min秋田中央後藤弘康責任教師 → 令和4年秋田中央監督に。・令和3年第103回全国高校野球選手権秋田大会決勝 明桜-秋田南(こまち)。2018.5.01> 朝日新聞バーチャル高校野球 / 夏の甲子園の県代表の座は、球児にとって今も昔も最大の悲願だろう。秋田南は1964年の創部以来計3回、秋田大会の決勝に進んだ。だが、いまだに悲願はかなっていない。初の決勝進出は、第3シードで臨んだ86年の第68回大会。鋭いカーブが武器の本格派、後藤弘康さん (49) を中心に、並み居る強豪を制してきた。対する秋田工は、後にプロ入りする川辺忠義投手を擁し、チーム打率も3割5分を超えた。「相性が悪く、勝った記憶が無かった」。前日の準決勝からの連投だったが、赤沼新二監督からは 「死ぬ気で投げろ」 と言われていた。秋田南は初回から畳みかけた。川辺投手の直球を先頭打者がはじき返し、二塁打。犠打の後、3番打者の3球目。スクイズに慌てた川辺投手は捕球し損ね、内野安打に。先取点に秋田南のスタンドは沸いた。そこからは両投手の投げ合いとなった。後藤さんが意識したコースは外角低め。「『美学』 だからですよ。そこまで緻密には考えていなかったんです」。1点リードのまま迎えた5回、秋田南は1死一、三塁の好機を作った。後藤さんはスクイズを期待したが、サインは 「打て」。結局、右飛に倒れた。「まさに勝負のあや。少ない好機をもぎとらないと」 風向きが変わった。六回、被安打2だった後藤さんがつかまる。前日の準決勝で場外本塁打を放った4番打者に、意図せず四球を与えてしまった。一死一塁。「捕手で大柄」と無警戒だったが、初球で二盗を許した「チーム一の俊足だったそうです。情報不足だった」 5番打者は、第一打席に 「ど真ん中」 の直球で空振り三振していた。「今思うと、カーブだけをずっと待っていたんだと思う」 この打席。4球目の内角をえぐる縦カーブに、体勢を崩しながら食らいつかれた。打球は二塁手の頭上を越え、走者が一気に生還。試合は振り出しに--。7回、二死から打席に立ったのは秋田工の南都一己選手。カウントは3-1。外角低めを狙ったが、制球が乱れた。内角高めの球を振り抜かれた。左翼ポール際への本塁打。「こんなさばき方をするのか……」。淡々とベースを回る南都選手を見て、驚きとショックが入り交じった。最後まで追いつけなかった。「悔しさと疲れと、相手に向かい続けた孤独感があった」。ベンチの中で涙がこぼれ、宮腰亜希也主将と抱き合って泣いた。それでも、試合後の取材では 「このみんなで野球をやれて良かった」 と感謝の言葉があふれた。赤沼監督の誘いを機に、指導者の道へ。教員となった今でも、年3回は当時の仲間で集まる。「甲子園だけが全てではない。あうんの呼吸でわかり合える仲間を、卒業後も大事にしてほしい」(神野勇人) ※大仙市出身。明治大卒業後、角館や秋田工で監督や部長を務めた。昨春から秋田中央で部長。社会科教諭。