★ 備忘録 「熱球通信」 ・ 特定非営利活動法人秋田県野球フォーラム ★

「熱球通信」は特定非営利活動法人秋田県野球フォーラム会員有志による備忘録を兼ねた「秋田県野球」にこだわった私的ブログです。掲載している記録等については公式なものではありませんのでご注意願います。リンク等についてはオールフリーですので事前のメール等一切不要です。更新頻度は原則毎日の更新です。秋田県出身で県外に在住の方も念頭に更新していきますが、内容等一部については地元情報と時差が生じる場合があります。練習・親善試合の結果情報は原則掲載しません。また、コメント送信欄と掲示板については諸般の事情により対応していません。積極的な中学硬式野球・女子野球の紹介に努めています。

記録残る試合

1986 昭和61年 第33回春季東北高校野球大会 決勝 経法大付-本荘 (岩手)

春季東北大会 経法大付-本荘 激雨の決勝戦 (引き分け両校優勝)
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左/本荘 阿部光投手(2、象潟) 右/経法大付 水沢英樹投手(2、生保内)
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1997 平成9年 初の大館樹海ドーム開催 秋季秋田県大会 決勝 秋田高-秋田商

akitaakishoその後の大館樹海ドーム (ニプロハチ公ドーム) での秋田県大会開催なし。<2013.4.03> 平成9年第49回秋季東北地区高校野球秋田県大会は、3位決定戦を含む全18試合のうち11試合が大館樹海ドームでの開催となった大会 (田代球場併用)。決勝の秋田-秋田商は、秋田が最終回に逆転し2年ぶり11度目の優勝。試合は、5回以降秋田澤口と秋商2番手信田の投げ合いとなったが、9回一死一塁から佐藤の左翼線際に落ちる二塁打で1点を返し、二死一、三塁から澤口が中越え三塁打で走者2人を返し逆転。準決勝以降はすべてドーム球場で行われたが、初めてのドーム開催ということで、当初の懸念通り、その影響と思われるシーンが続いた。< 秋田高決勝戦先発 >[中]小林正義(1、井川)[遊]佐藤康浩(2、花輪一)[右]工藤裕史(2、平和)[三]伊藤嘉成(2、八郎潟)[投]澤口玄(2、大曲)[左]○ 伊藤貴樹(2、飯島)[捕]伊藤洋徳(1、男鹿南)[一]熊谷憲一(2、大曲)[二]伊東裕(1、八竜)伊藤英師(2、将軍野)小松慎(1、秋田東)畠山拓(1、八郎潟)佐々木貴浩(1、八竜)船木隆範(2、払戸)長谷川友規(2、秋田南)高橋周一(1、勝平)三浦勉(1、上新城)鎌田修平(1、城南)[責]小林正人[監]小野巧[記]澤田祐介。< 秋田商決勝戦先発 >[左]豊嶋雄樹(2、協和)[二]鎌田信幸(2、城東)[一]佐藤素啓(2、城東)[遊]○ 佐々木雄志(2、勝平)[三]船木直人(2、飯島)[右]川守田寛(2、土崎)[中]薄田健(1、五里合)[捕]佐藤正巳(1、西仙北東)[投]伊藤大悟(1、城東)佐藤一弘(2、八郎潟)信田道輝(2、西仙北東)荻原雄介(2、秋田東)菅哲也(2、雄勝)佐々木偉幸(2、城東)高橋洋平(1、十文字)藤島伸(2、秋田西)片桐広勝(1、山王)沢野球太(2、大館一)[責]上杉清博[監]小野平[記]佐藤記一。

記憶残る|2007平成19年10月7日秋田わか杉国体(硬式)金足農-佐賀北

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元佐賀北監督 百崎敏克氏(平成19年夏甲子園大会優勝監督)令和5年かごしま国体 仙台育英-慶応を解説、秋田わかすぎ国体での対金足農戦にも言及。<2022.10.7> 佐賀北以降公立校の夏選手権大会優勝なし、平成30年夏に金足農が準優勝。<2019.3.22> 07年佐賀北の3番打者として、決勝で逆転満塁弾を放った副島浩史・唐津工監督(29)が3月21日、佐賀ブルースタジアムで行われた九州高校野球佐賀大会1回戦で致遠館と対戦し、7-5で勝利。昨年11月、副部長から監督に就任。一時勤めた佐賀銀行を退職してまで監督として高校野球の舞台に立った 「がばい男」 が、公式戦デビューを白星で飾った。<2018.6.22> 第100回全国高校野球選手権佐賀大会。「がばい旋風」で2007年夏の甲子園優勝を果たした佐賀北のメンバーは、決勝で逆転満塁弾を放った副島浩史選手は唐津工副部長、エース久保貴大選手は母校佐賀北監督、真崎貴史マネジャーは杵島商監督。<2007.10.7> 第62回国民体育大会高等学校野球硬式野球競技会(公開競技)2007 平成19年10月7日、こまちスタジアム、2回戦 金足農-佐賀北。金足農が夏の甲子園覇者の佐賀北(11年ぶりの公立校優勝)に挑んだ一戦。試合は、先行した佐賀北を金足農が終盤7回に1点を返し詰め寄ったものの結局1-2で敗戦。天候にも恵まれ観戦日和、金足農全校応援、完全なホームゲームで球場内盛り上がる。金足農先発高橋健介投手完投。<秋田県立金足農業高校登録選手> [投]今野陽介(3、南外)[捕]武田政宗(3、男鹿南)[一]門間裕匡(3、羽城)[二]山田大輔(3、八郎潟)[三]須藤甲成(3、能代二)[遊]○ 浅野高馬(3、井川)[左]櫻庭啓修(3、山王)[中]佐藤弘典(3、鳥海)[右]佐藤龍(3、潟西)栗木拓哉(3、秋田北)、高橋健介(2、井川)、齊藤竜也(2、将軍野)、高寺大介(3、南外)、船木拓美(3、男鹿南)、舩木敬弘(3、秋田東)、小松宏之(2、南外)。

1996平成8年甲子園大会決勝 松山商-熊本工 矢野外野手奇跡のバックホーム


1982昭和57年第27回全国高校軟式野球大会 能代高校 玉野高校破り初優勝

s57<平成4年発行 日本高等学校野球連盟全国高等学校軟式野球選手権大会30年史より一部抜粋> 3年前の無念を晴らして能代が感激の初優勝。能代は9回の2死三塁から、一ゴロ失で1点差にする運の強さでよみがえった。松岡の二塁打と七尾の死球で満塁、児玉が左前へ打って追いついた。それまでは、玉野(岡山)のペースで運んだ。2回と4回に得点し、左腕戸川も快調に投げていた。同点にされてからも制球に苦しむ能代須藤に、玉野は9回が1死満塁、延長12回にも再び1死満塁と攻めた。だが、その度に須藤は冷静なピッチングで後続の打者を抑えた。13回能代は先頭の佐藤が左越え二塁打、1死から打者原田の初球に三盗を成功、意表を突かれた形の戸川に、原田がすかさず中前へ快打して貴重な決勝点にした。18校出場、能代2-1神戸村野工、能代3-1宇都宮学園、能代10-3札幌商、能代4-3玉野。※第24回大会決勝対静岡商戦は、2-0とリードも7回に追いつかれ、13回表に2点加点され準優勝。<能代高校決勝戦先発選手> [中]佐藤 6-1-0[二]山崎 6-1-0[遊]原田 5-1-1[投]須藤 8-0-0[左]大久保 6-0-0[右]松岡 4-2-0[捕]七尾 2-0-0[一]児玉 4-1-1[三]藤田 4-0-0。

2019.10.22|平成11年全国高校野球秋田大会決勝 秋田-鷹巣 再戦実現

ead66842-s2020令和2年第4回マスターズ高校野球秋田県交流戦(8/1~、水林ほか)でも鷹巣-秋田実現、7-5で鷹巣勝利。<2019.10.21> 秋田市のさきがけ八橋球場で10月22日、1999 平成11年全国高校野球選手権秋田大会決勝を戦った秋田と鷹巣 (現:秋田北鷹) の当時のメンバーが20年ぶりに再び戦うことに。当時秋田の監督だった小野巧さん(64)=同市泉、元県高野連会長=が、監督生活をスタートしたのが鷹巣だった縁もあり実現した。小野さんは 「印象深いあの試合のメンバーで再会できるのはうれしい」 と話している。小野さんは80年4月に鷹巣の監督に就任。創部当初は専用のグラウンドがなく、就任から2年ほどは近くの町営球場や公園、陸上競技場の芝生などで練習した。用具をリヤカーで運んでいたことから 「地域の方からはよく 『 リヤカー野球部 』 と言われていた」 と懐かしむ。<平成11年夏 熱球通信選出優秀選手> [投]成田壮伸(3、鷹巣-藤里)[捕]平川祐毅(3、能代-能代二)[一]村形厳征(3、鷹巣-合川)[二]小西元気(3、秋田工-雄勝)[三]佐々木嘉晃(3、秋田商-河辺)[遊]小林正義(3、秋田-井川)[外]高橋慶彦(3、秋田工-外旭川)阿部雅之(2、秋田-東新潟)斉藤昭徳(3、本荘-石沢)。[1年生]夏井一志(1、秋田商)渡辺拓(1、本荘)。<候補選手> 鎌田修平(3、秋田)三浦勉(3、秋田)伊藤大悟(3、秋田商)津谷知輝(3、鷹巣)松田元樹(3、経法大付)佐藤辰則(3、秋田工)佐々木晋(3、秋田)鈴木純一(2、秋田)原慎平(3、鷹巣)児玉公大(3、能代)草薙拓也(2、角館)高階隼(3、経法大付)小田嶋拓也(2、秋田工)高橋寿史(2、角館)千葉裕徳(3、角館)大川紘世(2、鷹巣)畠山祐輔(2、経法大付)山谷洋輔(3、能代)佐藤誠(3、秋田工)草薙慎二(3、角館)門間良太(3、能代)佐々木俊友(2、能代)菊池直樹(2、経法大付)阿部拓(2、経法大付)高橋大蔵(3、鷹巣)成田雄一(2、鷹巣)畠山浩司(3、鷹巣)小松慎(3、秋田)川口昭仁(2、秋田工)。<平成11年秋田さきがけスポーツベストナイン>[投]佐藤晃(3、由利工)、成田壮伸(3、鷹巣)、三浦勉(3、秋田)[捕]松田元樹(3、経法大付)[一]村形厳征(3、鷹巣)[二]小西元気(3、秋田工)[三]千葉裕徳(3、鷹巣)[遊]小林正義(3、秋田)[外]高橋慶彦(3、秋田工)鎌田修平(3、秋田)柴田千諭(3、金足農)。

ロッテ-SB CS第3戦 ロッテ岡大海 安田の安打で一塁から一気生還 劇的勝利

1996平成8年第78回甲子園秋田大会サイクル安打達成 金足農 村井聖史選手

72e7994d-s10月10日誕生日。2015.7.17> 第97回全国野球選手権秋田大会3回戦対大曲(八橋)で西目4番佐藤泰成選手(内・投、3、象潟)が第1打席で場外本塁打、あと二塁打が出ればサイクル安打達成の猛打賞。<2010.5.15>1996(平成8年)7月20日、全国高校野球選手権秋田大会2回戦対能代商戦(県立球場)で村井聖史選手(3、金足農-飯島)は、6番左翼で先発出場、右前安打、左中間三塁打、右越え二塁打と絶好調。そして迎えた9回表の第6打席でカウント2-3から逆風をついて本塁打を放ち見事サイクル安打達成。嶋崎久美監督も 「簡単にできるものではない。最後に本塁打で決めるとはたいしたものだ」 と褒めていたのが印象的。背番号2桁での登録が比較的多かったが年間通して実質不動のレギュラー選手。<秋田県立金足農業高校先発出場選手> [三]三浦和憲(3、合川)[二]松橋順(3、飯島)[中]加賀谷文規(3、秋田東)[捕]阿部伸吾(3、五城目一)[一]泉田透(2、男鹿東)[左]村井聖史(3、左/左、飯島)[右]阿部直(3、天王南)[投]工藤太一(2、河辺)[遊]鎌田守(3、男鹿東)○ 佐々木将(3、大内)佐藤一徳(2、秋田東)大友則明(2、大内)津谷武輝(3、鷹巣)藤原博成(2、天王)佐藤佑(3、外旭川)高野大(2、大内)藤田千尋(3、井川)加藤力(3、男鹿南)[責]浅利吉晴[監督]嶋崎久美[記]江畑公一(2、男鹿中)。

2005平成17年秋田開催秋季東北大会秋田商佐々木弘史君逆転サヨナラ本塁打

sasaki<2018.10.15> 平成30年度第71回秋季東北大会、秋田県勢地元開催の利生かせず。秋田県開催で県勢が優勝したのは平成17年の58回大会が最後。2014.12.23> 平成26年度限りで社会人野球(パナソニック)勇退。・平成17年第58回秋季東北地区高校野球大会 (10/7~、秋田市)秋田商45年ぶり4度目の優勝を決めた9回裏 (一死一塁 工藤、二塁 石田) で光星学院桑鶴投手から3番佐々木弘史選手 (172/78) がフルスイング、自身初となる右翼席への逆転サヨナラ3ラン 。観戦していたがまさに 「頼れる主将」 を実証した一撃。<平成17年秋季東北大会 秋田商登録選手> 佐藤洋(2.羽城)、鳥井将(2.八郎潟)、○ 佐々木弘(2、左左、178/78、八郎潟)、七尾理志(2.桜)、石田尊(2.仙南)、工藤辰文(2.五城目一)、寺門寛(2.山王)、浅野友人(2.五城目一)、小山田聡太(2.男鹿東)、白旗瞬(2.太田)、佐藤信(1.出羽)、渡邉裕之(2.勝平)、三浦亮(2.外旭川)、平岡達也(1.神代)、吉田公(1.八郎潟)、三浦祏也(1.河辺)、石井和仁(2.八郎潟)、斉藤優斗(2.将軍野)、煤賀一志(2.太田)、鈴木信吾(1.六郷)、[責]半田祐介、[監]小野平、[記]伊藤慎平。<2010.6.04> 全日本大学野球連盟は、世界大学野球選手権の選考合宿を平塚球場で行う。秋田県関係では横浜商大 佐々木弘史選手(4、秋田商)が参加。[評価]上背はそれほどないが、力強く高校時代から勝負強い打撃、広角に長打が打てる。

秋田県内高校野球初ナイトゲーム平成15年秋季中央地区決勝 秋田商-秋田中央

nig平成15年9月8日(月)秋季高校野球中央地区大会決勝戦 秋田商-秋田中央(こまちスタジアム)は、登録メンバー20人中、秋田商17人、秋田中央が16人出場の総力戦となり、秋田商が15安打の打線爆発で秋田中央の反撃を振り切り4年ぶりの地区優勝。降りしきる雨、ぬかるむグランドで、8回裏からは秋田県内高校野球では初めてとなるナイター試合に。<秋田商先発選手> [一]○ 佐々木陽祐(2、角館)、[右]田口嘉秀(1、羽城)、[三]菊地貴朗(2、天王)、[中]吉田良(2、八郎潟)、[左]渡部朗(2、潟西)、[二]伊藤秀平(2、出羽)、[捕]畠山慎太郎(1、金浦)、[投]三浦寛右(1、天王南)、[遊]鎌田将(2、太平)、佐藤剛士(2、上新城)、大高佑公(2、峰浜)、佐々木洋樹(2、西仙北東)、渡邊潤也(2、上新城)、小玉和之(2、八郎潟)、泉谷翔平(2、城南)、佐々木智樹(2、西仙北東)、鈴木潤(1、角館)、松橋亮(1、尾去沢)、大友陽介(1、山王)、三浦俊太(1、羽城)、[責]半田祐介、[監]小野平、[記]佐藤達哉(2、勝平)。<秋田中央先発選手> [左]加賀力哉(1、男鹿南)、[中]渡辺良太(2、山王)、[二]大友洋幸(2、秋田西)、[一]佐藤雄大(1、雄和)、[右]杉沼哲平(1、土崎)、[捕]渡部嘉岳(2、飯島)、[三]黒川諭(2、男鹿東)、[遊]鈴木長康(2、秋田東)、[投]信太悠佑(2、泉)、○ 小野了(2、秋大付)、金卓史(1、雄和)、田中貴大(2、御野場)、進藤友也(2、泉)、平井旭人(2、協和)、岩谷友倫(2、協和)、鈴木龍宏(1、外旭川)、若狭良平(2、秋田東)、小納谷祐(2、秋田東)、佐藤駿太(2、五城目一)、関健太(1、河辺)、[責]高橋学、[監]塚田博、[記]見上翔(1、飯島)。

規則 / 2012 平成24年8月13日 甲子園大会 済々黌(熊本)- 鳴門(徳島)

35かみじょうたけしさん(45)著「野球の子 盟友」でも紹介。<2022.1.11> 漫画家 水島新司さんが1月10日、肺炎のため東京都内の病院で死去、82歳。<2019.7.21> 2019秋田大会決勝 秋田中央-明桜、延長11回明桜の攻撃中、秋田中央が一死満塁でライトへの打球が飛んだ場面で野球規則 7・10(d) によるアピール (アウトの置き換え) プレーで失点を防ぐ。【2015.2.25】済々黌中村謙選手談 「小学校のとき、ドカベンを読んでルールは知っていました。(得点が) 認められるまでドキドキしましたけど。自分たちはあまり打てないので、そういうものでも点を取りたくて練習していました」。高校野球の古典漫画の名場面を全員で頭と体に刷り込んできた。< 蛭間豊章 Baseball insideより抜粋 > 8月13日の済々黌-鳴門は済々黌が鳴門に3-1で勝利したが、1点リードの7回、1死一、三塁から遊直が一塁に転送されて併殺が完成する前に、三塁走者が帰塁しないまま生還。鳴門のアピールがなく得点が認められて貴重なダメ押し点が入るという珍しいプレーがあった。済々黌が1死一、三塁から仕掛けたエンドランは、遊撃へのライナーに。鳴門の遊撃手が一塁に転送、飛び出した一塁走者は帰れず、併殺が完成した。一度はスコアボードの7回裏に0が入ったが、三塁走者が、一塁手の捕球より一足早く本塁を踏んでいた。鳴門が三塁に転送して 「三塁走者の離塁が早かった」 というアピールすれば良かった。西貝球審は、鳴門ナインがベンチに戻ったのを確認(アピール権消滅)して、得点が入った事を球場側に伝え7回裏に1が入った。「このルールは 『ドカベン』 を読んで知っていました。守備も走塁も練習していたので、迷うことなく走りました。自分たちの機動力野球の真骨頂というプレーができました」。しかし、その伏線は5回にまったく同じ状況で、三塁走者がホームをついた。この際に、球審に 「生還が早かったのでは」 と走者がアピール。これは認められなかったが、鳴門側が一切三塁走者に気を払っていなかったために、7回も三塁走者が遊撃ライナーを取られたのを見ても、走りを止めずにホームを駆け抜け、それを球審がしっかり確認していたようだ(記録は遊撃ライナーで打点1)。西貝球審は、即座に得点が入った経緯を場内放送で説明。それは相手の鳴門側を納得させるためというよりも、超満員に膨れあがったファンへの素晴らしいレクチャアになった。プロ野球では、退場処分などで場内アナウンスをするケースはあっても、野球規則に関して難しいプレーの際にこれだけ明瞭迅速に行われるのは稀だ。済々黌の選手に拍手を送ると共に球審の行動にも賛辞を送りたい。鳴門側から見れば、細心の注意を払えば防げた点なのである。新聞などで使っている 「ルールの盲点」 でも何でもない。これにより、野球規則に精通することの大切さを改めて知らされたプレーだった。

記録に残る試合|1991平成3年夏甲子園大会 秋田-大阪桐蔭 9回二死から、、

akita・「高校野球心に残る名勝負・名場面」 大アンケートで取り上げられた試合。【寸評】土壇場9回二死から追いついた大阪桐蔭は延長11回に沢村がサイクル達成の決勝本塁打。<2009.5.22> 平成3年8月17日、甲子園初戦で相手の悪送球で北嵯峨にサヨナラ勝ちを収めた秋田(秋田大会優勝候補筆頭は中川、齋藤を擁する経法大付)は、続く優勝候補大阪桐蔭戦でも9回二死まで理想的な試合運びでほぼ勝利を手中に収めかけていた。ドラフト候補背尾投手の不調を突き、初回菅原勇輝の本塁打と連打で3点先制、投げても菅原朗仁が制球抜群で相手強力打線につけ入るスキを与えず8回終わって3-1。9回ドラフト候補荻原選手も倒れて勝利目前と思われたが、二死からの相手下位打線の悪夢の4連打で同点に追いつかれ、結局、延長11回3-4の逆転負け(初戦北嵯峨戦スコアも4-3)。菅原朗仁の頭脳的投球が光った試合。秋田高はベンチ入り1、2年生が10人の若いチーム(試合時間2時間24分)。・秋田高校先発、[遊]千田匡(3、五城目一)[三]戸賀瀬直紀(2、大内)[捕]菅原勇輝(2、大潟)[一]石井俊誉(2、泉)[投]菅原朗仁(3、大潟)[右]浅野太一(2、土崎)[中]渡部喜一(3、秋田東)[二]○ 佐藤幸彦(3、城東)[左]平泉慶一郎(3、十文字)。小玉義幸(2、五城目一)伊藤大輔(3、秋大付)沢井直豊(3、城東)伊藤慎作(2、秋田南)嵯峨育生(2、下北手)川村寿(1、八竜)近藤八雲(2、五城目一)佐々木優(2、秋田東)[監]小野巧。

昭和59年8月|夏甲子園準決勝 金足農-PL学園(45,000 1時間44分)

スポーツ紙紹介甲子園珍名 | 一言・阿天坊・雲宝・宝珠山・大悟法・西大立目・達磨
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( 球審 : 西大立目、塁審 : 片岡、田中、清沢 )
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記録に残る試合|2001 平成13年 全国高校野球秋田大会 1回戦 秋田-平成

akitaheisei2023令和5年第89回秋田県少年野球大会、大曲中 泉徳人監督(39)母校指揮して28年ぶり5度目の優勝。<2008.8.13> 2001平成13年7月14日、秋田県立球場。この日、公式戦初スタメンの秋田高校 小野康太選手(1、泉)が、1-1の同点で迎えた5回表 (先頭打者) に左翼席に本塁打を放ち、流れを秋田に呼び寄せた (8回にも2点本塁打)。試合は5回の小野の本塁打以降打線が火を噴き14-3で圧勝。試合後の父 巧監督のコメントは 「康太の打撃を買って先発させたが、いいところで打ってくれた」。この試合は、点差はついたもののコールドゲームにはならなかったという珍しい試合、2本とも低めの球をうまくすいあげたきれいな放物線を描いた本塁打だった。対戦相手の平成高校佐藤幸彦監督 (東京学芸大-秋田-城東) は高校時代に小野監督の指導を受けた。<秋田高校先発> [遊]手塚隼也(2、大曲)[二]佐藤衛(3、金浦)[右]佐藤雄太(3、土崎)[一]伊藤潤(3、大内)[捕]○ 猿田宏貴(3、土崎)[投]佐々木英人(3、大曲)[中]目黒悟(3、男鹿東)[左]南賢治(3、土崎)[三]小野康太(1、泉) 岡部雄太(3、秋大付)齊藤文洋(3、秋田東)浜田浩二(1、羽城))加藤達徳(2、払戸)酒井宏徳(3、秋田東)石井健介(3、秋田東)太田朋孝(3、泉)佐々木圭太(1、泉)成田大(1、二ツ井)秋山英慶(3、飯島)木曽丈志(3、秋田東)[責]小林正人[監]小野巧[記]泉徳人(3、大曲)。

伝説 雨中決戦|平成21年7月18日第91回秋田大会準々決勝 西目-秋田中央

3383ee37-s・令和3年5月30日、春季秋田県大会2回戦 由利-秋田修英(こまちスタジアム)も中断頻発の雨中延長タイブレークで決着。・2009平成21年 第91回全国高校野球選手権秋田大会準々決勝 西目-秋田中央 (こまちスタジアム) は、西目が第2シードの秋田中央を9回サヨナラで下して4年ぶりのベスト4進出。試合は、初回に先制した西目が9回に逆転を許したが、土壇場に代打の切り札村上智弥 (3、矢島) の一打で再逆転。土砂降りの雨の中のまさに泥んこまみれの一戦、ボールが途中で止まっていました。長い観戦歴の中でも数本の指に入る雨中泥まみれの激戦 (農業高校が前身の西目に一日の長があったか?)。[西目投手継投]六平 → 山崎、[秋田中央投手継投]叶谷 → 佐藤快 → 大友 → 本山。 <秋田中央先発オーダー> [左]坂本光紀(3、城東)、[三]本山裕太(3、外旭川)、[中]○ 佐藤良介(3、山王)、[右]高橋大博(3、城東)、[一]下釜洸澄(3、飯島)、[捕]安藤弥(2、城南)、[二]佐藤晟人(2、秋大付)、[投]叶谷幸太郎(3、山王)、[遊]嵯峨智仁(1、男鹿東)、佐藤快(3、泉)、齊藤和(3、八郎潟)、大友皓喬(2、御野場)、川村聡太(3、泉)、冨田克明(2、協和)、工藤慶亮(2、秋大付)、谷藤圭太(2、鷹巣)、須田博典(3、泉)、安藤正純(2、秋田西)、佐藤拓(1、土崎)、富樫貴政(3、秋田北)、[責]和田史穂、[監]桑原康成、[記]加藤友晃(2、将軍野)。<西目先発オーダー> [遊]○ 須田雄人(3、仁賀保)、[二]佐藤匠(3、鳥海)、[三]高橋健斗(3、岩城)、[中]山崎健斗(3、象潟)、[一]池田翼(3、岩城)、[左]佐々木光(2、由利)、[捕]高橋茂臣(3、鳥海)、[右]菊地幸寿(3、象潟)、[投]六平希(2、仁賀保)、佐藤勇汰(3、金浦)、高橋健太郎(3、鳥海)、平元大輔(3、出羽)、武藤雄也(3、岩城)、渡辺慎吾(2、西目)、伊藤賢吾(2、象潟)、三浦祐輔(2、矢島)、佐々木翔弥(3、出羽)、柳田潤生(3、大内)、村上智弥(3、矢島)、三浦泰史(1、矢島)、[責]沼澤優、[監]石川聡、[記]小番瑞綺(3、矢島)。

朝日新聞 バーチャル高校野球|平成3年夏 第73回選手権大会 秋田-大阪桐蔭 。

toin全国高校野球選手権大会3回戦の相手は大阪桐蔭。これまでに夏の甲子園を4度制した強豪だ。初優勝したこの大会で、最も苦しめたのが秋田だった。8回を終え、秋田が3-1とリードしていた。九回2死まで追い込んだが、粘る相手に安打を許した。その瞬間、空気が変わったと感じた。「相手の地元。1回にうちが3点を取った時は球場がシーンとなった。それが1本の安打でウワーッとなった」 エースの菅原朗仁がまさかの4連打を浴びて追いつかれた。だが、本当にうなったのは、次の10回の秋田の攻撃のとき。、「二死ながら走者を二塁まで進め、サヨナラ勝ちのチャンス。ここで佐藤幸彦主将がセンター前に安打を放った。『よし、サヨナラだ!』 と思いました」 だが、大阪桐蔭の守備は鍛えられていた。ストライク返球で、本塁へ突っ込んだ走者がアウトに。「ここまでやっても勝てないのか……」 と唇をかんだ。 逆に11回、勝ち越し本塁打を沢村通選手に打たれて力尽きた(大会史上3人目のサイクル安打)。

甲子園2回戦 / 能代商-英明 金属バット導入後最短試合時間タイ(1時間21分)

2011 平成23年 第93回全国高校野球選手権大会2回戦 能代商-英明
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1978昭和53年第60回全国高等学校野球選手権記念大会1回戦 能代-箕島

岩手県営1970.4完成 2022.10.31本格利用終了 2023.3.31閉場

1995平成7年第48回秋季東北地区高校野球大会 秋田-盛岡大付(岩手県営)
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-地元盛岡大付との2回戦、完全アウェー状況で観戦-

昭和58年10月12日 / 秋季東北大会決勝戦 金足農-大船渡 延長16回白熱戦

oo延長16回の熱戦。タイブレーク制が甲子園大会で導入されたのは、35年後の第90回記念選抜大会から。<2018.4.25> 訃報 / 半田英生選手逝去1983年 昭和58年10月12日、第36回秋季東北地区高校野球大会決勝戦 金足農-大船渡 (岩手県営)は、延長16回の白熱戦となり岩手県代表大船渡が優勝、金足農の東北初制覇の夢は持ち越しに 。試合は金足農が序盤の2回に2点先制も大船渡が4、5回に1点づつ返し試合は延長戦に、16回の表、大船渡が逆に2連続二塁打で逆転、金足農もその裏、鈴木の適時打で1点差と詰め寄るも後続が併殺打で試合終了、金野・水沢両投手完投、試合時間3時間56分、無失策試合、大船渡4番鈴木選手水沢投手から本塁打、[金足農](三塁打)水沢、(二塁打)工藤2、水沢。<平成58年秋季東北大会決勝戦 金足農先発> [三]大山等(2、琴丘)、[中]斎藤一広(2、雄和)、[遊]工藤浩孝(2、八郎潟)、[投]水沢博文(2、秋田北)、[捕]○ 長谷川寿(2、五城目一)、[一]鈴木善久(2、五城目一)、[左]山崎里史(2、下浜)、[二]小玉勇樹(1、五城目一)、[右]柏谷安彦(2、秋田北)、石塚昭彦(1、河辺)、安田卓(1、秋田北)、半田英生(2、井川)、石田則嗣(1、秋田北)、佐藤学(2、天王)、小玉文隆(1、羽城)、佐藤俊樹(2、船川)、浅野和幸(2、井川)、館岡明(1、五城目一)、原田好二(1、船川)、小林誠(1、秋田南)、[部長]豊島君男、[監督]嶋崎久美、[記録]鳴海猛(2、八郎潟)。

記憶残る試合 / 平成23年秋季東北大会 まさかの延長サヨナラ 能代商-古川学園

63b0d1c4-s秋季東北大会 明桜-八戸工大一 最終回5点差から逆転サヨナラタイムリー二塁打。<2011.10.9> 平成23年10月9日、第64回秋季高校野球東北大会(秋田県開催)2日目2回戦 秋田第1代表 能代商-宮城第3代表 古川学園(こまち)は、能代商がコールド目前の10点差のリードを守り切れず、まさかの延長11回10-11のサヨナラ敗退。7回コールド勝利を確信して私含め帰路についた人も多かったが、10点差以上のビハインドからのサヨナラゲームは記憶にないところ。秋田県勢3校(能代商、秋田工、秋田中央)初戦敗退。<翌日秋田さきがけ紙面より> 序盤から着実に得点を重ねた能代商は、10点リードで迎えた7回、四球と4安打でを集められ5失点、8回に3点本塁打を浴びて2点差に詰め寄られると、9回にも2点適時打で追いつかれた。延長に入り、2度の好機を逃がすと、11回裏一死二塁から畠山投手の169球目を左前に適時打されサヨナラ負け。能代商畠山は6回まで2安打無失点、打線も7回まで11安打も、終盤以降は攻守ともに浮き足立ち全くいいところがなかった。能代商先発オーダー[捕]平川賢也(2、二ツ井)[二]丘田諒平(2山本)[右]和田賢将(2能代南)[三]小川宗太郎(2東雲)[一]山打大樹(1東雲)[中]大久保玲央(2能代二)[投]〇 畠山慎平(2能代南)[遊]石田勇士(2藤里)[左]穴山博道(1能代二)小玉皓太(2二ツ井)森田光(2峰浜)鷲谷壮等(2能代二)川村海翔(1能代二)渡部詢平(2能代東)浅野喜孝(1上小阿仁)伊藤塁(1能代南)塚本健太(2能代一)山田凌太(2能代南)川崎滉太(2能代二)成田瑠茉(2能代二)[責]高橋司[監]工藤明[ノ]渡部孝史秋山大一[記]甲嶋紫乃鈴木清一郎松岡那智。

2022令和4年第75回秋季東北地区高校野球大会(18 10/10~ 山形県)

明桜6-7八戸工大一(荘内・日新スタジアムやまがた)逆転サヨナラ
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1991平成3年 八橋球場50年熱戦ファイル / 昭和53年 能代高校-本荘高校

令和4年9月 秋田さきがけ 日本野球聖地・名所150選でボールパーク秋田 藤田公昭さんも紹介
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能代高校 高松直志・本荘高校 工藤幹夫の県内有数好投手対決 試合時間2時間弱

昭和56年 / 第34回秋季秋田県選抜高校野球大会 秋田南 部創立17年目初優勝

42昭和56年9月28日(強風)、第34回秋季秋田県選抜高校野球大会決勝(八橋球場)で秋田南が秋田を4-2で下し、部創立17年目で念願の初優勝。試合は、6回に追いつかれた秋田南が7回に中前打と補逸、四球で二死一、二塁、次打者の左中間の飛球がバックスクリーンからホームへの強風に押し戻されての敵失に乗じて貴重な追加点。秋田は試合直前の練習で遊撃手三戸仁志選手が右手中指を負傷したためのポジション変更も災いした。秋田南 / 小林直樹、秋田 / 佐々木誠両投手完投、試合時間2時間24分。[ 審判団 ]保坂、中川、浅野、常世。続く10月上旬秋季東北大会結果(秋田県開催)、秋田南 ○5-1仙台育英、●4-10日大山形、秋田 ●1-24東北(7回コールド、降雨ゲーム、県立球場の11点のスコアボードがない珍事も)。minamiakita< 秋田南高校先発 >[三]菅原神城(2、羽城)、[中]松田功(2、城東)、[一]斎藤誠(2、城南)、[投]○ 小林直樹(2、五城目一)、[右]鈴木隆(2、秋田西)、[二]斎藤智(1、秋田南)、[左]土井商一(2、土崎)、[遊]菊地良知(1、五城目一)、[捕]東海林健(1、秋田西)、浅野良裕(1、協和)、大塚晃(1、秋田西)、清水幸代(1、外旭川)、清水忍(1、城東)、長門幸雄(2、城南)、船木憲一(2、秋田東)、佐藤恵一(2、城南)、清水毅彦(2、秋田南)[責]畠山貞蔵、[監]赤沼新二、[記]杉山安生(2、山王)。< 秋田高校先発 >[左]菅原謙二(2、羽城)、[三]三浦純也(2、秋田西)、[遊]○ 住吉浩鹿(2、秋田西)、[一]石井浩郎(2、八郎潟)、[捕]立花俊幸(1、城東)、[中]藤田泰彦(1、河辺)、[右]伊藤元(2、秋田南)、[投]佐々木誠(2、羽城)、[二]伊保谷徹(1、山王)、赤平裕規(1、秋田東)、三戸仁志(1、八郎潟)、大矢孝之(1、土崎)、信太誠一(2、秋田東)、藤原直人(1、大正寺)、佐貫要(2、協和)、菊地俊博(2、城南)、佐々木衡(2、河辺)、[責]竹内一朔、[監]大久保正樹、[記]小林正人(1、秋大付)。

昭和61年夏 第68回秋田大会決勝戦 / 秋田県立秋田南高校 甲子園まであと半歩

21秋田中央後藤弘康責任教師 → 令和4年秋田中央監督に。<秋田南高校登録選手> 後藤弘康(3、182/70、大曲)、佐藤和博(3、秋田西)、塚田義浩(3、城東)、栗林律人(3、城南)、太田博史(2、秋田西)、川村幸治(3、秋田南)、石綿伸朗(3、東由利)、○ 宮腰亜希也(3、泉)、武田順一(3、男鹿中)、平沢貴(2、秋田北)、八端朝雄(2、払戸)、長谷川智(2、下北手)、野中仁史(2、秋田北)、佐藤強(2、城南)、高橋利光(2、城南)、梶原弘正(3、城南)、追留秀勝(3、山王)、[責]渡部久夫、[監]赤沼新二。<秋田工業高校登録選手> 川辺忠義(3、城東)、川村健司(3、秋田西)、○ 長谷川和徳(3、土崎)、小形一成(3、土崎)、西村卓也(2、土崎)、佐藤天(3、泉)、佐々木勇人(3、城東)、南都一己(3、羽城)、船木吉秋(3、秋田東)、小田島務(3、協和)、千種一樹(2、八郎潟)、小玉匡仁(2、秋田東)、浅野聖(2、秋田西)、安田雄光(3、羽城)、塚田充秋(2、秋田西)、今野和義(2、平和)、鈴木正人(2、平和)、[責]安杖正昭、[監]石橋智。
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