通夜には、高田繁・張本勲・柴田勲など球界関係者をはじめとする500名近くが参列して別れを惜しんだ。<2020> 野球評論家の張本勲
氏がロッテドラフト1位指名の佐々木朗希投手(18=岩手・大船渡高)について「すごい投手が出てきたなって思いました。驚いたねえ」とひと言。そして「私は高校出で5、6人いいの見てますよ。例えば尾崎 (行雄=東映)、17歳で出て来て20勝した。池永 (正明=西鉄)、森安 (敏明=東映)、大谷 (翔平=現エンゼルス)松坂 (大輔=現西武)ランクをあげたらどうでしょう。速さなら尾崎、2番目に佐々木が入りますよ。163キロって言ってるけどね、下半身鍛えたらもっと出ますよ。3番目が大谷、4番目が松坂。大谷は5年しかいなかったからね。ここ3年くらいでうまくなるかなって思ってたんだけど米国行った。松坂は20勝1回もしてないからね。まあ (佐々木朗の) ランキングはトップクラス、球の速さ。これでフォークがいい、カットボールがいいというからね、楽しみだねえ」と話した。【2014.1.14】
昭和36年秋田国体での法政二の柴田勲投手との対戦でも 尾崎投手の投球は「強烈な印象の一言」。【2013.6.13】「怪童」 の異名をとった伝説の豪速球投手尾崎行雄さん(68)が2013 (平成25年) 6月13日、肺がんのため急死。今年5月から体調不良を訴え今月初めに東京都内の病院に入院していた。大阪浪商 (現大体大浪商) の1年夏からエースを務め3季連続で甲子園出場。2年時の1961(昭和36年)夏の甲子園で優勝、その後17歳で高校を中退し東映に入団。1年目の1962(昭和37年)には20勝を挙げて、球団初のリーグ制覇に貢献、新人王獲得。1965(昭和40年)には27勝12敗で最多勝投手に輝いたが、右肩の故障もあってプロとしての活躍の時期は短く29歳の若さで現役を引退。法政二柴田勲投手 (元巨人)
との対決は名勝負として語り草。浪商、東映の先輩に張本勲氏、高校の1年後輩に元巨人高田繁氏。