oomagarikou<毎日新聞2015年02月13日地方版>−−在任期間は歴代最長の23年。1971年から第3代監督を務めた。母校だし、やるからには少しでも長くとは思っていた。でも、まさかここまでできるとはね。皆さんに感謝しています。−−野球部創設2年目の64年に3期生として入学し、現役時代は投手として活躍した。歴代監督でも野球部OBは一人だけだ。新しい高校なら、すぐ試合に出られるかと思ってね。道具がなくて、手をしびれさせながら竹のバットで練習したのが懐かしいよ。監督になったのは、どうしても地元で野球がやりたかったから。一度は千葉で就職したけど、当時の時田二郎監督に頼んでコーチをさせてもらった。その後監督を継いだんだ。出身校の監督で良かったこと?選手と同じ目線で前に向かう気持ちを持てたことかな。有名校に負けまいと必死に練習したよ。−−就任2年目の夏に県4強入り。さっそく成果を出した。メンバーに恵まれたんだよ。実はその年、練習に来なかった主力選手を3人も辞めさせた。厳しくて、評判は良くなかったかもしれない。残念ながら、強豪校には小差で負けることが多かった。−−94年から4年間、横手工(現横手清陵)に移った。大曲工に戻ると阿部大樹監督が指導していた。阿部さんはぼくと入れ違いでコーチになり、監督に“昇格”した。その指導が軌道に乗り始めていたので、監督に戻りたいと思わなかった。でも手が回らないというので、指導を手伝うようになったんだ。5年前に退職してからも、ちょくちょくグラウンドには来ているよ。家も近くだし、気になってさ。そうそう、父親も大工(だいこう)(大曲工)野球部だった子が、気付いただけでこれまでに4人もいるんだ。うれしいよね。同じ大工、しかも野球部を選んでくれて。父親が嫌がったら、そうはならない。−−センバツ出場を決めた今のチームに思うことは。今のチームが強くなったのは、目標になる3年生がいたからだよ。甲子園に手が届きそうだった先輩たちから学んだところは大きい。体格は細いけれど、昨秋の東北大会の頃よりは一回り大きくなっているね。センバツは、一勝と言わず何度でも勝ってほしいよ。【聞き手・中村俊甫】