mizu1月10日早朝、突然の訃報が入ってきました。あなたは87年、巨人軍に入団し、選手、コーチ、そして監督付きマネジャーとして長きに渡り友人であり、そして戦友でもありました。特に2008年より監督付マネジャーとして、私はあなたに支えていただきました。共に戦い、共に喜び、共に悔しがり、たくさんの思い出を作りました。 WBCの世界一。2度の日本一。常に前向きで堂々としているあなたの姿に、私は勇気づけられたものです。素直な心、感謝する気持ち。私もあなたに教えていただきました。 おいしいものを食べるのが大好きで、感動したものは必ず写真を撮っていましたね。ワインのことも全く知らなかったミズ。最初に2人で飲んだワイン覚えていますよね。シャンベルタンです。「ナポレオンがこよなく愛したワインだよ」 と説明をしましたよね。その味が相当気に入ったんだね。そんな機会があるたび、シャンベルタン、シャンベルタンと。ミズ、本当に味がわかっていたんですか?WBCで、サンディエゴで試合をしましたね。その時サンディエゴ動物園に散歩に行こうと決め、ホテルからタクシーに乗りましたよね。その時にタクシーの運転手さんに 「gotoアニマルパーク」 とミズは言って、キョトンとされましたね。その時は、少し僕が手伝ったような気がします。今思えばあれが最後のシーズンでした。2012年、5冠を達成し最高の年でした。シーズンオフ、私はあなたを 「健康診断に一緒に行こう」 と誘いました。いつものように 「ありがとございます。お願いします」 と言って向かいました。そこからちょっと辛かったな。旅行にも行きましたね。そしてその年のV旅行の日がやってきました。あなたは、家族と先生とよく話をして、V旅行に行く事を選択しましたね。久しぶりに成田空港で再会をしました。私は何も言わずにあなたを抱きしめ、あなたも私を抱きしめました。「共に戦おう」。と言葉を搾り出しました。みんなに好かれたミズ。たくさんの人が力になってくれたな。弱音をはかず、ただただ元気になり現場に戻るんだ!その希望の中、頑張りましたね。2013年1月から始まった治療、4月、5月、6月。まさに順調でした。「ミズ、オールスター以降、現場復帰目指そう」。私は本気で言い、あなたも本気でそう思いましたね。姿かたちも全く変わらず、食欲も見事でした。しかしかないませんでしたね。「ミズ。ちょっと早かったな。もう少し時間をかけよう、焦らずにまた頑張ろう」「また、1から頑張ります」。そう明るく私に答えてくれましたね。私はあなたが亡くなる日の夕方、電話をしましたね。少し体力が落ちていた事は気付いていましたが「ミズ、ちょっとしんどそうだな。もう少し体力が上がって元気になってから病院に行くよ」 「そうしてください。頑張ります」。それが最後の言葉でした。ミズ、俺は悲しい。早すぎる別れだな。でもミズは精いっぱい、全速力で頑張りました。あなたが愛した家族、奥様、2人のお嬢様、そして参列してくださっている皆さま。今はみんな悲しい。でもあなたが教えてくれた、くよくよせずに前向きに進む。この事はみんな分かっています。 ミズ、ミズはそんなことを心配せずに、天国に行ってまずはゆっくり休んでください。だって頑張ったぜ。ミズ。そして元気になったら天国から家族、みんなを見守ってください。安らかに。水沢薫、さようなら。読売巨人軍監督、原辰徳。