2222法政大学を卒業後、母校の秋田経法大付(今の明桜)に戻り、硬式野球部の指導を始めた。角館、西仙北などでも監督を務め、7年前に現在の秋田修英に赴任した。監督歴は30年近くになる。監督として春の選抜大会3回、夏の選手権大会5回の計8回、甲子園に出場した。鈴木さん自身も高校時代に選手として甲子園の土を踏み、「もう1回出たいな」 と強く思ったことが指導者への道へと歩ませた。今でも鮮明に覚えている、高校時代に見た甲子園の情景とは--。「球場の入り口から委員通路を下っていき、グラウンドに出る小さなステップを上がる。すると、目の高さにグラウンドの黒土が飛び込んできて、その後ろにはスコアボードやアルプス席がパーッと広がり、キラキラ光り輝いている。こんな美しいところがあるのか、と。何回行っても、素晴らしいところです」 長い監督生活で、教え子の中からプロ入りした選手は多い。中川申也投手(阪神)、小野仁投手(巨人など)、鎌田祐哉投手(ヤクルトなど)……。一人ひとりの個性を身近で見極めながら、彼らの能力を伸ばしてきた。現在、ソフトバンクに所属し、2011年から5シーズン連続で2けた勝利を挙げた摂津正投手もその1人だ。精密な制球力が持ち味で、冷静沈着なマウンドさばきにプロでも定評のある摂津投手だが、高校時代は違った。「最初は力任せな投球が目立った。もともと口数が少なく、負けん気が強い。少しでも打たれると、カーッとなって打者をねじ伏せようとして失敗する。ベンチから見ていると、よくわかる。今は賢い投球をします」。高校2年の秋ごろから、現在のような落ち着きが出てきたという。もし野球の監督をしていなかったら?「まったく想像がつかない」 と笑う。「高校生の成長を日々感じられるのが、この仕事のだいご味。少しだけ手助けをし、子どもたちに道をつくってあげている感じです」 投手の教え子で今でも思い出すのは、1996年の夏、秋田大会決勝でマウンドに上がった金沢博和投手だ。(山田佳毅) http://www.asahi.com/koshien/articles/ASKCJ7S1SKCJUBUB012.html