hiromu日本体育大学 佐々木大夢選手(3、金足農)学生コーチ。<2019.3.07、日刊スポーツ>  昨夏の甲子園で準優勝した金足農高で主将を務めた佐々木大夢外野手 (3年) が3月6日、「トップアスリートAO入試」 で首都大学野球リーグ1部の日体大に合格した。佐々木は決勝までの全6試合に 「2番・左翼」 でフル出場。1年冬にバセドー病を発症した経験などから、競技を引退する意向を示していたが、「日本一へあと1つ勝てなかった悔しさがある。大学では高校でなれなかった日本一になりたい」 と翻意した。【2018.8.08】夏の甲子園第4日の8月8日、金足農の佐々木大夢主将は、野球ができる喜びをかみ締めながら、初戦に臨んだ。昨年2月、甲状腺の疾患の一つバセドー病と診断され、半年ほど運動ができない状態が続いたからだ。「ここまで回復し、野球ができるなんて想像もしなかった」。この日も全力でグラウンドを駆けた。「走ってはいけないよ」。医師から告げられ、「もう野球ができないのか」 と初めて聞く病名にショックを受けた。野球部の遠征にも行けず自室にこもる日々が続いた。高校1年の夏ごろから急激に体力が落ち、練習についていけなくなった。階段を上るだけで息切れがし、異常に疲れた。すぐに水分が欲しくなり、夜はトイレに何度も起きた。熟睡はできなかった。食欲も落ち、70キロあった体重は60キロまで落ちた。昨冬、コーチが異変に気付き、病院に行くよう促された。両親を通じ、中泉一豊監督やコーチ陣に 「野球部をやめたい」 と伝えると、菅原天城コーチらから 「しっかり休んで戻って来てほしい」 という言葉が返ってきた。そう聞いて、チームの役に立ちたいと思い直した。4階の教室に自力で上れず、チームメートがかばんを持ってくれたことも思い出した。マネジャーに転身し、2年の夏の秋田大会では記録員も務めた。服薬を続け、症状は和らいだ。昨秋には選手に復帰し、新チームで主将の大役を任された。「チームで一番声を出すし、非常に気がきく性格だから」。中泉監督は抜てきの理由を語る。だが、高校最後の大会まで1年を切っていた。「人一倍練習しないといけない」 と、オーバーワークになってしまうことも、しばしばあった。そんな時、「焦らなくていいんだよ」 というチームメートや家族の言葉が心の支えになった。甲子園出場を懸けた夏の秋田大会。打率5割3分8厘はチームトップ。チャンスメーカーとして11年ぶりの優勝に大きく貢献した。「支えてくれた人たちのために、全力プレーで感謝の気持ちを伝えたい」。そう誓って、大舞台のグラウンドに飛び出した。【高野裕士】