
ライバル物語

落合博満選手 昭和28年12月9日生
競技者野球殿堂入り 山田久志投手2006年 落合博満選手2011年
2021令和3年第87回全県少年野球大会決勝戦ABSラジオ中継 解説 / 加藤肇(元秋田商監督)実況 / 藤田裕太郎。・過去に、秋田県勢 「大旗」 白河越えの期待が持てたチームが何校かあったが、昭和51年(58回)の秋田商もまさしくその1校だった。好投手 山岡政志 (下浜) と4番武藤一邦 (大曲) を中心とした強力打線が野球ファンをその気にさせていた。特に 「秋田県歴代最強」 と言われた打線は、トップの石井から切れ目がなく、他校投手陣の脅威に。軸となったのは、四藤のスラッガーカルテットだった。その片鱗を見せたのが前年秋の東北大会(秋田県)の対東北高校戦、本格派投手相手に後藤のランニングホームランを含む猛打爆発でコールド勝ち、山岡も完封。が、続く福島学法石川戦でのよもやの敗戦で翌春センバツ出場は逃がした。そして、翌年夏の青森県との奥羽大会、決勝では、大会前に今川敬三監督を交通事故で失いながらも、宿敵秋田高校を11-1の大差で下し、その実力を周囲に見せつけた。秋田商は前年も2年生主体で、初戦地元洲本に9-0で勝利しており、地元ファンの期待もヒートアップ。が、甲子園では初戦から強豪校と当たるクジ運のめぐり合わせか、初戦強豪宇部商には4-3で辛勝したが、次戦の優勝候補天理戦では、山岡投手得意のシュートがボールと判定されるなどの不運もあり、延長の末4-5での惜敗。秋田県民の夢はついえた。が、今でもあの力強い 「秋商強力打線」 は脳裏から離れることはない。その後、佐藤と後藤は社会人へ進み、進藤は金融機関に就職し野球から離れた。主将の武藤は、高校全日本メンバーの一員として韓国遠征、ドラフト会議でパ・リーグの南海ホークスから1位指名されている。(敬称略) ※平成9年7月 「熱球通信」 からの再掲。<昭和51年夏 秋田商 登録選手> 山岡政志(3、167/63、下浜)、後藤浩(3、169/72、羽城)、進藤勝(3、186/83、山王)、谷村鈴義(3、165/64、八郎潟)、佐藤強(3、177/77、外旭川)、高桑仁(2、176/72、船川)、宮崎好(3、170/68、船越)、○武藤一邦(3、183/78、大曲)、石井靖(3、177/79、鷹巣)、藤原博道(3、177/67、羽城)、秋元純一(3、176/73、成章)、石黒日芳(2、174/72、秋田西)、山田満(3、173/71、上小阿仁)、高橋秀孝(2、176/67、土崎)、[責]佐藤正吾、[監]加藤肇。


eBASEBALLプロスピAリーグ2023シーズンスピリーグ監督(オリックス)就任
プロ野球 eスポーツリーグ公式サイト
2022.1.12 後藤光尊元オリックスコーチ 石川ミリオンスターズ 監督就任


元ヤクルト鎌田祐哉が不動産業で積み上げてきた信頼と実績

(下新城小学校児童数143人 平成29年11月1日現在)



昭和59年4月14日の秋田商-秋田高定期戦(OB戦)で兄弟選手が活躍、兄の秋田商菅原一夫選手(山王)と弟の秋田高菅原文夫選手(山王)。一夫選手は昭和54年、主将、三塁手として甲子園出場し、対広島商戦で三塁打、今春駒澤大学を卒業して母校秋田商のコーチ ※ 就任。秋田市役所野球部※ に籍を置く弟の文夫選手は、定期戦でも中前打放つ活躍。興味深いのは、兄 / 秋田商田口淳選手(下浜)と弟 / 田口康(下浜)選手も菅原兄弟と同じパターン。※ 肩書は当時
<昭和54年春 秋田商登録選手> [投]籾山詩男(3、船川)、[捕]佐藤文信(3、山王)、[一]熊谷和秋(2、秋田南)、[二]佐藤義己(3、船川)、[三]○菅原一夫(3、山王)、[遊]横山幸悦(3、秋田西)、[左]畠山哲人(2、二ツ井)、[中]佐藤康二(2、外旭川)、[右]近藤幸彦(2、鷹巣)、安保浩幸(2、八幡平)、高山郁夫(2、花岡)、薄田勝也(2、五里合)、森川順一(2、秋田西)、鎌田義幸(2、男鹿東)、高橋徳之(2、土崎)、三浦英美(2、船川)、七尾光昭(2、二ツ井)、小山大(3、羽城)、田口淳(3、下浜)、近藤博(3、琴丘)、[責]登利谷重郎、[監]三浦第三、[記]湊雅彦。<昭和56年春 秋田高登録選手> [投]石井浩郎(2、八郎潟)、[捕]鈴木彰(3、秋田北)、[一]伊保谷徹(1、山王)、[二]高橋誠(2、秋田西)、[三]三浦純也(2、秋田西)、[遊]○猿田和三(3、豊岩)、[左]住吉浩鹿(2、秋田西)、[中]稲垣寿(3、秋田西)、
[右]菅原謙二(2、羽城)、天野清美(3、秋田東)、石井浩次(3、雄和)、佐々木誠(2、羽城)、立花俊幸(1、城東)、小野武紀(3、土崎)、伊藤元(2、秋田南)、浅野英樹(3、五城目一)、菅原文夫(3、山王)、[責]竹内一朔、[監]大久保正樹、[記]沢田石辰美(3、五城目一)。<昭和59年春 秋田高登録選手> [投]菅野淳(3、秋田西)、[捕]栗山英(3、五城目一)、[一]中田善英(3、潟西)、[二]鷲谷衛(3、井川)、[三]加賀谷隆之(3、天王)、[遊]○鈴木亮(3、羽城)、[左]中島一人(3、秋田西)、[中]工藤衛(2、大正寺)、[右]佐々木真樹(3、秋田西)、田口康(3、下浜)、太田政直(2、城東)、米谷友(2、天王)、高砂明(2、秋田北)、小林勇人(1、城東)、加藤明(1、五城目一)、渡部純(3、秋田北)、高田環樹(1、土崎)、[責]竹内一朔、[監]大久保正樹、[記]金谷仁(3、外旭川)。

GO-STOP-CALL.COM スポーツ用品の輸出入販売、代表取締役 / 鷲谷亘、日本支社 / 秋田県由利本荘市岩城内道川字新鶴潟1-11。 【2011.11.21】平成23年11月20日(日)の秋田さきがけ紙3面で近況紹介。【2009.12.27】一方の鷲谷亘は秋田市立時代にエース石崎の陰に隠れながらも2番手投手として活躍し、甲子園に出場している。もし他校に進学していれば十分エースとしてマウンドを踏めるだけの力量を持った投手だった。卒業後はチームでライバルだった石崎と共に東洋大に進学。石崎は大学時代に打者に転向したが鷲谷は4年間投手として頑張った。そして大学卒業後アメリカのビル・キナモン審判学校に進んだ後にセ・リーグの審判員に採用される。彼のアンパイヤ人生で印象深いのは何といっても巨人槙原寛己投手の完全試合と阪神戦の三塁での判定をめぐっての阪神コーチによる暴行事件である。事件の詳細は割愛するが、山あり谷ありのアンパイヤ人生で巨人や阪神等の人気チームにも迎合することなく頑固一徹なジャッジメントは強く印象に残っている。審判員というのは本当に野球が好きでないと務まらない仕事である。その意味でこの2人は真のベースボールプレヤーであるといえる。(一部省略、文中敬称略) ※平成10年4月発行「熱球通信」よりの再掲。













