★ 備忘録 「熱球通信」 ・ 特定非営利活動法人秋田県野球フォーラム ★

「熱球通信」は特定非営利活動法人秋田県野球フォーラム会員有志による備忘録を兼ねた「秋田県野球」にこだわった私的ブログです。掲載している記録等については公式なものではありませんのでご注意願います。リンク等についてはオールフリーですので事前のメール等一切不要です。更新頻度は原則毎日の更新です。秋田県出身で県外に在住の方も念頭に更新していきますが、内容等一部については地元情報と時差が生じる場合があります。練習・親善試合の結果情報は原則掲載しません。また、コメント送信欄と掲示板については諸般の事情により対応していません。積極的な中学硬式野球・女子野球の紹介に努めています。

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奇跡のバックホーム(幻冬舎)/ 絶望に立ち向かう姿に誰もが涙した感動の実話

yokt22歳、プロ4年目で脳腫瘍の宣告。18時間に及ぶ大手術、2年間の闘病とリハビリ、回復しない視力、24歳での引退試合―絶望に立ち向かう姿に誰もが涙した、感動の実話。日々の積み重ねの姿勢とまっすぐな気持ちがみんなを動かした。阪神にとってかけがえのない選手。―矢野燿大(阪神タイガース監督)。横田、野球の神様って、本当にいるんだな。―鳥谷敬(千葉ロッテマリーンズ)。2019年に引退した元阪神タイガース・横田慎太郎が自身の半生を綴ったエッセイ。ドラフト2位で阪神に入団し、抜群の身体能力で将来を嘱望された横田は、22歳で脳腫瘍の診断を受ける。18時間の手術、2年におよぶ闘病とリハビリの末復帰するも、視力は回復しなかった。24歳、二軍での引退試合。プロ野球人生最後のプレーで見せた、ボールがほとんど見えないなかでの捕殺は「奇跡のバックホーム」とよばれ話題となり、多くの人に感動を与えた。引退試合のエピソードを軸に、脳腫瘍の手術と闘病、家族・球団への感謝、これからの人生、病気と闘う子どもたちへのエールなどを綴る。絶望と苦しみの日々の先に見えたものとは――。すべての人を勇気づける一冊。【本文より】「横田くん、言いにくいんだけど、大きな病気です」「野球のことは、いったん忘れてください」僕にとってそれは、死刑を宣告されたのに等しいといってもよかった。暗い気持ちになると同時に、腹が立ってきました。「なんでおれが……。どうしておれが野球を取り上げられなきゃならないんだ? 」野球ができなくなったら、これから何をすればいいんだろう―そんなことまで考えながら、ほとんど眠らずに朝を迎えました。打球は見えていませんでした。ボールが二重に見えるうえ、距離感がつかめない。「これが最後のプレーかよ……」それでも、気がつくと前に出ていた僕は、ボールをキャッチすると大きく右足を踏み出し、ダイレクトでキャッチャーに送球しました。【もくじ】序章 神様の演出第1章 野球のことは忘れてください。発端は原因不明の頭痛 / どうしておれが病気に…… / 神経には傷一本つけないでください / 手術は成功したものの…… / 18時間の大手術/何も見えない。第2章 遠かった甲子園野球人生の始まり / ソフトボール漬けの小学生時代 / 中学で全国大会に/小さな目標をひとつずつ/すべては野球のために「勉強しなさい」と言わなかった両親 /  憧れの鹿児島実業に入学 / はじめての寮生活 / ホームシックになる暇がないほどの練習 / 1年生で4番に抜擢 / 一度もやめたいとは思わなかった / 努力することが好きだった / 最後の夏、県大会決勝、9回裏 / すべてはプロに行くために / 指名してくれればどこでもよかった / まさかの阪神2位指名。第3章 一軍を目指して背番号は桧山さんの「24」/ 打球が前に飛ばない / 6本塁打でも実力不足を痛感 / 予想以上に長くハードな1年目 / 天然でいじられキャラ / 掛布さんのマンツーマン指導 / 雑になったこと。それが二軍落ちの原因 / 初の一軍キャンプ参加 / 開幕スタメン / 一軍失格。第4章 闘病病室で寝泊まりしながら看病してくれた母 / もう一度野球ができるかもしれない / ファンからの手紙 / リハビリは「幼稚園児」の身体から / 想像を絶する苦しさだった抗がん剤と放射線の治療 / 父の「意外な行動」に号泣「24番をあけて待ってる」/金本監督からの差し入れ / 寛解 / 家族なしでは耐えられなかった / 僕にはもう一度プレーする義務がある。第5章 復活を信じてもがいた2年間再び虎風荘へ / 育成契約で背番号「124」に / ランチ特打で突然流れた『栄光の架橋』/ 矢野監督の言葉 / 阪大病院を訪問 / 目の状態だけが回復しなかった / 今年でやめます。第6章 奇跡のバックホーム異例の引退試合 / プロ6年間のベストプレー / 僕と母だけに聞こえた音楽 / 想定外が重なって生まれた奇跡 / 神様が背中を押してくれた / 24番のユニフォームに涙 / とっさに言葉がわいてきた最後のあいさつ / タイガースに入団してよかった / やっと人の力になれた / ファンが後押ししてくれたバックホーム/最後に伝えたいこと。終章 新たなプレイボール。1995年、東京都生まれ。3歳で鹿児島県に引っ越す。横⽥真之(元ロッテオリオンズ)を⽗に持ち、⿅児島実業高校では中⼼選⼿として活躍。2013年、ドラフト2位で阪神タイガースに⼊団。1、2年⽬はファームで経験を積み、3年⽬の2016年は開幕からスタメン出場。しかし定着とはならず、翌2017年はさらなる⾶躍を⽬指したが、原因不明の頭痛が続いたため2⽉に精密検査を受けたところ、脳腫瘍と診断される。2018年からは育成契約に移⾏し、復帰を⽬指したがかなわず、2019年9⽉に現役引退を発表。引退試合で見せた「奇跡のバックホーム」が話題となる。現在は鹿児島を拠点に、講演、病院訪問、YouTube配信など幅広く活動している。

2019 / 山形県内すべての野球人にスポットを ベースボールマガジン5月創刊

2019.5.12 創刊  VOL.5まで発刊
http://baseball-yamagata.com/
BASEBALL YAMAGATA_000002

平成26年 秋田さきがけ紙 / シリーズ・時代を語る 無明舎出版 あんばいこう氏

18196921んだんだ通信 http://www.mumyosha.co.jp/topics/10/au/tmp4A.htm【2013.11.04】秋田市の無明舎(今年創立40周年)が出版専業となった記念の1冊。秋田で一番の有名人は尺八上手で人気者の中島のてっちゃ(工藤鉄治さん)。「中島のてっちゃ」(あんばいこう著、無明舎出版局、1976年)。尺八上手の人気者で昭和40年代当時知らない人はいなかった。地元はもちろん道川の方まで遠征していたと聞く。平成4年3月6日 肺炎のため死去、享年75歳。「中島のてっちゃ」の著者で出版業安倍甲氏は 「秋田の人たちが彼の存在をあのような形で許し、認めたのは彼特有の節度があったからだ。社会の底辺をはい回りながらも人間としての品格があったと思う。秋田のエンターテイナーとして、みんなの郷愁の中に生き続けるだろう」 と地元紙に寄稿。この書籍の最大の難点は、糊付が甘かったのか数年経過したら装丁がバラバラになったこと。<帯より> 街々を徘徊・遊芸した男の過酷な人生模様。市長の名を知らずともてっちゃを知らぬは秋田市民にあらず、とまで云われた男のさまざまな偏見と誤解、更には、そしりに晒され続けた60余の人生の相貌がいま明らかに!尺八を背負い這いずるように昭和史を歩んだ男のたくまざる生き様にスポットをあてた一冊。

2004~2019 / 秋田県高等学校野球大会記録集(秋田県高等学校野球連盟)

故 蔦文也元池田高校野球部の妻キミ子さん 平成27年2月3日死去(享年91歳)

bbm105127【2015.2.04】徳島池田高校野球部元監督故蔦文也氏の妻、キミ子さんが2015(平成27年)2月3日、死去(徳島市出身、91歳)。【2013.10.27】2013(平成25年)高校野球秋季四国大会準決勝(10月26日、坊っちゃん)で徳島第3代表池田が徳島第1代表生光学園に9-3で勝利し、1992年夏以来22年ぶりの甲子園出場に大きく前進。岡田康志監督は池田が79年夏の甲子園で準優勝したときの主将。池田はかつて蔦監督のもと、74年に11人のメンバーでセンバツに出場、準優勝を果たし「さわやかイレブン」旋風、また、82年夏の甲子園では「やまびこ打線」と呼ばれた圧倒的な攻撃力で初優勝。翌年のセンバツも制し夏春連覇達成。【2013.7.23】「攻めダルマ」 の異名をとり、徳島県立池田高を春夏3度甲子園優勝に導いた故蔦文也監督の実像に迫るドキュメンタリー映画 「蔦監督」(仮称)の制作が大詰め。メガホンをとったのは蔦監督の孫で、映画監督の哲一朗さん(29)。哲一朗さんは三好市池田町出身、県立池田高から東京工芸大で映像を学び大学卒業後は映画制作を行う一般社団法人を設立、代表に就任。自然と人との共存を描いた映画 「祖谷物語~おくのひと」 でも注目を集める。「蔦監督」(仮称)は今夏に撮影を終え完成する予定。 【2011.12.19】蔦文也と池田高校教え子たちが綴る〝攻めだるま〟野球の真実(ベースボールマガジン社)。(紹介文より)畠山準・水野雄仁・江上光治著、定価税込945円。〝池高〟空中野球が日本中を熱狂させた。<蔦文也>1923年8月28日生まれ、徳島県出身。徳島商時代には投手、一塁手として甲子園の土を三度踏む。その後、同志社大、社会人では全徳島で都市対抗に3度出場。1950年に東急フライヤーズに入団するが、1年で退団し、翌年、池田高校の教員となる。1952年から野球部監督を務め、指導20年目の1971年夏に甲子園初出場を果たす。2度目の出場となった1974年春センバツはわずか11人で準優勝に輝き、“さわやかイレブン”として全国に旋風を巻き起こした。ハイライトは1982年夏、1983年春の連覇。筋力トレーニングで鍛えられた打線の爆発力は、高校球界に大きな衝撃を与えた。1991年に勇退するまで、計14回の出場で優勝3回、準優勝2回。2001年4月28日、肺ガンのため逝去、享年77。

能代工業バスケットボール部 元監督 加藤廣志さん 瑞宝小綬賞、能代市民栄誉賞

wa秋田県山本郡三種町川尻出身の歌手、友川カズキさん(70)=本名・及位典司=が主演を務めるドキュメンタリー映画「どこへ出しても恥かしい人」は、1月29日から2月7日まで大館市御成町の映画館・オナリ座で上映、秋田県内での上映は初めて。<2020.5.18> 瑞宝小綬賞、秋田県文化功労者、能代市民栄誉賞<2018.3.05>秋田県立能代工業高校バスケットボール部を率いて33度の全国制覇を成し遂げた元監督の加藤廣志氏が3月4日午後1時20分、肺腺がんのため能代市の病院で死去した。80歳。粕毛村 (現藤里町) 生まれ。日体大を卒業した1960年に母校の能代工高に赴任して以降、30年間にわたりバスケットボール部監督を務めた。選抜、インターハイ、国体を各11度制覇し、このうち同じ年に各大会を制する 「3冠」 を5度遂げたほか、インターハイ7連覇を達成。展開の速いプレーで相手の高さに対抗するプレースタイルを磨き、黄金時代を築いた。<2007.8.12> 無敵の集団として名を馳せる秋田県能代市の県立能代工業高等学校バスケットボール部。著者は監督在任時の30年間に、インターハイ、国体などで同校を33回の日本一に導いた。現在、米プロバスケットボール (NBA) で初の日本人プレーヤーとなるべく挑戦中の天才・田臥勇太選手もまた、同校で指導を仰いだ1人だ。優秀な素材を全国から呼び寄せるといっても、未成熟な高校生であり、しかもメンバーは毎年代わる。それを常勝軍団に仕立て上げるべく、徹底的に個々の選手と向き合い、選手の欠点さえも強みに変えていく指導論が披露される。枠にはまらない異色の人材が持つ潜在能力を引き出して組織が強くなった事例など、多くの指導者が見過ごしがちな心得を示す。

2016 / 小さなエースが明かした投球技術 「石川雅規のピッチングバイブル」

Cg_3jmtU4AA2Scw<週刊ベースボール ON LINE> まだまだ、歩みを止める気はない。今月22日に41歳とな石川雅規、プロ20年目のシーズンを迎えた。チーム最年長として臨む今季も、若手のように必死にポジションをつかみにいく。昨季は自身9度目の開幕投手を務めたが、7月中旬から約1カ月間上半身のコンディション不良で離脱。10試合目でようやく初勝利を手にするなど、15試合の登板で2勝8敗、防御率4.48と苦しんだ。ただ「まだまだコンディショニングさえ整えれば、勝負できると思っている」との言葉どおり、衰え知らずの肉体と高い技術を持ち、先発陣が手薄な中、今季も先発ローテーションの一角として期待される。<2016.6.06> 球が遅くても抑えられる!小さな大投手、石川雅規の投球術。身長167cmながらプロ通算100勝を達成、小さなエースが初めて明かした 「勝つ投球技術」。ピッチングの奥義、全公開。 1980年1月22日、秋田県生まれ。秋田商‐青山学院大を経て、2002年に自由獲得枠でヤクルトスワローズに入団。秋田商時代には3年の夏に甲子園出場。青山学院大進学後は、2年の春に6勝を挙げMVPを獲得。2000年のシドニーオリンピック日本代表。プロ入り1年目は29試合に登板。12勝9敗、防御率3.33で新人王を受賞。その後もチームのエースとして活躍を続け、2008年には最優秀防御率のタイトルを獲得。<目次> 第1章 バッターをどう抑えるか---僕の投球哲学、第2章 キャッチボール---すべての基本はここにあり、第3章 全8球種 僕の持ち球、全部見せます、第4章 試合への準備---用具・トレーニング・栄養、第5章 石川雅規の”作り方”---小学校からプロまで。

「最弱球団 高橋ユニオンズ青春記」長谷川晶一著、平成23年9月刊、白夜書房

feb684331950年代に3年間しか存在しなかったプロ野球チームのエースを追ったノンフィクション「無名の開幕投手~高橋ユニオンズエース・滝良彦の軌跡」(桜山社)が刊行された。著者は中京テレビアナウンサーの佐藤啓さん(58)。根っからの野球好きと愛校心が、隠れた名選手の半生を浮かび上がらせた。【毎日新聞、太田敦子】滝投手は名古屋市の南山大(当時は南山外国語専門学校)出身の唯一のプロ野球選手。52年に「毎日オリオンズ」に入団し、54年に新球団「高橋ユニオンズ」に移籍、開幕投手を務めた。しかし球団は3年で解散し、30歳で現役を引退した。佐藤さんは愛知県出身で南山大を卒業。90年に中京テレビにアナウンサーとして入社した。デビューは巨人・中日戦の「ドラゴンズ応援放送」の副音声実況だったという。雑誌でたまたま滝投手の存在を知った佐藤さんが本人と対面したのは2017年、87歳で亡くなる3年前だった。体調を崩し話すのがままならなくなるまで、約20回にわたり話を聞き取った。球界関係者や同窓生、かつての同僚など80人以上にも取材を重ねた。スポーツの実況中継を数多く経験してきた佐藤さんが、プロ歴8年の滝投手に魅せられた理由の一つは出身大学の先輩だったこと。「南山大はスポーツのイメージが薄いが、こんなにたくましい先輩がいたことに本当に驚いた」と明かす。つかれたように資料を集め、電話をかけ、足を運んで情報を集める様子は本に登場する。滝投手の人生を丹念に追う中で、派手ではないが真面目に練習に打ち込み、堅実なプレーで信頼を集める選手像、謙虚だが強い自負を持った人柄が浮かび上がってきた。本では野球を取り巻く歴史もひもといている。戦時中の高校では敵国発祥のスポーツに圧力がかかり、野球部が廃止されたこと。戦後、粗悪なバットやボールに悩まされながらもプレーできる喜びに浸ったこと。それぞれの時代に活躍した他の選手も、実況中継さながらに生き生きと描かれている。佐藤さんは「滝さんを通した出会いで、より野球が好きになった。大きなプレゼントでした」と話している<2015.9.01>1954年から3年間でプロ野球界から姿を消した 「高橋ユニオンズ」 のオーナー、故高橋龍太郎氏の孫にあたる秋山哲夫さん(73)が、計600ページに及ぶ 「球団の歩み」 を自費出版。<2014.11.20> 2014(平成26年)11月19日、1954(昭和29年)からわずか3年間パ・リーグに所属しただけで、プロ野球界から姿を消した 「高橋ユニオンズ」 OB会が都内で開催。<2012.1.03>「最弱球団高橋ユニオンズ青春記」(長谷川晶一、平成23年9月刊、定価税込1,890円、白夜書房)。高橋ユニオンズは、戦後たった3年間(1954年~56年)だけ存在した幻の球団で日本プロ野球史上唯一の高橋龍太郎氏個人所有による球団。雑誌「野球小僧」の連載に大幅に加筆修正して単行本化、高橋ユニオンズ全所属選手/高橋ユニオンズ全試合結果収録。

秋田県野球人名録 / プロ野球完全試合達成 佐々木吉郎 投手(日本石油-秋田商)

完全試合―15人の試合と人生 北原遼三郎 東京書籍
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平成24年野球殿堂入り(競技者表彰)炎のストッパー 広島東洋 故津田恒美投手

7c884d001993年7月20日、広島で投手として活躍した津田恒実さん(旧名・恒美)が、脳腫瘍のために死去、享年32歳。【2017.6.19】1993年に脳腫瘍のため32歳の若さで亡くなった元広島の津田恒美投手の記念館が広島市内に作られることが6月18日、明らかになった。昨年から津田氏の長男大毅さん(28)が設立に向け奔走していた。当初は津田氏の故郷である山口県内に設立予定だったが、関係者らと話を進める中で 「ファンのみなさんが触れる機会が少ない」(大毅さん) と、マツダスタジアム近くに候補地を絞った。19日からFAAVOのクラウドファンディングで賛同者を募り、返礼品として金額に応じて津田氏の現役時代のレプリカユニホームや現在のレプリカユニホーム、そして漫画家による津田氏のイラストを送る。現在も賛同してくれる漫画家を受け付けているという。野球殿堂入りも果たした偉大な投手の記念館は 「来年の命日くらいには」 と18年7月20日を目標にオープンする。【2012.12.15】山口県周南市営野球場の愛称が2012 平成24年 12月14日、「 津田恒実メモリアルスタジアム (略称・津田スタ)」に。同市の県立南陽工高出身で今年1月に野球殿堂入りしたプロ野球広島の津田恒実投手 (故人) の功績をたたえての愛称公募により決定。【2012.01.12】炎のストッパー広島カープ 故津田恒美投手 平成24年野球殿堂入り。【2010.10.18】炎のストッパー広島カープ故津田恒美投手長男津田大毅投手 (東京国際大) がリーグ戦初登板。東京国際大古場竹識監督を慕って九州国際大から転入、故障が続きこの日の最終戦が初マウンド。卒業後は一般企業へ就職 (内定)。【2010.05.05】炎のストッパー広島カープ津田恒美投手。NHKライブラリーNO.46 「もう一度、投げたかった-炎のストッパー津田恒美・最後の闘い-」 (山根義明 、大古滋久 著、1996年11月1日発売)。どんな打者にも快速球で勝負を挑んだ広島カープの津田。その絶頂期に悪性の脳腫瘍に冒されてしまう。不治の病と闘う彼と、それを支える妻の闘病を彼の野球人生と共に綴ったヒューマン・ドキュメント。

「一期一会一球 デイリースポーツ編」(尾藤公著、神戸新聞総合出版センター刊)

fbc09820-s野球殿堂博物館は12月1日、2021年の野球殿堂入りの候補者(プレーヤー表彰・特別表彰)を発表。特別表彰では、京都少年野球研究会のメンバーとして軟式球の開発に貢献した有田辰三氏、第6代プロ野球コミッショナーでドラフト制度導入に尽力した金子鋭氏、箕島高校監督として甲子園春夏連覇を果たした尾藤公氏の3人が新候補者に(昨年の候補者で漫画家の水島新司氏は辞退)。<2018.8.06> 第100回全国高校野球選手権記念大会 第2日(8月6日・甲子園)、星稜OBで、第1試合 (山梨学院-高知商) の球審を務めた堅田外司昭さん (56) が、箕島OBの石井毅さん (57、現姓名は木村竹志さん) との 「甲子園レジェンド始球式」 を振り返った。2人は1979年の第61回大会3回戦で、延長18回を投げ合った。堅田さんは 「39年ぶりに一緒の舞台に立てて良かった。『いいボールがいってくれたら』 と思ってプレーボールをかけました。本来は始球式を投げた人と、球審が握手するなんてないんだけど 『お疲れさん』 という思いで、自然と握手していた。スタンドから拍手をもらえてうれしかった」 と笑顔で振り返った。<2012.2.16> 3月4日の一周忌法要を控え、追悼文集 「ありがとう とんちゃん」(非売品)完成。<2011.5.21> 尾藤公 「一期一会一球」 神戸新聞総合出版センター刊 (デイリースポーツ編) 四六判、308P、定価1,575円。箕島監督として、4度の全国優勝を飾った名将尾藤公氏。「のびの野球」 で甲子園に旋風を起こした氏の人生と野球への熱き思いが詰まった1冊。延長18回の激闘、箕島-星稜戦。夏の甲子園大会に輝く伝説のゲームだ。その試合を指揮し、箕島高を春夏計4度の全国一に導いた尾藤公氏が死去前に顧みた野球人生。大学中退後、銀行員になって組合活動に熱中。監督で全国制覇した後、レジャービルの支配人もした。経験豊富な人生は人を見る目を奪い、部員との深い絆をつくる。星稜の12回裏二死からの同点本塁打。選手との直前のやりとりが小気味いい。「ホームランを打ってきていいでしょうか?」「よし、狙え!!」(紹介文より)。<2011.3.09> 戒名 [顕球院釈公道]。[追悼特別番組]3月11日18:30~ 「笑顔の名将 箕島元監督・尾藤公を偲んで」 (CS放送スカイA)。<2011.3.06> 尾藤公氏が3月6日午前3時37分、ぼうこう移行上皮がんのため和歌山市内の病院で死去、68歳。葬儀は3月9日正午から有田市箕島 「フューネラル有浄会館」 で、喪主:長男 強氏。昭和54年に石井毅-嶋田宗彦のバッテリーで春夏連覇を果たす等 「記録・記憶」 は数え切れず。<2010.9.21> 箕島高校と星稜高校OB、聖地 「甲子園」 で3度目の記念再試合、結果は17-13で星稜の勝利。1度目は1994年に和歌山市で、2度目は2004年に金沢市で、そして3度目は今年2010年聖地甲子園で。

一番華麗な放物線の本塁打を放った天才打者 / 辺見じゅん著「 大下弘 虹の生涯 」

hen<週刊ベースボール> 1949年11月19日、二日酔いで球がたくさん見えたから?東急・大下弘、7打数7安打、2つの驚きがある。1つは1試合7打席7安打という日本最多記録に対し、もう1つは11月19日まで試合があったことだ。1リーグ制最後の1949年、日本シリーズがないとはいえ、ペナントレース最終戦は11月29日だった。終戦後、“青バット” でのホームラン量産で人気者となっていた東急・大下弘が記録達成者である。この年は無冠ながら打率.305、38本塁打、102打点、27盗塁をマークしている。大記録の舞台は甲子園、相手は大陽ロビンスだった (「太陽」ではない)。快晴ながら強風の日だったという。試合は一方的な東急ペースとなり、21安打を放ち、22対2で大勝。結果的には、だからこそ打席が多く回り、歩かされることはなかったとも言える。三番に入った大下は、第1打席は一、二塁間を抜く単打、第2打席は右翼線二塁打、第3打席は一塁強襲安打、以後二塁打2本、内野安打1本で、まず6打席6安打とした。7打席目は9回に訪れる。このとき幸運もあった。3球目の一塁方向へのファウルフライを強風に流された一塁手が捕球できず、仕切り直し。フルカウントにしてから三遊間深くにゴロ。間一髪、一塁セーフで大記録が生まれた。内野安打3本と、大下の足の勝利でもあった。その後であるが、大下は遊郭からそのまま球場にやって来て、グテングテンの二日酔いであった。ボールがたくさんに見え 「どれかを打てばいい」 と打った大記録という話もあったが、それはすべて後付け。実際に遊び人で遊郭から球場に通ったことはあったようだが、さほど酒が飲めず、宴席でも飲まずに騒ぐタイプだったという。【2012.3.15】辺見じゅん著 「大下弘 虹の生涯」 (文芸春秋刊)。天性の柔軟な身体と華麗なフォーム。その打球が廃虚の空に描く、虹のような放物線。西鉄黄金時代を築いた天才打者の破天荒な人生。戦後の廃墟に彗星の如くデビューし、虹のようなホームランを放って、復活草々のプロ野球を隆盛にみちびく牽引車になった〝青バット〟の男。知将・三原脩監督のもとで、豊田・中西・稲尾ら若獅子たちを率いて西鉄ライオンズの黄金期を築いた男-大下弘。不世出の天才打者の破天荒な生涯をプロ野球復興史と重ねて描く、解説・阿久悠。

夏 高校野球 /「木内幸男監督、わが心の木内野球」「尾藤公監督、奇跡の采配術」

kiuti5_skisekisaihai<新聞報道> 高校野球で茨城の取手二高、常総学院高の監督として春1度、夏2度の甲子園大会優勝を成し遂げた木内幸男さんが11月24日、肺がんのため死去した。89歳。母校の茨城・土浦一高監督を1956年まで務めて取手二高へ。84年夏の決勝で桑田真澄清原和博を擁した大阪・PL学園高に打ち勝ち、茨城県勢初の甲子園大会優勝に導いた。常総学院高に移り、2001年に茨城県勢初の春の優勝。03年夏は決勝でダルビッシュ有の宮城・東北高を破り、同年勇退。07年に監督に復帰し80歳の11年まで務めた。選手一人一人を観察し、大胆な選手起用や戦法で「木内マジック」と呼ばれた。<2011.8.03> 仁志敏久著「わが心の木内野球」 1,470円(税込) 四六版、ベースボールマガジン社。常総学院の教え子・仁志敏久が綴る名将の真実。松下茂典「奇跡の采配術」 945「円(税込) 新書版、ベースボールマガジン社。箕島・尾藤公の人間力野球。

洲崎球場のポール際 プロ野球の 「聖地」 に輝いた一瞬の光(森田創、講談社)

suzaki(一部抜粋) この洲崎橋にはかつて「洲崎パラダイス」と書かれた大きな門が建っていた。そしてこれより海側は洲崎遊郭、遊郭街だったのである。洲崎遊郭は、明治半ばに根津にあった遊郭が移転してきたもの。陸地から隔てられている埋立地は遊郭街の移転先にぴったりだったのだろう。かつてこの海っぺりの洲崎遊郭ではしゃいだ男たちがいたことは事実である。洲崎遊郭は戦後もしばらく存続していたが、1957年に売春防止法が施行されたことをきっかけに姿を消し、今ではごく普通の住宅地に生まれ変わっている。(プロ野球PRESS 鼠入昌史 )<2015.2.11> 洲崎球場のポール際 プロ野球の 「聖地」 に輝いた一瞬の光 (森田創著、講談社)。東京下町、戦前は遊郭で賑わった洲崎にプロ野球専用の球場ができたのは、昭和11(1936)年のこと。沢村栄治がノーヒットノーランを演じ、伝統の巨人阪神戦がここではじまった。しかし、わずか1年後の昭和12年にできた後楽園球場にその場を奪われ球史から消えてゆく。2014年は、巨人が誕生してから80年、来年は阪神がそれに続く。 「悲劇の球場」 の詳細を野球少年だった著者が丹念な調査のもと蘇らせる。講談社HP  洲崎球場は、かつて東京都江東区新砂一丁目付近に所在した木造の野球場で、1036年に開場。日本プロ野球草創期に上井草球場と共に東京地区のプロ野球常打ち球場の一つとなっていた。

平成25年 / 全国大会を5度制覇 梅木恒明氏(元目黒高校ラグビー部監督)死去

9e42b4d7目黒高〈現目黒学院高〉ラグビー部元監督の梅木恒明氏が2013(平成25年)10月29日午前9時01分、心室細動のため東京都板橋区の病院で死去、79歳。大分県出身。法政大を卒業後、日体大で保健体育の教員免許を取得、1961年から85年まで目黒高で教鞭。ラグビー部監督として厳しい練習を課し、全国高校大会で5度の優勝に導いた。同校野球部の監督も務めた。【2012.2.22】松尾雄治 「我が道」、目黒高校ラグビー部梅木恒明監督、元ロッテ飯島秀雄選手。「釜石ラグビー栄光の日々-松尾雄治とくろがねのラガーたち-」 上岡伸雄 著 (中央公論新社)東北近隣の高卒選手が中心だった地域の古豪は、一人の天才の加入で、日本選手権7連覇を成し遂げる常勝軍団に変わった――。当時の関係者80人以上を取材し、「栄光の7年」とその後を追う。【2011.2.07】ラグビー強豪の目黒高校(現目黒学院)と言えば、やはり鬼軍曹と称された梅木恒明監督です野球漫画の「実録!関東昭和軍」を地でいくような猛練習ぶりでした。NHKのドキュメンタリーでも取り上げられたことがあったはずで、自宅を改造した合宿所の障子紙が新聞紙だったのが印象的。現在では考えられないような練習ぶりでした。目黒高校卒業生には松雄雄治選手の他、元陸上100m日本記録保持者(オリンピック出場)で後に代走のスペシャリストとしてロッテオリオンズ入りした飯島秀雄選手等。

秋田中央高校OB 前野ウルド浩太郎「バッタを倒しにアフリカへ」(光文社新書)

ba<新聞報道> 自らの職業を「バッタ退治」と称する昆虫学者の前野ウルド浩太郎さん(40)が9月29日、母校の秋田中央高校でオンライン講演をした。学者を志した経緯、サハラ砂漠での野宿生活、30歳過ぎてからの無収入時代……。「『好き』で飯食う、バッタの博士」をテーマにしたユニークな先輩の熱い語りに、全校生徒約620人が聴き入った。<2018.3.04>2018新書大賞 大賞受賞。昆虫学者を夢見て、単身アフリカ・モーリタニアに渡った著者だが、そこには想像を超える難題が・・・・。小学校高学年から楽しめる1冊。定価920円+税。バッタの群れは海岸沿いを飛翔し続けていた。夕方、日の光に赤みが増した頃、風向きが変わり、大群が進路を変え、低空飛行で真正面から我々に向かって飛んできた。大群の渦の中に車もろとも巻き込まれる。翅音は悲鳴のように重苦しく大気を振るわせ、耳元を不気味な轟音がかすめていく。このときを待っていた。群れの暴走を食い止めるため、今こそ秘密兵器を繰り出すときだ。さっそうと作業着を脱ぎ捨て、緑色の全身タイツに着替え、大群の前に躍り出る。昆虫学者(通称:バッタ博士)。1980年秋田県生まれ。国立研究開発法人国際農林水産業研究センター研究員。神戸大学大学院自然科学研究科博士課程修了。博士(農学)。京都大学白眉センター特定助教を経て、現職。アフリカで大発生し、農作物を食い荒らすサバクトビバッタの防除技術の開発に従事。モーリタニアでの研究活動が認められ、現地のミドルネーム 「ウルド(○○の子孫の意)」 を授かる。著書に、第4回いける本大賞を受賞した 『孤独なバッタが群れるとき--サバクトビバッタの相変異と大発生』 (東海大学出版部)。

巨人木村拓也コーチがくも膜下出血で亡くなってから今年4月7日で丸10年に

004142kimutakimutakuスポーツ報知 / 現役最終年の09年に緊急捕手として10年ぶりにマスクをかぶったキムタクさんの自己犠牲、全力プレーの精神は着実にチームに受け継がれている。(略) 木村さんが広島の病院で亡くなった10年4月7日、阪神戦(甲子園)で中堅手でダイビングキャッチで勝利に貢献したのが現在の松本哲也2軍外野守備走塁コーチ。「タクさんのような全力プレーを」と継承し「木村コーチ」と同じ背番号「84」で若手に経験を伝えている。<2011.2.15> 巨人木村卓也コーチ(享年37)の記念レリーフ母校宮崎南高校に設置、2月15日除幕式。顕彰レリーフ序幕式には、清武巨人軍球団代表・内海、谷選手が出席。レリーフに刻まれている「一生懸命」の文字は巨人軍清武代表の揮毫。<2010.10.09>日本テレビ系「ドキュメント’10 木村卓也が愛された理由」(30分枠)10月10日深夜放送。2010年4月にくも膜下出血で読売巨人軍の木村卓也コーチが亡くなってから約半年、悲しみを乗り越えて生きる家族の姿を描く。<2010.7.31>「一生懸命 木村拓也 決してあなたを忘れない」 著・木村由美子(中央公論新社)。急逝した夫・木村拓也との短かった結婚生活、誰からも愛された人柄の秘密、彼が遺したメッセージ・・・・・・。読んだ後、思わず家族を抱きしめたくなる一冊、続々重版。「究極のスーパーサブ」といわれた木村拓也選手との短かった生活、誰からも愛された人柄の秘密、彼が遺したメッセージ……彼を見守り、支え続けた妻が、夫・木村拓也の半生を語る、中央公論新社刊、定価1,260円(税込) 。

アマチュアベースボール オフィシャルガイド2020「グランドスラム」#55

単行本 / 雑草軍団の軌跡 「金足農業、燃ゆ 」中村計 著 文芸春秋 1,800円+税 。

羽城中時代から注目 淡路巽選手の動静を確認できたのが収穫
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163910581
hari

平成14年 第74回全国選抜高校野球大会出場 秋田経法大付属高校「熱と闘志」

netutotousi平成14年第74回選抜高校野球大会出場秋田経法大付登録選手、[投]平塚隆一(3、北海道あいの里東)、[捕]松田幸樹(3、湯沢北)、[一]田村潤(3、比内)、[二]佐藤茂樹(3、北海道北陽)、[三]山内伸悟(3、大館東)、[遊]千田祐成(3、八郎潟)、[左]高橋康大(3、河辺)、[中]○桑島知宏(3、北海道光陽)、[右]山中慎太朗(3、横手南)、堀内誠(3、田代)、菅原圭介(2、羽城)、田中雄也(2、二ツ井)、福田卓(3、協和)、佐藤壮(3、西仙北東)、佐藤大(2、泉)、阿部隆雄(2、能代二)、加藤俊(3)、鎌田卓(3)、佐川圭太(3)、佐々木雄(3)、上村雄一郎(3)、横山英公(3)、渡邊直進(3)、川村達也(3)、高田芳樹(3)、高城正守(3)、竹下裕(3)、齊藤隆幸(3)、後藤雄大(3)、菅原俊介(3)、高橋拓也(3)、高橋良綱(3)、土谷尭禎(3)、畑田充晴(3)、平間勇作(3)、船越慎史(3)、村上憲秋(3)、京極祐(3)、佐藤直光(3)、田口武(2)、森澤僚介(2)、金田佳大(2)、斉藤佑太(2)、小笠原和也(2)、菅原慧(2)、保坂亮太(2)、高橋洋大(2)、浅沼俊晃(2)、川北篤志(2)、木村雄太(2)、佐藤誠浩(2)、進藤智矢(2)、鈴木保貴(2)、千蒲佑矢(2)、佐藤友敏(2)、佐藤一祐(2)、[責]古谷孝男、[監]小窪敬一、[記]佐々木匠(3)。

第92回センバツ高校野球大会出場32校紹介/ホームラン/ベースボールマガジン。

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第92回センバツ高校野球大会出場32校紹介 / 輝け甲子園の星 / 報知高校野球。

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山口北州印刷出版部/岩手学童野球選手名鑑2019/2月5日発売/定価1,660円。

https://twitter.com/info_ymhk
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画像は昨年度、一昨年度のものです

ベースボールマガジン社 / 週刊ベースボール 2020.1.27号 + 2020.2.03号。

大仙市誕生15周年映画鑑賞会 / 「野球部員、演劇の舞台に立つ!」 無料上映会。

大曲出身 鈴木一美さんプロデュース / 文部科学省特別選定作品
http://yakyubuin-vs-engekibuin.com/
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