narayama楢山グラウンド界隈 <平成24年2月投稿、齋藤一洋氏ブログより紹介>。 「楢山グラウンド」。秋田市にお住まいの方で、今、この名前を聞いてすぐわかる方は少なくなったのではないでしょうか。かく言う自分も、両親から聞かされていなければ馴染みの無かった名前です。 この楢山グラウンド、秋田市南通築地にある現在の中通総合病院の一帯にあったグラウンドです。今月、中通病院の増改築が報道され、平成25年8月頃には、自分の実家付近の風景もまた大きく変わりそうな気配です。病院の隣には、子供の頃に友達と遊んだ中通児童館、そして駐車場が遊び場となっていた旧千秋会館があり、この2つの建物も、移転や解体となるようです。楢山グラウンドの歴史を調べてみると、明治33年、秋田中学(現秋田高校)の野球場として整備され、地元新聞社主催の全県少年野球大会や全県中等学校野球大会が開催されるなど、一般にも開放さて、秋田市民に 「楢山グラウンド」 として馴染んだのだそうです。中通児童館南東角には 「楢山グラウンド跡地の碑」 が建っています。 さて、楢山グラウンド、実は忘れてはならないのは 「秋田県ラグビー発祥の地」 であることです。大正12年にこの地で秋田運動クラブにより始めてのラグビーの練習が行われ、同年9月には、秋田運動クラブと秋田鉱専 (現秋田大学工学資源科学部の前身) の試合も開催された場所とのことです。昭和58年には、中通児童館西側、旧千秋会館敷地内に 「秋田県ラグビー発祥の地」 の記念碑が建立されています。 さてその後、この地には昭和7年NHK秋田放送局が立ち、番組放送を開始。自分が父親から聞かされていたのはこの時代からの記憶。電波塔が建つ風景は、南通周辺に住んでいた方々には懐かしいものなのでしょう。NHKは昭和39年に山王地区に移転。そして中通総合病院が建ったのでした。病院北東角に建つ 「NHK秋田放送局の地」 の標柱。南隣には、盲学校があったことも自分の記憶にうっすらと残っています。