5167dc41<2021.10.19 スポニチアネックス> 正しくジャッジして当たり前…。日々、そんな重圧と戦っているのがプロスポーツの審判員だろう。特にプロ野球は世間の注目度が高く、審判員にスポットライトが当たるのは 「疑惑の判定」 や 「監督退場」 などネガティブな話題の時が多い。楽天の梨田昌孝監督(62)が、今月17日に秋田こまちスタジアムで行われたオリックス戦の6回に近鉄の02年、日本ハムの09年に続く監督通算3度目の退場処分を受けた。理由は5分以上の抗議による遅延行為だった。状況は0-2の6回2死二塁。藤田の中前に抜けそうなゴロを好捕したオリックスの遊撃手・安達の一塁送球がそれた。一塁手のモレルは倒れ込みながら捕球。一塁の佐藤純一審判員(55)のアウトの判定に指揮官は 「(捕球時に)モレルの足が(一塁)ベースから離れた」 と抗議した。判定は覆らず試合も敗れた。梨田監督と佐藤審判員には縁がある。近鉄の同僚で 「10・19」 も共闘した。優勝には連勝が条件だった88年10月19日のロッテとのダブルヘッダー (川崎球場) で佐藤審判員は初戦の3-3の9回1死二塁で代走出場も次打者の右前打で三塁をオーバーランして憤死。直後にミスをカバーする決勝打を放ったのが梨田監督だった。結局、2戦目は引き分けも胴上げ阻止のために全力で戦ったロッテとの激闘は感動を呼んだ。時代は巡り、梨田監督が近鉄監督就任2年目の01年にサヨナラでリーグ優勝を決めた9月26日のオリックス戦 (大阪ドーム)で 球審を務めたのも佐藤審判員だった。実際、元同僚ということもあるのか、抗議中は両者とも感情的になることはなかった。試合後、佐藤審判員も 「お互い、冷静に話していた。梨田監督には3分、4分と時間の経過は伝えていた」 と説明した。梨田監督も退場の宣告を受けたとは思えないほど冷静な様子でベンチ裏へと消えた。一夜明けた18日、秋田から岩手県営野球場に移動した梨田監督に、佐藤審判員のことを聞いた。「彼には不思議な縁を感じるよね。現役時代は肩が強い外野手だった。10・19も一緒に戦った。昭和63年かぁ…」。退場処分を受けた翌日にありがちな暗い雰囲気はなく、どこかうれしそうだった。記者も当時11歳でテレビ中継を食い入るように見ていた伝説の 「10・19」。かつての近鉄戦士たちは、監督として、審判員として、現在もプロ野球界を盛り上げている (記者コラム・山田忠範)。