iziki令和4年10月2日 こまちスタジアムで「ユニバーサル野球in秋田」開催。13時30分受付開始、試合 14時30分~16時30分。東北地方で秋田が初めての開催。2022.1.10> 令和4年1月10日付「秋田さきがけ」でも取り組みを紹介。<2020.11.24 東京新聞> 「誰でも野球を楽しめるように」と昨年、かつて流行したおもちゃの野球盤を等身大で再現し、わずかな力でひもを引けばバットでボールを打てる「リアル野球盤」を東京の企業が開発した。事業は好評だったが、屋内を想定した段ボール製のため、新型コロナウイルス禍で3密(密集、密接、密閉)のリスクを負い、活動が止まりかけた。そこへ埼玉県・秩父地方の小さな町の協力で、屋外で使える木製が完成。18日に町の小学校の校庭で披露され、楽しく遊ぶ児童の笑い声が響き渡った。季節外れの暖かな晴天に恵まれたこの日、横瀬町立横瀬小学校で、6年生と特別支援学級の児童計90人がチームに分かれて対戦した。ボールが転がった場所によって「一塁ゴロ」「二塁打」など一発勝負で決まり、1人ずつ打席に立つ度に全員が声援を送った。見事「ホームラン」を決めた高梨乃愛さん(12)は「みんなの前で緊張していたけど、応援があって良かった」とはにかんだ。「ユニバーサル野球」の名で商標登録したこの野球盤は、鉄道車両整備会社「堀江車輌電装」(千代田区)の所沢営業所で障害者スポーツ支援事業に携わる中村哲郎さん(52)が中心となって開発した。自分でバットが振れない障害のある子も野球ができるよう仕組みを考え、昨年3月に両翼約5メートルの試作品が完成。宮城県の会社が作る丈夫な段ボールを用いるなど改良後、特別支援学校などに活用してもらってきた。 だがコロナ禍で、今年予定したイベントはすべて無くなった。持ち運んで組み立てやすいよう、段ボールをパズルのように組み合わせた構造のため雨風に弱く、屋外で使うのが難しい。「子どもが入院する病院での開催予定もあったのに流れてしまった」。屋外でやるには素材を変え、一から作り直すしかなかった。中村さんが屋外用の検討を始めたころ「日本一チャレンジする町」を掲げる横瀬町が、企業や個人が実現したいプロジェクトを支援する「よこらぼ」を人づてに知った。以前からユニバーサル野球の普及には「行政の協力が欠かせない」と考えていた。よこらぼは、資金ではなく町の遊休資産や人材の提供が基本。地域の人材を活用する試みは7月に採択され、町が募ったボランティアとともに製作を始め、小学生から高齢者、町の若手職員まで25人が参加してくれた。塗装業を60年務めていた福島徳三さん(81)は、木材の切り出しから塗装までずっと携わった。披露の日も朝から組み立てを手伝い、「子どもの声を聞くだけで良い」と遊ぶ児童たちの姿を目を細めて見ていた。島崎孝夫校長(60)は「運動会は半日で、修学旅行も日帰りになった。6年生の思い出づくりにも良い企画を頂いた」と喜んだ。屋外用は木材をねじで留め合わせるなどの作業が必要で、屋内用より手間と時間がかかる。運ぶのも重く、屋内用は中村さんが1人でワゴン車に載せ、運べるが、屋外用は人手もいる。だが屋内での実施がまだ難しい以上「これでやっていくしかない」と腹をくくる。ユニバーサル野球開発のきっかけは、車いす生活だが野球好きの男の子。でも障害のある人だけでなく、高齢者や野球に詳しくない人も簡単にプレーでき、応援し合えるのが魅力だ。中村さんは「どこで活用してもらっても良い」と、コロナ禍にめげず普及に努めている。(神谷円香)2019.2.15 東京新聞> 埼玉県の西武鉄道航空公園駅から車で数分。所沢市役所や国立障害者リハビリテーションセンターに近い住宅街の一角に、堀江車輌電装(本社・東京都千代田区)の所沢営業所がある。築50年の木造平屋建てで、玄関には数十センチの段差も。「車いす利用者も普通に入ってきますよ。すべてバリアフリーでなくても大丈夫なんです」と、ここに1人で住み込み駐在する中村哲郎さん(50)は話す。外観も室内も普通の住宅で、会社には見えない。部屋の一角には、特別支援学校にも貸し出している子ども用競技用車いすが5台。さらに目を引くのが、野球選手のフィギュアと野球盤ゲームだ。中村さんは、ボードゲームで人気の野球盤を10倍の大きさで製作し、重度の障害で体がほとんど動かない子どもも楽しめる試合を企画している。同社は1968年創業の鉄道車両の整備会社。障害者スポーツと縁はなかったが、4代目の堀江泰社長(39)が2014年に障がい者支援事業部を立ち上げた。きっかけはサッカー好きの社長が、知的障害者のサッカーがあると聞き、映像を見たこと。健常者のサッカーとルールも見た目も変わらないのに、ウェブサイトづくりの資金や応援団の人手も不足していた。 初めは個人的なボランティアだったが、継続するには組織で関わろうと部を発足。それをインターネットで見つけ、北海道からメールを送り16年に入社したのが中村さんだ。建築関係の会社に勤めていた中村さんは11年から、シートに座って1本の板で滑るシッティングスキーの選手たちをスキー場でサポートするボランティアなどをしてきた。かつて強豪の北海高校で野球に打ち込み、3年生の夏は甲子園まであと1勝に迫った予選決勝で惜敗。応援団の声援を受けて打席に立ち、興奮した体験は宝物だ。「体があまり動かなくても、あの体験をさせたい」。障害者スポーツに携わる中でその思いを強くし、残りの人生を懸けようと決意した。札幌市に家族を残し、上京。初めは本社の障がい者支援事業部に勤め、子ども向けの車いすテニス体験教室などを担当した。だが、障害の重い子はラケットを振るだけで骨折の恐れもあった。力がなくてもできる仕掛けはないか。市民団体が行う重度障害の子どもへのスポーツ教室などに休日も顔を出して勉強した。ある教室では、柔らかいスポンジボールを子どもの顔や体に当て、スポーツの感覚を体験させていた。「体で感じるのがスポーツの原点だ」。野球観戦が好きな小学生の男児が「自分も野球がやりたい」と言うのを聞き、少しの力でバットで打てる装置の開発に乗り出した。100円ショップやホームセンターで買える物で試行錯誤し、短くしたおもちゃのバットを固定し、つないだ縄跳びの持ち手を軽く引くと打てる装置を作った。その中で「打ったボールを外野や内野の穴に入れれば野球盤ゲームになる」と思いついた。所沢営業所は、こうした製作ができて誰でも訪れてアイデアを持ち寄れる拠点にしたいと、中村さんが自分で物件を見つけ、会社に開設を申し出た。障がい者支援事業部の雇用支援事業で埼玉県の企業への営業もしながら、野球盤の製作を進める。1人でワゴン車に入れて持ち運べ、全国で試合ができるのが理想だ。盤の素材やボールの材質など細かな設計を詰めており、3月下旬に試作品での試合を予定する。「障害者のためとは思っていない。自然にスポーツを一緒に楽しむ風景ができれば」。障害者スポーツに注目が集まっている2020年東京パラリンピックまでに、できるだけ活動を広げたいと思っている。(神谷円香)