suzaki(一部抜粋) この洲崎橋にはかつて「洲崎パラダイス」と書かれた大きな門が建っていた。そしてこれより海側は洲崎遊郭、遊郭街だったのである。洲崎遊郭は、明治半ばに根津にあった遊郭が移転してきたもの。陸地から隔てられている埋立地は遊郭街の移転先にぴったりだったのだろう。かつてこの海っぺりの洲崎遊郭ではしゃいだ男たちがいたことは事実である。洲崎遊郭は戦後もしばらく存続していたが、1957年に売春防止法が施行されたことをきっかけに姿を消し、今ではごく普通の住宅地に生まれ変わっている。(プロ野球PRESS 鼠入昌史 )<2015.2.11> 洲崎球場のポール際 プロ野球の 「聖地」 に輝いた一瞬の光 (森田創著、講談社)。東京下町、戦前は遊郭で賑わった洲崎にプロ野球専用の球場ができたのは、昭和11(1936)年のこと。沢村栄治がノーヒットノーランを演じ、伝統の巨人阪神戦がここではじまった。しかし、わずか1年後の昭和12年にできた後楽園球場にその場を奪われ球史から消えてゆく。2014年は、巨人が誕生してから80年、来年は阪神がそれに続く。 「悲劇の球場」 の詳細を野球少年だった著者が丹念な調査のもと蘇らせる。講談社HP  洲崎球場は、かつて東京都江東区新砂一丁目付近に所在した木造の野球場で、1036年に開場。日本プロ野球草創期に上井草球場と共に東京地区のプロ野球常打ち球場の一つとなっていた。