kiti<朝日新聞バーチャル高校野球> 「八回までの記憶はほとんどない。気づいたら終盤。でも、九回の攻防だけは鮮明に覚えている」。2008年8月4日の第90回記念大会1回戦。鳴門工 (徳島) と対戦した本荘の主将、二塁手の吉尾渉さん(26)はそう振り返る。鳴門工は五回までに2点を奪うが、本荘も七回に反撃。阿部竜也選手、吉田大樹選手の連打と内野ゴロで1点をもぎ取った。「秋田大会から弱いと言われたチーム。こういう点の取り方だった」、そのまま僅差で九回へ。先頭の吉尾さんが右前打で出塁。1死後、阿部選手の左中間二塁打で一気に本塁へ。アウトになりそうなタイミングだったが、送球が少しそれた。同点。「三塁コーチが泣きながら腕を回していた」、2死から池田恭介投手が右越えの適時二塁打。土壇場での逆転劇に、スタンドが揺れた。「球場全体がうちを応援する感じ。その雰囲気に乗った」、出場4度目、悲願の甲子園初勝利まであと3人。だが、鳴門工の先頭打者が安打で出塁すると、また球場がざわつき始めた。「面白い試合を観客は期待している。甲子園の雰囲気は、展開によって流される。独特な感じだった」、内野手がマウンドに集まった。ベンチから尾留川徹監督の指示を聞いた三船翔選手が飛び出した。指示の内容は 「犠打で送ってくる。1死二塁になったら、本塁打を打っている次の安岡瑞葵君と勝負」。だが――。選手たちに指示は伝わらなかった。甲子園の魔力か、緊張からか、指示内容が三船選手の頭から飛んでしまった。「伝令の内容は 『頑張れ』 『お前らなら大丈夫』。結局、話し合って、安岡君を歩かせて次の打者勝負で行こう、と」 敬遠するため、片村玄徳捕手が立ち上がると、ベンチの尾留川監督が 「えっ」 という表情で天を仰いだ。球場の雰囲気が一変した。勝負を望む観客の声がわき起こった。「バックネット向こうの銀傘が、僕らを押しつぶすように迫ってくる。こんな中で、よく恭介は投げているなと思った」 雰囲気にのまれたのか、次打者もストレートの四球で満塁。直後、下位打線に連続適時打を浴びた。あっけない幕切れだった。「両チームであいさつを交わした時、大きな拍手がわいた。今度は 『いい試合をありがとう』 という温かい拍手だった」 決断の末に負けた。だから仕方がない。尾留川監督も選手たちもそう思った。真相が分かったのは、その年の秋になってからだ。「甲子園は怖いところ。それがみんなの結論。でも、勝ち負けがすべてじゃないということを学んだ。僕にとって、高校3年間は濃すぎるくらいの時間だった」(山田佳毅) 。※吉尾渉主将、由利本荘市出身、本荘高を卒業し、2009年に同市消防本部の消防士に。今年3月、救急救命士の資格を取得した。