yoktドキュメンタリードラマ「奇跡のバックホーム」ABCテレビ。<2021.6.04>22歳、プロ4年目で脳腫瘍の宣告。18時間に及ぶ大手術、2年間の闘病とリハビリ、回復しない視力、24歳での引退試合―絶望に立ち向かう姿に誰もが涙した、感動の実話。日々の積み重ねの姿勢とまっすぐな気持ちがみんなを動かした。阪神にとってかけがえのない選手。―矢野燿大(阪神タイガース監督)。横田、野球の神様って、本当にいるんだな。―鳥谷敬(千葉ロッテマリーンズ)。2019年に引退した元阪神タイガース・横田慎太郎が自身の半生を綴ったエッセイ。ドラフト2位で阪神に入団し、抜群の身体能力で将来を嘱望された横田は、22歳で脳腫瘍の診断を受ける。18時間の手術、2年におよぶ闘病とリハビリの末復帰するも、視力は回復しなかった。24歳、二軍での引退試合。プロ野球人生最後のプレーで見せた、ボールがほとんど見えないなかでの捕殺は「奇跡のバックホーム」とよばれ話題となり、多くの人に感動を与えた。引退試合のエピソードを軸に、脳腫瘍の手術と闘病、家族・球団への感謝、これからの人生、病気と闘う子どもたちへのエールなどを綴る。絶望と苦しみの日々の先に見えたものとは――。すべての人を勇気づける一冊。【本文より】「横田くん、言いにくいんだけど、大きな病気です」「野球のことは、いったん忘れてください」僕にとってそれは、死刑を宣告されたのに等しいといってもよかった。暗い気持ちになると同時に、腹が立ってきました。「なんでおれが……。どうしておれが野球を取り上げられなきゃならないんだ? 」野球ができなくなったら、これから何をすればいいんだろう―そんなことまで考えながら、ほとんど眠らずに朝を迎えました。打球は見えていませんでした。ボールが二重に見えるうえ、距離感がつかめない。「これが最後のプレーかよ……」それでも、気がつくと前に出ていた僕は、ボールをキャッチすると大きく右足を踏み出し、ダイレクトでキャッチャーに送球しました。【もくじ】序章 神様の演出第1章 野球のことは忘れてください。発端は原因不明の頭痛 / どうしておれが病気に…… / 神経には傷一本つけないでください / 手術は成功したものの…… / 18時間の大手術/何も見えない。第2章 遠かった甲子園野球人生の始まり / ソフトボール漬けの小学生時代 / 中学で全国大会に/小さな目標をひとつずつ/すべては野球のために「勉強しなさい」と言わなかった両親 /  憧れの鹿児島実業に入学 / はじめての寮生活 / ホームシックになる暇がないほどの練習 / 1年生で4番に抜擢 / 一度もやめたいとは思わなかった / 努力することが好きだった / 最後の夏、県大会決勝、9回裏 / すべてはプロに行くために / 指名してくれればどこでもよかった / まさかの阪神2位指名。第3章 一軍を目指して背番号は桧山さんの「24」/ 打球が前に飛ばない / 6本塁打でも実力不足を痛感 / 予想以上に長くハードな1年目 / 天然でいじられキャラ / 掛布さんのマンツーマン指導 / 雑になったこと。それが二軍落ちの原因 / 初の一軍キャンプ参加 / 開幕スタメン / 一軍失格。第4章 闘病病室で寝泊まりしながら看病してくれた母 / もう一度野球ができるかもしれない / ファンからの手紙 / リハビリは「幼稚園児」の身体から / 想像を絶する苦しさだった抗がん剤と放射線の治療 / 父の「意外な行動」に号泣「24番をあけて待ってる」/金本監督からの差し入れ / 寛解 / 家族なしでは耐えられなかった / 僕にはもう一度プレーする義務がある。第5章 復活を信じてもがいた2年間再び虎風荘へ / 育成契約で背番号「124」に / ランチ特打で突然流れた『栄光の架橋』/ 矢野監督の言葉 / 阪大病院を訪問 / 目の状態だけが回復しなかった / 今年でやめます。第6章 奇跡のバックホーム異例の引退試合 / プロ6年間のベストプレー / 僕と母だけに聞こえた音楽 / 想定外が重なって生まれた奇跡 / 神様が背中を押してくれた / 24番のユニフォームに涙 / とっさに言葉がわいてきた最後のあいさつ / タイガースに入団してよかった / やっと人の力になれた / ファンが後押ししてくれたバックホーム/最後に伝えたいこと。終章 新たなプレイボール。1995年、東京都生まれ。3歳で鹿児島県に引っ越す。横⽥真之(元ロッテオリオンズ)を⽗に持ち、⿅児島実業高校では中⼼選⼿として活躍。2013年、ドラフト2位で阪神タイガースに⼊団。1、2年⽬はファームで経験を積み、3年⽬の2016年は開幕からスタメン出場。しかし定着とはならず、翌2017年はさらなる⾶躍を⽬指したが、原因不明の頭痛が続いたため2⽉に精密検査を受けたところ、脳腫瘍と診断される。2018年からは育成契約に移⾏し、復帰を⽬指したがかなわず、2019年9⽉に現役引退を発表。引退試合で見せた「奇跡のバックホーム」が話題となる。現在は鹿児島を拠点に、講演、病院訪問、YouTube配信など幅広く活動している。