oomagarikoutuusin朝日新聞でも紹介、現在西仙北高校非常勤講師、71歳。  【2015.2.17】<毎日新聞2015年02月16日地方版> −−1995年から10年間にわたり部長を務めた。阿部大樹監督(1996年〜)と二人三脚で今の強い野球部の礎を築いた。思い返せば、良いチームになってほしいと全力で取り組んだ10年だった。だから、センバツが決まった時はただうれしかった。ついにやったぞ、って。ぼくは野球が好きだけど、技術的な指導はできない。だから生活指導や人格形成の部分でかかわれればと思っていた。大工(大曲工)着任はぼくが93年、阿部先生は94年。阿部先生は最初コーチで、ぼくは3年目から部長だった。−−ほとんど毎日、保護者宛ての手紙を書いていた。その名も 「大工野球部便り」 だ通算で2955号になった。3000号までもう少しだったんだけど。冊子にまとめたら、11冊になったよ。学校から配る 「学級通信」 の野球部版のつもり。子どもたちが普段どんな活動をして、顧問たち、つまり監督や部長の考えを伝えようと思った。練習試合の結果はその日のうちに載せていたね。−−「便り」には、礼儀や身だしなみの大切さを書き続けた。野球は礼儀を重んじるスポーツ。だから、野球部員である前に大工生の模範となる生徒を育てたかった。阿部先生も同じだった。素直さ、感謝の気持ちを持つこと、謙虚さ。この三つのキーワードを生徒が大切にしてくれるよう、気を配った。 ぼくたちの教えに納得してくれた子は野球でも伸びたな。でも、引退した3年生の服装が乱れていて、阿部先生と一緒にため息をつくこともあった。−−大曲工で退職し、今は雄物川で野球部長をしている。実は今も野球部便りを書いているんだ。雄物川野球部の今の合言葉は「大工に追い付け、追い越せ」。県南地区の学校にとって、大工は大きな目標となっている。そのことは知っておいてほしいね。−−ライバルでもある今の大曲工野球部へのメッセージは。結果が出るようになったのは、阿部先生のこれまでの取り組みが間違っていなかったから。センバツでも、これまで通りに全力で精いっぱいぶつかっていけば、結果はついてくると思う。ぼくは合宿のついでに、雄物川野球部のみんなと甲子園球場に応援しに行くと思う。がんばれ!【聞き手・中村俊甫】