「高校野球特別規則・17」 (高校野球特別ルール)策定に至った背景。1972(昭和47年)夏の東洋大姫路前原正弘選手(166cm)がファウルで粘って四球を選ぶカット打法で兵庫大会12打数0安打10四球、これがバントか否かで議論を呼び、迎えた甲子園大会初戦対習志野戦(郷司球審)の初回二死1、2塁の場面で2度カット打法でファウル、1度目に習志野の捕手が 「バントだ」 とアピールし、2度目に球審から 「フォロースルーをするように」 と警告され、その後はカット打法せずに2打数0安打(四球0)の結果に。【2013.8.21】甲子園で活躍した佐藤涼平選手(155cm)を慕って花巻東に入学した千葉翔太選手(156cm)のカット打法が準決勝で事実上の禁止に。 千葉選手の一部のカット打法が、「高校野球特別規則・17」 (高校野球特別ルール)に抵触すると判断されたたためで、その内容は、「バントとはバットをスイングしないで内野をゆるく転がるように意識的にミートした打球である。自分の好む投球を待つために、打者が意識的にファウルするような、いわゆるカット打法は、そのときの打者の動作 (バットをスイングしたか否か) により、審判員がバントと判断する場合もある」 というもの。バットのグリップを空けたバントの構えからバスターエンドランのように持ち直してカットする打球の一部が、審判員にバントと判断された場合には、スリーバントでアウトになる(高野連はカット打法自体を禁止していない)。小兵千葉選手の日頃の創意工夫で守備位置を勝ち取り、甲子園でも活躍している様子は全国の体の小さな選手に勇気と希望とやる気を与えたのは間違いなく、大会本部(高野連)の指導するタイミングのまずさもあり後味の悪い準決勝敗戦となった。