日刊スポーツ / グランプリ王者でダービー王のmeik(51=秋田)が、32年間の現役生活に終止符を打つ。引退の意思を固めたことが13日、分かった。近年は腰痛や膝痛に悩まされ、今期も7月に2場所走っただけで、来期のチャレンジ降格は確定的。「最近は人のレースを見ていても怖さを感じるようになり、潮時かなと思った。女房は『肩書がなくなっちゃうね』と少し寂しそうだったな。名残惜しいけど悔いはありません」と自らに言い聞かせるように語った。高校時代はインターハイや国体で優勝し、鳴り物入りで競輪界に飛び込んだ。89年にデビューし、高木隆弘、三宅伸と「64期3羽がらす」と注目された。だが、花開いたのは、追い込みに転向した30代の半ば。当時の北日本は若手自力型の宝庫で山崎芳仁、佐藤友和、渡辺一成、菊地圭尚、新田祐大と、G1では目標に事欠かなかった。「運が良かったと思う。強い選手がどんどん出てきて、その波に乗せてもらえました」。ターニングポイントは、05年の第1回G2サマーナイトフェスティバルの優勝だ。開催中、ある解説者にささやかれた言葉が今でも忘れられない。「有坂君、ここで取れなきゃ、一生大きいレースは取れない。今後の選手人生が決まるよ」。当時35歳。発奮して初タイトルを獲得。選手人生はガラリと変わった。大一番になると勝負強さを発揮し、翌06年のKEIRINグランプリを初出場で制すると、07年にはダービー王の称号も手に入れた。奔放な発言と豪快な遊びっぷりから「番長」の愛称で親しまれた。「開催中のサウナや、開催後の飲み会が楽しみだった。コロナ禍で全部駄目になっちゃったからね」。選手仲間に会えなくなることが、唯一の未練だ。今後は飲食店や不動産取引などのプロデュースや経営の傍ら、オファーがあれば競輪の仕事にも携わっていく。◆有坂直樹 1969年(昭44)12月13日、秋田県生まれ。大曲農高卒。競輪学校(現選手養成所)64期を在校2位で卒業。89年8月西武園でデビュー。05年サマーナイトフェスティバル、06年KEIRINグランプリ、07年日本選手権優勝。通算2650走524勝。通算獲得賞金は12億1637万4444円。171センチ。