1972昭和47年夏第54回大会 2回戦大曲工4-1大館鳳鳴、3回戦大曲工7-4十和田、4回戦大曲工5-4横手、準決勝大曲工0-4金足農、秋田市立と金足農が西奥羽大会出場。−−野球部が初めて県4強入りした1972年当時のレギュラー。母校の甲子園出場を心待ちにしていた。 この10年ほど、ずっと期待していた。もしかして甲子園に手が届くんじゃないかって。ここまでなるとは夢にも思わなかった。めざましい伸びだと思う。−−70年に入学し、4強入りした時は3年生。部の創立から10年目だった。今使っている室内練習場はまだ無かったな。日が暮れるとベースランニングばっかりだった。午後7時過ぎには練習も終わり。冬は雪の上でラグビーをやって体力や走力を高めたもんだよ。守備位置はショート。捕球練習には特に力を入れていた。(コーチから途中で監督になった佐々木)千代志さんに1000本ノックみたいな厳しい練習をしてもらったな。−−佐々木さんは野球部の生え抜きで、年齢の近い監督だった。6歳年上。若くて、打撃投手をしてもなかなか打てなかった。足も速くてね。ぬるいプレーをするとわーっと怒鳴られたよ。 ぼくら3年は合わせて4人で、部員は20人ちょっと。勝てたのは後輩たちの力が大きかった。だからかな、若い指導者の下、チームワークはとても良かったと思う。−−卒業から40年余りが経っても、野球部が何かと気に掛かる。やっぱり母校だからね。娘が大曲の野球部でマネジャーをしていた時は参ったけど。今の阿部大樹監督はご近所さん。その縁もあって、夏の県大会なんかは応援に行く。勤務先の大曲エンパイヤホテルは、部のOB会や父母会の集まりでもよく使ってもらっている。みんなで 「センバツが無事に決まってほしい」 と話していたので、今回はほっとしたな。−−かつて在籍した頃と今のチームを比べて思うことは。比べられないよ。体格もパワーも全然違う。試合で打球の速さを見て驚いた。千代志さんはまだまだと言っているけれど。昔は中央地区の強豪校の打球に驚かされたけれども、今のチームは東北大会でも強豪校にまったく名前で負けていない。すごいことだよ。還暦を迎えたんだ。その節目のセンバツ出場。球場には絶対に行く。OBが大勢集まって、スタンドは同窓会状態だろう。勝って校歌を聞きたいね。【聞き手・中村俊甫】