
<毎日新聞2015年03月11日地方版> 「甲子園での経験は社会に出た時、必ず役に立つ」。自身の渡米・メジャー挑戦と重ねて、夢舞台に立つ後輩たちにエールを送るのは美郷町の会社員、後松重栄さん(36)だ。大曲工エースとして1996年秋、東北大会に初出場。最速142キロの直球で躍進の立役者となったが 「バックに恵まれた」 と謙遜する。夏の県予選は高熱で点滴を打ちながらのマウンドで、甲子園には届かなかった。「高校時代に戻れるのなら戻りたい」。悔しさをぶつけるように卒業後、日本プロ野球を経ずに米メジャーリーグに初挑戦。ニューヨークメッツとマイナー契約し大フィーバーに。「あんな騒ぎになるとは。若げの至り」 言葉も文化も全てが異なる中、中南米や欧州からベースボールに人生をかける若者が集った。移籍や解雇がいつ決まってもいいように大荷物を持参し球場入り。ロッカーに赤いメモが張り付けられると、オーナーから解雇を告げられる。「えらいところに来た」渡米2年後の2000年2月、一時帰国中に美郷町の自宅近くで交通事故に遭う。野球で痛めていた背中を強打し、医師からはヘルニアが悪化し、手術しても全快する保証はできないと告げられた。日本のプロ野球は視野になく、引退した。「好きなことで飯を食うのがいかに難しいか」 後遺症で今も右足のしびれが消えない。だが、20代で知らない世界を見て、社会の厳しさを知ったことは無駄ではなかった。後輩には 「秋田で井の中の蛙(かわず)で終わらないでほしい」。4月上旬に結婚することが決まり、母校の甲子園初出場は二重の喜びとなった。披露宴準備などで観戦は難しそうだが、「厳しい言葉で仲間同士、励まし合ってほしい。上には上がいることを知り、それでもプロを目指すなら、アドバイスは惜しまない」 と話した。【中村俊甫】