日刊スポーツ / 東北高監督時代にダルビッシュらを育てた名将、若生正広(わこう・まさひろ)氏が27日朝、宮城県仙台市内で、肝臓がんのため死去した。70歳だった。家族に見守られ、眠るように息を引き取ったという。若生氏は07年に黄色靱帯(じんたい)骨化症を発症。一時は回復し歩けるようになったが、13年に腰を骨折し車いす生活に。近年は持病の糖尿に加え、肝臓がんを発症した。昨年3月まで埼玉栄監督を務め、治療を続けながらグラウンドに通い続けた。高校野球指導33年、春夏合わせて11回も甲子園へ導いた。「甲子園に行ったら、人間的に自信がつく。子供が成長できる場所。なかなか味わえないものだからね」と生涯をかけて子供たちと聖地を目指し続けた。埼玉栄を退いた後も、教え子が監督を務める地元のシニアで指導することもあった。先週は九州へシニア関係者を訪ねていたが、その際、体調を崩し、仙台へ戻り治療していた。◆若生正広 1950年(昭25)9月17日生まれ、宮城県仙台市生まれ。68年、東北(宮城)3年時、夏の甲子園に主将でエースとして出場。法大、社会人野球チャイルドでプレーした後、埼玉栄の監督を経て93年秋から母校の監督に。春5回、夏2回甲子園に導き03年夏は準優勝。04年に退任し055年から九州国際大付(福岡)で監督を務め、11年センバツ準優勝。15年から埼玉栄の監督、19年から総監督。20年春に退任した。<2019.4.05> 東北、九州国際大付などを指揮し、甲子園で2度準優勝の実績を持ち、2015年から埼玉栄を率いてきた若生正広監督 (68) が勇退して総監督に就任。東北高監督時代にダルビッシュ有投手を擁した2003年夏、九州国際大付では2011年春と2度決勝進出したが、どちらも準優勝にとどまった。33年間で春夏の甲子園に計11度出場、通算16勝11敗、後任監督は、2013年から1度監督を務めていた山田孝次部長 (35)。<2015.2.06> 九州国際大付前監督若生正広氏(64、社会人野球チャイルド-法政大-東北、甲子園春夏11度出場)が、2015(平成27年)4月に埼玉栄監督に就任することになった。3年ぶり出場の昨年の甲子園大会で1回戦敗退して勇退したが、1987(昭和62年)に監督としてスタートした埼玉栄 (甲子園2度出場) で再び甲子園を目指すことになった。若生監督は東北時代にエースとして活躍 (甲子園出場)、同校監督を務めていた2003 (平成16年) 夏にダルビッシュ投手を擁して甲子園準優勝。2005 (平成18年) から九州国際大監督に転じ2011 (平成23年) 春にも準優勝。2007 (平成19年) に特定疾患の脊椎靭帯骨化症の一種である黄色靭帯骨化症を患い、昨年夏の大会は車いすで指揮した。昨年のドラフト会議では清水優心捕手が日本ハム2位、古沢勝吾内野手がソフトバンク3位で指名された。
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