)、[右]小沼鷹斗(2)、太田陸斗(2)、太田脩斗(1)、[監]清野太樹。

2021 令和3年度秋季県北地区大会 能代松陽-秋田北鷹(8/27、能代球場)

能代松陽 三浦凌輔投手対秋田北鷹戦でノーノ―達成 自己最速138
ムッシュ亀吉>さん https://twitter.com/monsieur_kame
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AAB秋田朝日放送社員選定 秋田の高校野球ベストゲーム(2000~2020)


AAB秋田朝日放送社員選定 秋田の高校野球ベストゲーム(1980~1999)


記録に残る試合 / 2006平成18年7月17日 本荘-秋田商(グリスタよこて)

gsyokote-2令和3年第103回秋田大会決勝戦 開門から行列。<2006.7.17> 第88回全国高校野球選手権秋田大会3日目の7月17日、秋田商-本荘の2回戦を観戦しようと大勢のファンが詰め掛けた。春センバツ8強秋田商と18年ぶりの優勝を狙う第3シード本荘の大会序盤屈指の好カードということで、午前10時の試合開始前から入場券を求める観客が長蛇の列。午前8時半に由利本荘市の自宅を出たという男性(52、公務員)は球場に到着するとともに行列を目にし、「びっくりした。プロ野球でも考えられないような雰囲気」(新聞報道)。同スタジアムによると、この試合の入場者数は約6,000人。平成14年7月に行われたプロ野球イースタンリーグ・巨人-日本ハムの約5,500人を越え、同スタジアムでは最多の入場者数。試合は、本荘が応援スタンドも含め終始秋田商を圧倒し、球場は異様な雰囲気に。シードでこの試合初戦となる秋田商に必要以上の固さも見られ、本荘先発高橋の変化球(スクリュー)と直球のコンビネーションに惑わされ打線は散発5安打の完封負け(0-2)で3連覇の夢が絶たれた。入場券求めてとにかく並びに並んだ試合、球場内は試合開始前からヒートアップ (特に本荘サイド)。謙太、徹の本荘W鈴木選手がチームを牽引。<秋田商先発>[中]石井和仁(3、八郎潟)、[遊]工藤辰文(3、五城目一)、[一]○ 佐々木弘史(3、八郎潟)、[三]浅野友人(3、五城目一)、[右]小山田聡太(3、男鹿東)、[捕]鳥井将(3、八郎潟)、[左]寺門寛(3、山王)、[二]石田尊(3、仙南)、[投]佐藤洋(3、羽城)、白旗瞬(3、太田)、佐藤裕信(2、出羽)、渡辺裕之(3、勝平)、三浦亮(3、外旭川)、平岡達也(2、神代)、七尾理志(3、桜)、高橋拓己(1、将軍野)、煤賀一志(3、太田)、草彅一成(1、神代)、足利次郎(1、河辺)、吉田公(2、八郎潟)、[責]半田祐介、[監]小野平、[記]伊藤慎平(3、出羽)。<本荘先発>[三]東海林潤(3、本荘北)、[中]菅原勇太(3、本荘北)、[遊]鈴木謙太(3、本荘南)、[捕]○ 鈴木徹(3、本荘南)、[左]佐々木貴晃(3、由利)、[二]三浦健徳(3、仁賀保)、[右]伊藤卓(3、本荘南)、[投]高橋佑輝(3、本荘北)、[一]大平謙太朗(3、矢島)、田口達也(3、本荘北)、吉田大樹(1、出羽)、土田宗(3、矢島)、伊藤昭平(3、大内)、伊藤隆史(3、大内)、佐藤豪(3、東由利)、柴田雄介(3、本荘南)、鈴木友太(3、本荘南)、遠田伸一(3、仁賀保)、小松真文(2、本荘南)、麻生新(2、矢島)、[責]斉藤尚史、[監]尾留川徹、[記]伊豆しほり(3、本荘南)。

高円宮杯第41回全日本学童秋田県大会 準々決勝 矢島-八郎潟(7/3、元木山)

準々決勝 矢島17-16八郎潟(延長10回タイブレーク)
マチョマギョ>さん https://twitter.com/StunfiskMachoke
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記憶に残る試合/ 青山学院大学6年ぶりの日本一に貢献 夏井一志内野手(秋田商)

si2d92cd99平成17年6月13日、全日本大学野球選手権大会決勝 青山学院大(東都大学)-近畿大(関西学生)、9番遊撃手で先発出場(それまで三振、三振、一邪)の夏井一志選手(4、#6、秋田商-天王)は延長10回裏二死二、三塁の場面で右前安打し一塁へヘッドスライディング、同学の4度目の大学日本一に貢献。リーグ戦首位打者が大会直前に故障したことによる代役抜擢出場とはいえ、殊勲の右前打はフラフラとしたものながらまさに魂の込もった一打であった。試合後の夏井選手の談話 「夢だと思った。奇跡って起こるんですね」。同選手は、秋田商入学直後の1年春のリーグ戦から正遊撃手で出場。・青山学院大学武藤元昭学長:今シーズンの野球部は、決して下馬評は高くなか ったのですが、チーム一丸となった見事な戦いぶり だったと思います。全日本大学野球選手権大会の決勝戦で、ケガで 欠場した強打者の円谷(英俊・経済学部3年)君 の代役を務めた夏井(一志・文学部4年)君が放 った渾身のサヨナラ打は、その  “全員野球”  を象徴する感動的な出来事でした。今回は、誰か飛び抜けた選手の力ではなく、“全員 野球” という形で日本一に輝いたということが、大 きな意味を持つように思います。実に青山学院大学らしい勝利です。

秋季秋田県大会初日に県立球場が超満員 平成10年秋田県大会 金足農-秋田商

1998924529b3d0d青山学院大 河原井正雄監督(平成9年当時)「秋田商の1メートル80はある1年生の右投手がいいボールを投げていた」。大会初日から強豪校のつぶし合いとなった1998 平成10年 秋季東北地区高校野球秋田県大会(敗者復活制度なし) 金足農-秋田商 (9/23、14:00~)夏甲子園出場金足農(秋田大会決勝金足農17-16秋田商)対伊藤大悟投手擁する秋田商 (勝者は次戦で経法大付対合川の勝者と対戦) は大会屈指の好カードということに加えて当日の好天も手伝ってか秋田県立球場は人、人、人の山で試合前から異様な雰囲気に。秋田県大会初日にこれだけの観客が詰め掛けたのは記憶になく、試合内容も期待に違わない金足農北嶋投手と秋田商伊藤投手の見ごたえある投手戦となった。試合は金足農が初回の中川大輔選手の先制三塁打で辛勝典型的なスミ1のゲームだった。▲秋田県立金足農登録選手[投]北嶋尚之(2右/右178/70八郎潟)[捕]佐藤光栄(2上新城)[一]小松正樹(2十文字)[二]腰丸亮太(2八竜)[三]中川大輔(2天王南)[遊]高橋東建(2川内)[左]小松宏行(2城東)[中]柴田千諭(2仁賀保)[右]嶋崎大輔(2五城目一)佐川顕仁(2協和)徳原好樹(2羽城)佐々木悠希(2大内)藤原寿人(2河辺)畠山真也(2外旭川)太田貴久(2将軍野)佐々木浩樹(1八竜)中村亨輔(2将軍野)佐藤学(2上新城)中川正志(2秋田北)近藤康弘(2琴丘)[責]浅利吉晴[監]嶋崎久美[コ]中田稔[記]椎川健一。▼秋田市立秋田商登録選手[投]伊藤大悟(2右/右180/73城東)[捕]佐藤正巳(2西仙北東)[一]片桐広勝(2山王)[二]大平達也(1城東)[三]水戸正人(1藤里)[遊]佐々木嘉晃(2河辺)[左]平泉慶人(2五城目一)[中]薄田健(2五里合)[右]田村彰啓(1西仙北東)伊藤豪(1石沢)進藤洋司(1協和)佐藤卓生(2天王)菅原寛仁(1羽城)佐藤雄樹(2五城目一)佐々木連(2秋田南)長谷部幸太(1雄和)佐々木隆太(2泉)浅利正俊(1城東)日下部哲也(1本荘南)工藤乾一(2琴丘)[責]上杉清博[監]小野平[コ]中泉一豊[記]阿部陽一。

1979/ 昭和54年 大館鳳鳴 第27回春季東北地区高校野球秋田県大会 初優勝

9ffb6fa9-s昭和54年5月27日、大館鳳鳴が秋田商との決勝戦に延長13回の接戦の末3-1で勝利して初優勝。大館鳳鳴 / 吉原忠敏-斎藤義浩、秋田商 / 高山郁夫、安保浩幸-佐藤文信。この時期の大館鳳鳴ヘルメットはWASEDAカラーのエンジ色。<大館鳳鳴先発>[中]滝沢竜明(3)、[遊]吉田茂雄(3)、[右]中嶋善茂(3)、[捕]斎藤義浩(3)、[一]○ 大越和人(3)、[三]小林博隆(2)、[左]戸田勝広(2)、[投]吉原忠敏(3)、[二]奥村昌樹(2)、佐藤和明(3)、福士隆郁(3)、松岡倫之(3)、富樫勝浩(3)、佐藤光博(3)、武藤裕喜(2)、桝屋隆二(2)、伊藤英規(2)、[責]松江長成、[監]若松清幸、[記]佐藤智(2)。<秋田商先発>[二]佐藤義己(3)、[三]○ 菅原一夫(3)、[遊]横山幸悦(3)、[中]佐藤康二(2)、[左]畠山哲人(2)、[一]熊谷和秋(2)、[捕]佐藤文信(3)、[投]高山郁夫(2)、[右]千田正人(3)、田口淳(3)、安保浩幸(2)、籾山市男(3)、薄田勝也(2)、後藤直哉(1)、鳴海一元(2)、川尻義信(2)、小山大(3)、[責]登利谷重郎、[監]三浦第三、[記]湊雅彦(3)。

令和3年春季県南地区高校野球大会 決勝 湯沢翔北-角館 高村侑也選手サヨナラ打

<白球の詩>さん https://twitter.com/Capu8a4V1V4KMWF
湯沢翔北 高村侑也選手(3、湯沢南)

平成22年春季秋田市内リーグ戦 / 秋田商 片岡元気投手 対金足農戦無安打無得点

平成22年4月25日 春季高校野球秋田市内リーグ戦 (こまち)
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- 金足農 藤原和幸投手(秋田北)も粘投 -

三沢(青森)との決勝戦で史上初の延長18回引分け再試合 松山商 一色俊作監督

o06400436143510999488月13日の決勝戦 松山商-三沢、甲子園の名勝負と言えば、この試合を挙げる人も多い。元祖アイドル三沢太田投手と松山商エース井上の一歩も譲らない投手戦で延長18回を終えて0対0。<2013.4.25> 一色俊作元松山商高野球部監督、2013 平成25年 4月24日 午前5時、虚血性心不全のため松山市内の自宅で死去、75歳。1990(平成2年)にも愛媛新田高校を率いて春センバツ大会準優勝。<2012.5.28> 甲子園の名勝負再び。1969(昭和44年)夏の甲子園決勝で延長18回の末、引き分け再試合の名勝負を演じた三沢高(青森)と松山商(愛媛)が平成24年6月3日(日)、弘前市営球場で対戦することに。OB同士の試合は過去あったが、現役の対戦は43年ぶり。今回の試合は、1967年夏の甲子園で準々決勝に進んだ東奥義塾が創立140周年記念事業として企画し実現(東奥義塾も松山商と対戦)。 松山商9-3三沢。

令和2年4月23日13時20分逝去 目黒公介選手(金足農-男鹿南、享年34歳)

423平成14年度第24回全国中学校軟式野球大会東北予選会(青森県)の大会運営の迷走ぶりが多くの紙面で取り上げられた。準決勝予定当日、雨天のため大会本部は急遽試合会場を青森市営球場からスポーツランド水沢球場に変更、この間の移動距離 約250km、午後2時頃現地に到着してみると水沢市も土砂降り状態、午後4時前に雨が小降りになると今度は 近くの胆沢町民球場で試合開始と発表。が、またしても雨脚が強くなりようやく大会本部は試合開始を断念して雨天順延を決定 (翌日も雨天順延)。この間に要した時間約8時間。これもそれも全国大会が目前に迫っており、代表校選出のために試合消化を優先させようとしたことによるもので、当然のこながら大会運営に批判が続出 (最終的に準決勝は秋田県のスタジアム大雄と平鹿町営球場、決勝は平鹿町営球場)。肝心の秋田県勢の準決勝は、雄和1-6天童三(山形)、男鹿南1-2河北(宮城)と、共に敗退して全国大会出場はならなかった。<雄和町立雄和中学校登録選手> [投]金卓史(3)、[捕]佐藤瑛彦(3)、[一]池田勇人(3)、[二]池田圭佑(3)、[三]佐藤農(3)、[遊]○ 珍田真樹(3)、[左]伊藤慎一(3)、[中]長谷川恵太(3)、[右]佐藤雄大(3)、佐藤雄太(3)、長谷川公彦(3)、高橋勇人(3)、佐藤一平(3)、佐藤広大(3)、金雄矢(3)、伊藤十夢(3)、鎌田裕輔(3)、菅原達也(3)、小白川宮貴(2)、浅野潤也(2)、[部]國安裕[監]菅原吉伸[記]永澤慶大。<男鹿市立男鹿南中学校登録選手> [投]澤木雄一(3)、[捕]柴崎達徳(3)、[一]菅原佑太(3)、[二]大友晃太(3)、[三]加藤友幸(3)、[遊]○  宮崎翔平(3)、[左]本川慎一(3)、[中]加賀力哉(3)、[右]目黒公介(3)、吉田淳一郎(3)、鎌田慎太郎(3)、秋山克也(3)、目黒雄(3)、近江隆(3)、安藤竜也(2)、中川陽介(2)、加藤翔(2)、山下恭平(2)、安田直紀(2)、石垣亮(2)、[責]木村守人[監]櫻庭豊[コ]畠山正人[記]目黒裕也。

記憶残る試合 /1999 平成11年 全日本少年軟式野球大会 Akita中クラブ

chuugakusenbatu松橋隆普実広島東洋カープブルペン捕手。<2020.2.03>1999(平成11年)に横浜スタジアムで行われた第16回全日本少年軟式野球大会決勝、Akita中ク (秋田県選抜) は鹿島東部中ク (佐賀県) と対戦し、2度の満塁好機を得点に結びつけることができず、2-5で敗れ準優勝。当時の紙面は 「悔しさよりも充実感」 と紹介、大会4連投 菅原健太 投手(羽城 → 金足農)も 「決勝は精神的な疲れが出て、納得のいくピッチングがではなかったが、ここでプレーできたことが一番うれしい。少しは自信がついた」 と語っている。大会初期の頃は、夏県大会予選で敗れた学校が単独チームで出場していたが、その後は Akita中ク (全県少年野球大会に出場できなかったチームから選抜) として大会に出場。<Akita中クラブ / 決勝戦先発> [遊]幸村義仁(3、羽城)、[左]藤原央雅(3、大館一)、[中]堀内誠(3、田代)、[捕]○ 松橋隆普実(3、尾去沢)、[右]熊谷勇兵(3、秋田西)、[一]手塚隼也(3、大曲)、[三]竹村優児(3、大曲)、[二]工藤壮史(3、城東)、[投]菅原健太(3、羽城)。板垣守(3、由利)、成田翔(3、藤里)、篠田陽介(3、本荘北)、佐藤裕太(3、雄物川)、菊地稔(3、能代東)、阿部真也(3、皆瀬)、武田将貴(3、男鹿中)、荒川翔太郎(3、将軍野)、田中泰貴(3、琴丘)、阿部敏充(3、稲川)、遠藤勇樹(3、東由利)、[監]菊地俊博、[コ]松尾弘、小西正人、[マ]渡部鋼喜。

1993(平成5年) 秋季東北高校野球大会 準決勝 東北-秋田経法大付(山形)

bbb89d87能代リトルシニア新監督に米村洋志コーチ就任。<2016.10.08> 小野仁投手とライバル左腕だった西武嶋重宣外野手(37)2013シーズン限りで現役引退。試合時間が4時間を超える4時間15分の大激戦 (山形県野球場)、延長16回二死3塁からの右前安打で経法大付0-1Xのサヨナラ負け。小野、嶋両左腕投手の奪った三振は計45 (小野26、嶋19)。経法大付は嶋投手から7安打(三塁打鈴木、二塁打高橋)6四死球も球速とコンビネーションにもかわされて力負けの感は否めなかったが、もし、この試合に勝利していたら平成2年以来の秋田県勢2校センバツ出場も現実味を帯びていた。<秋田経法大付先発メンバー> [二]米村洋志(1、山王)、[三]佐々木由紀(2、雄和)、[左]鈴木敦則(2、土崎)、[一]田口潤(2、豊成)、[捕]高橋敬史(2、秋田東)、[投]○小野仁(2、泉)、[中]古田岳大(2、馬込)、[遊]佐藤信行(2、潟西)、[右]佐々木貴幸(1、中仙)、藤田主史(2、藤里)、工藤裕次郎(1、秋田東)、斎藤敬悦(2、刈和野)、武藤雅人(1、平和)、袴田悦章(1、能代南)、児玉泰司(2、花輪二)、最上新悟(2、岩岡)、木村博文(2、花輪二)、[部]古谷孝男、[監]鈴木寿、[記]出雲大輔。

平成10年夏秋田大会決勝戦 金足農劇的逆転、17-16で秋田商との死闘制す。

sui2021年の野球殿堂入りが1月14日発表され、特別表彰で1996年アトランタ五輪日本代表監督の川島勝司氏(77)とノンフィクション作家の佐山和夫氏(84)が選出。・佐山和夫著「野球、この美しきもの。アメリカン・ベースボールと秋田野球」(水曜社)でも紹介。平成10年7月26日 第80回全国高校野球秋田大会決勝 金足農-秋田商は、金足農が9回二死から驚異の粘りで5点を奪い、逆転勝ちして甲子園切符を手中に。試合時間3時間28分、金農18安打、秋商21安打、延長ではなく9回のスコアで17-16の両チーム29人出場総力戦。<審判団>主審:堀内、塁審:庄司、佐川、小玉。<ラ本>中川(金)、<三>畠山(金)、菅(秋)、<二>菅原、柴田、吉田(金)、菅、川守田、鎌田、佐々木雄、荻原、佐藤一(秋)、<金足農投手交代>畠山(4 1/3)-田口(0/3)-北嶋(3 2/3)-佐藤佑(1)、<秋田商投手交代>伊藤大悟(2)-信田道輝(2/3)-荻原雄介(6)-佐々木雄志(0/3)-小松一行(1/3)。<金足農業高校先発>[中]柴田千諭(2、仁賀保)、[二]矢嶋賢吾(3、男鹿北)、[捕]○吉田朋広(3、将軍野)、[左]佐藤佑(3、城東)、[右]奥善行(3、男鹿東)、[三]中川大輔(2、天王南)、[一]菅原義人(3、協和)、[投]畠山雄大(3、男鹿中)、[遊]腰丸亮太(2、八竜)、小松宏行(2、城東)、金田一浩(合川)、田口正也(3、河辺)、佐藤光栄(2、上新城)、吉山悟哲(3、大館一)、高橋東建(2、川内)、千田伸(3、八郎潟)、安田善八(3、男鹿北)、北嶋尚之(2、八郎潟)、藤原茂樹(3、角館)、安田一哲(3、山本)、[部]浅利吉晴、[監]嶋崎久美、[記]小林成光(3、天王南)。<秋田商業高校先発>[中]豊嶋雄樹(3、協和)、[二]鎌田信幸(3、城東)、[遊]○佐々木雄志(3、勝平)、[一]田村彰啓(1、西仙北東)、[三]船木直人(3、飯島)、[右]川守田寛(3、土崎)、[左]佐藤一弘(3、八郎潟)、[捕]菅哲哉(3、雄勝)、[投]伊藤大悟(2、城東)、信田道輝(3、西仙北東)、荻原雄介(3、秋田東)、佐藤卓生(2、天王)、佐藤素啓(3、城東)、佐々木偉幸(3、城東)、佐々木嘉晃(2、河辺)、佐々木隆太(2、泉)、薄田健(2、五里合)、小松一行(3、城南)、那須一巳(3、大正寺)、坂本敦(3、勝平)、[部]上杉清博、[監]小野平、[記]佐藤記一(3、土崎)。

記録に残る試合/春センバツ大会に近かった秋田経法大付 平成16年秋季東北大会

matuoka1huzoku2004(平成16年)秋季東北大会(山形県開催)秋田県第3代表秋田経法大付はドラフト候補の松岡純平(184/81、TDK-東北福祉大)と佐藤卓真(186/72、東京ガス)のダブルエースという豪華な投手陣。10月10日の初戦対聖光学院(福島)は、内野ゴロに対する審判団のジャッジの不手際もあり球場内が一時騒然となる場面も。試合は3-1(松岡→佐藤卓)の勝利も10安打で3点と消化不良の試合、秋田県からの来場者もアウェ-感MAXで緊張気味に観戦。続く準々決勝は宮城一迫商に2-0(松岡完封)も、準決勝青森山田に2-5(松岡→佐藤卓)で終戦。初戦こそ10安打放ったが準々決勝6安打、準決勝7安打と本塁が遠かった大会、先発全員2年生で戦力的にも十分翌春センバツを狙える陣容だったが、投打の歯車が噛み合わず非常に悔やまれる大会となった。<秋田経法大付 対聖光学院戦先発> [二]佐藤弘大(2、二ツ井)、[遊]菅原弘尭(2、羽城)、[中]笹川信洋(2、山王)、[一]◎工藤勝秋(2、能代二)、[左]大森亮(2、花岡)、[捕]佐藤昌平(2、大曲)、[投]松岡純平(2、合川)、[三]工藤辰宣(2、大館二)、[右]五十嵐瑛市(2、名取二)、畠山拓也(2、御野場)、佐藤卓真(2、西仙北東)、餅祐介(2、多賀城二)、関口諒太(2、協和)、菊地正毅(2、羽城)、早坂政俊(1、根白石)、鎌田翔(2、高崎)、藤原達也(2、雄物川)、寺田克(2)、高山博充(1、横手南)、児玉隆也(1、平和)、[責]近江恒史、[監]田中亮、[記]佐藤祐亮(2、土崎)。

記録残る試合 / 昭和50年県大会初出場「羽後」延長14回押し出し四球サヨナラ

14昭和50年5月23日 第23回春季秋田県高校野球大会1回戦で、初出場羽後(県南地区)が秋田経大付(中央地区)に延長14回押し出し四球サヨナラの1-0で勝利(秋田市営八橋球場)。9回まで羽後打線を無安打2四球に抑えていた経大付主戦175cm目黒実鶴が延長14回についに力尽きた。羽後は、延長14回無死から伊藤広志の左前打を足がかりに内野安打、四球で二死満塁の絶好のサヨナラ機。続く5番佐藤周一はフルカウントからファールで粘り、根負けした目黒から押し出しの四球を選び3時間53分の試合に終止符。経大付は8安打を放ち、再三走者を出したが拙攻でチャンスつぶす。羽後今野郁雄粘投。<羽後先発選手> [二]越前克巳(3、羽後)、[三]長谷山浩士(3、羽後)、[捕]高橋茂男(3、仙道)、[投]今野郁雄(3、仙道)、[中]佐藤周一(3、羽後)、[右]菅政光(2、雄勝)、[遊]佐藤良一(3、三輪)、[一]真田孝雄(2、羽後)、[左]伊藤広志(3、田代)、斎藤忠夫(3、羽後)、三浦利昭(2、三輪)、鈴木正悦(2、羽後)、真田稔(1、三輪)、薄井桂哉(1、田代)、中川一志(1、三輪)、伊藤孝一(1、三輪)、佐藤広之(1、羽後)、[責]高垣一英、[監]山形良悦、[記]井上邦雄。<秋田経大付先発選手> [二]清水悟(2、上小阿仁)、[遊]神田清武(2、秋田南)、[中]加藤正彦(2、大正寺)、[一]相沢伸春(2、土崎)、[左]神田正人(2、大正寺)、[投]目黒実鶴(2、男鹿中)、[三]泉浩(3、雄物川)、[捕]池田誠(3、豊岩)、[右]伊勢谷国彦(3、道川)、○ 出頭淳一(3、秋田南)、桜田仁志(2、太平)、鎌田鋼悦(2、琴丘)、中野智(3、高清水)、工藤勝弘(3、羽城)、鈴木達哉(3、山王)、折野司(2、下浜)、鹿野覚(1、船川)、[責]笹川希哉、[監]伊藤護朗、[記]高橋忠則。

2008 / 平成20年第90回全国高校野球記念大会1回戦 本荘-鳴門工(徳島)

kiti<朝日新聞バーチャル高校野球> 「八回までの記憶はほとんどない。気づいたら終盤。でも、九回の攻防だけは鮮明に覚えている」。2008年8月4日の第90回記念大会1回戦。鳴門工 (徳島) と対戦した本荘の主将、二塁手の吉尾渉さん(26)はそう振り返る。鳴門工は五回までに2点を奪うが、本荘も七回に反撃。阿部竜也選手、吉田大樹選手の連打と内野ゴロで1点をもぎ取った。「秋田大会から弱いと言われたチーム。こういう点の取り方だった」、そのまま僅差で九回へ。先頭の吉尾さんが右前打で出塁。1死後、阿部選手の左中間二塁打で一気に本塁へ。アウトになりそうなタイミングだったが、送球が少しそれた。同点。「三塁コーチが泣きながら腕を回していた」、2死から池田恭介投手が右越えの適時二塁打。土壇場での逆転劇に、スタンドが揺れた。「球場全体がうちを応援する感じ。その雰囲気に乗った」、出場4度目、悲願の甲子園初勝利まであと3人。だが、鳴門工の先頭打者が安打で出塁すると、また球場がざわつき始めた。「面白い試合を観客は期待している。甲子園の雰囲気は、展開によって流される。独特な感じだった」、内野手がマウンドに集まった。ベンチから尾留川徹監督の指示を聞いた三船翔選手が飛び出した。指示の内容は 「犠打で送ってくる。1死二塁になったら、本塁打を打っている次の安岡瑞葵君と勝負」。だが――。選手たちに指示は伝わらなかった。甲子園の魔力か、緊張からか、指示内容が三船選手の頭から飛んでしまった。「伝令の内容は 『頑張れ』 『お前らなら大丈夫』。結局、話し合って、安岡君を歩かせて次の打者勝負で行こう、と」 敬遠するため、片村玄徳捕手が立ち上がると、ベンチの尾留川監督が 「えっ」 という表情で天を仰いだ。球場の雰囲気が一変した。勝負を望む観客の声がわき起こった。「バックネット向こうの銀傘が、僕らを押しつぶすように迫ってくる。こんな中で、よく恭介は投げているなと思った」 雰囲気にのまれたのか、次打者もストレートの四球で満塁。直後、下位打線に連続適時打を浴びた。あっけない幕切れだった。「両チームであいさつを交わした時、大きな拍手がわいた。今度は 『いい試合をありがとう』 という温かい拍手だった」 決断の末に負けた。だから仕方がない。尾留川監督も選手たちもそう思った。真相が分かったのは、その年の秋になってからだ。「甲子園は怖いところ。それがみんなの結論。でも、勝ち負けがすべてじゃないということを学んだ。僕にとって、高校3年間は濃すぎるくらいの時間だった」(山田佳毅) 。※吉尾渉主将、由利本荘市出身、本荘高を卒業し、2009年に同市消防本部の消防士に。今年3月、救急救命士の資格を取得した。

記録に残る試合 / 昭和54年全国高校野球選手権秋田大会準々決勝 能代-金足農

nosirokananou昭和54年7月29日の甲子園秋田大会準々決勝 能代-金足農 (秋田市営八橋球場) は、必ず語られる伝説の一戦 (スコアブックは中継放送を基に作成、放送は試合中途で終了)。その試合の異様さは、出場していた能代高校畠山親浩選手(1番サードで先発出場)が卒業後に 「能代高校記念誌」 に寄せた一文にも見てとれる。「、、、(略)、、準々決勝の金足農戦に於いて大雨の中試合を続行、序盤から点の取合いとなり8回日没コールドで勝利したが、応援席の興奮が収まらず物が飛び交い球場から出られず警察の誘導で帰ったことが忘れられない。、、(略)、、」

記録に残る試合 / 昭和54年全国高校野球選手権秋田大会準々決勝 能代-金足農

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報知新聞 / 能代商2011年夏甲子園…前年完敗鹿児島勢に逆転勝ちを振り返る

nosho11212<報知新聞社>◆2011年夏の甲子園1回戦 能代商5-3神村学園(8月9日)。2011年夏、2年連続3度目の甲子園出場を決めた秋田代表の能代商(現・能代松陽)。“2つの雪辱”を果たす活躍で3回戦まで進み、地元をわかせた。県勢の初戦敗退を13年連続で止め、1年前に自らが味わった悔しさを晴らした白星。1年間抱き続けてきた思いが勝利につながったと、工藤明監督(44)は明かした。当時の写真とともに振り返る。(取材・構成=有吉 広紀)秋田の夏を熱くする、大きな白星だった。2011年夏、能代商が神村学園(鹿児島)に5―3で勝ち、県勢の初戦敗退を13年連続でストップ。工藤監督は0―15で鹿児島実に敗れた10年夏の負けがあったから、この1勝につながったことがあると話した。「1年前の経験(大敗)があったし、そこしか思いはない。あの屈辱を何とかして晴らす、ということだけ。抽選会で主将も『鹿児島県代表とやりたい』と言っていたし、対戦が決まってコンディションは上がっていったんじゃないか。私自身、前の年は『秋田県のために』という意識が強かったが、この年はそれはあまりなくて、自分たちのチームで勝つんだと思っていた」1年間“打倒・鹿実”が目標だった。室内練習場には大敗した甲子園でのイニングを大きく書いて貼り出し、鹿児島実が出場した11年春のセンバツも試合をテレビ観戦したという。初戦の相手は校名こそ違うが同じ鹿児島勢。リベンジの機会となったが、5回を終え1―3と劣勢だった。「目標にしていただけに、プレッシャーや緊張感が強く、動きが固かった。(グラウンド整備時に)このままだったら去年と同じだぞ、とゲキを入れたらグッと変わった」直後の6回、4安打を集めて4点を奪い逆転。その後、昨夏の鹿児島実戦では先発して2回途中KOだった背番号1・保坂祐樹投手が、巧みな投球で相手打線を翻弄し逆転勝ちした。目標を達成し、選手たちの喜びは最高潮。だがその夜、指揮官はこう話しかけた。「すごく盛り上がっていたが食事の時、『オレもうれしいけど次の戦いがある、食事とともにうれしさものみ込もう』と伝えた。どの代もそうだけど、このチームは特に素直な選手が多かった。私が言ったことに、『そうそう、オレたちもそう思っていますよ』と反応してくれた」2回戦の相手である英明(香川)には、同年ドラフトで巨人1位指名を受けた松本竜也投手がいた。大会屈指の本格派左腕も、持ち前の素直さで攻略する。「試合前のブルペンでの松本を見て、こんなすごい球投げる投手は初めてだな、と話していた。(打席内で)立つ位置を変えたりとか、左打者は直球を狙っても打てないから変化球を狙おう、と揺さぶっていこうとした。確かタイムリーは2本とも左打者でしたから(※4回の小川宗太郎内野手、6回の保坂と適時打はともに左打者)。よく徹底してくれた」3回戦で如水館(広島)に延長12回、逆転サヨナラ負け。だが3試合計415球を投げ抜いた保坂ら、秋田生まれの選手たちが聖地をわかせた。秋田勢はその後15年に秋田商が8強、18年には金足農が準優勝。13年連続初戦敗退の時代からは信じられないような白星を挙げている。そのきっかけを作ったのは、11年夏の能代商だった。「みんなが能代出身の普通の高校生だったけど、それが私学を倒して勝ち上がった。(他の高校も)自分たちもできる、と思ったんじゃないかな」◆13年に統合し能代松陽に チームは2013年、県立能代北と統合し能代松陽として再始動。昨秋はエース左腕の大高勇心(2年)の4戦連続完投など力を発揮し、県大会で優勝。だが東北大会は初戦(2回戦)でセンバツ選出校の磐城(福島)に1―2で逆転負けした。11年夏のメンバーは今でも正月やお盆など休みの時期にグラウンドを訪れることがあり、工藤監督は「経験したことを話してくれています」。先輩たちに負けじと、現校名で初となる甲子園出場を目指す。なお秋田の公立高校は11日から学校が再開、それに伴い部活動も行っている。

1986 昭和61年 第33回春季東北高校野球大会 決勝 経法大付-本荘 (岩手)

春季東北大会 経法大付-本荘 激雨の決勝戦 (引き分け両校優勝)
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左/本荘 阿部光投手(2、象潟) 右/経法大付 水沢英樹投手(2、生保内)
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記憶に残る試合 / 木村優太投手 (ロッテ-東京ガス-経法大付) 高校最後の夏。

huzoku甘いマスクが特徴の長身投手で、花輪二中時代すでに身長183cm。平成15年夏甲子園予選、第2シード秋田経法大付(古窪敬一監督)は、準々決勝(対平成戦)で1年生佐藤卓真(東京ガス、西仙北東)を先発、2番手菅原圭介(3、羽城)の後を受け、木村投手は急遽3番手で登板し、10奪三振を奪ったものの野手の失策も響きよもやの3-6で敗戦。平成高校は快心の勝利、それとは対照的に秋田経法大付は全てにカラ回りの状態で、チーム全体がリズムにうまく乗れない時の歯がゆさ、苦しさを肌で感じた試合だった。ドラフト候補木村雄太投手(左左、189/77)の最後の夏は想定外の消化不良のままで終わった。(秋田県北部花輪地区から好投手多数輩出)。<平成15年夏 秋田経法大付登録選手> [投]木村雄太(3、花輪二)、[捕]今野福太郎(2、本荘南)、[一]○川北篤志(3、金浦)、[二]小笠原和也(3、十和田)、[三]斉藤祐太(3、羽後)、[遊]阿部隆雄(3、能代二)、[左]菅原慧(3、秋大付)、[中]高橋純(2、塩釜一)、[右]佐藤大(3、泉)、菅原圭介(3、羽城)、高橋洋大(3御野場)、田中雄也(3、二ツ井)、長谷川一斗(2、桜)、佐久間努(2、中山)、鈴木康太(2、多賀城)、餅祐介(1、多賀城二)、浅沼俊晃(3、大潟)、佐藤卓真(1、西仙北東)、工藤勝秋(1、能代二)、佐藤裕平(2、大曲)。

記憶に残る試合 / 木村優太投手 (ロッテ-東京ガス-経法大付) 高校最後の夏。

左 / 菅原圭介投手 (3、羽城)、右 / 木村雄太投手 (3、花輪二)
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