昭和43年12月2日、ロッテの永田雅一オーナーは日本陸上界が生んだ屈指の短距離走者飯島秀雄(早大-目黒・水戸農)の入団を発表した。100メートルを10秒1で走るロケット男だが野球は素人(中学時代野球部)で代走専門。快脚だけで野球をこなせるかどうか、賛否両論入り乱れ、大きな話題を呼んだ… 飯島の脚に球界初の5000万円の傷害保険がかけられるなど前景気があおられ人気も上々… 観客数は急増し、アイディアマンの永田オーナーをにっこりさせた。在団3年での走塁成績、出場117試合、打席0、得点46、盗塁23、盗塁死17。飯島がランナーに出たときの次打者成績151打数64安打、打率4割2分4厘。<2013.10.30> 目黒高校ラグビー部元監督の梅木恒明氏が2013(平成25年)
10月29日 午前9時01分、心室細動のため東京都板橋区の病院で死去、79歳。大分県出身。法政大を卒業後、日体大で保健体育の教員免許を取得、1961年から85年まで目黒高で教鞭。ラグビー部監督として厳しい練習を課し、全国高校大会で5度の優勝に導いた。同校野球部の監督も務めた。<2012.2.22> 松尾雄治 「我が道」、目黒高校ラグビー部梅木恒明監督、元ロッテ飯島秀雄選手。「釜石ラグビー栄光の日々-松尾雄治とくろがねのラガーたち-」 上岡伸雄 著 (中央公論新社)東北近隣の高卒選手が中心だった地域の古豪は、一人の天才の加入で、日本選手権7連覇を成し遂げる常勝軍団に変わった――。当時の関係者80人以上を取材し、「栄光の7年」とその後を追う。<2011.2.07> ラグビー強豪の目黒高校(現目黒学院)と言えば、やはり鬼軍曹と称された梅木恒明監督です
。野球漫画の「実録!関東昭和軍」を地でいくような猛練習ぶりでした。NHKのドキュメンタリーでも取り上げられたことがあったはずで、自宅を改造した合宿所の障子紙が新聞紙だったのが印象的。現在では考えられないような練習ぶりでした。目黒高校卒業生には松雄雄治選手の他、元陸上100m日本記録保持者(オリンピック出場)で後に代走のスペシャリストとしてロッテオリオンズ入りした飯島秀雄選手等。