minami夏には勝てなかった2人のエース、小林直樹 (秋田南-五城目一)-大山幸喜 (能代-能代二)。昭和57年春、秋田南小林と能代大山は全県大会決勝で投げ合っていた。結果は、大山の能代が6-5で優勝したが、両者共に夏本番の大会決勝でも再戦するものと確信していた。小林と大山は、昭和56年夏の秋田県大会3回戦でも投げ合っており、この時は秋田南が延長の末1-0で勝利、かくして決着をつけるべく夏本番に3度目の対戦が期待されたが、ついに実現することはなかった。小林は高校1年の夏からマウンドに立ち、速球と大きなカーブで秋田南投手陣を支えていた。とりわけ経大付松本豊との投げ合いは2度とも延長にもつれ込む熱戦で秋田県高校野球史に残る投手戦だった。(高校1年秋の中央地区初戦で経大付が延長10回1-0で勝利したが、もし経大付が敗れていればその後の東北大会優勝も翌春センバツベスト8も幻に終わっていた)。小林は高校1年からひたすら投げ続けたが、最も甲子園に近づいたのが高校2年の秋、主戦として主将としてまた中心打者として初の全県制覇を果たし、臨んだ地元開催の東北大会。初戦で強豪仙台育英に勝利し、周囲の期待が大きく膨らみセンバツ王手のかかった準決勝の日大山形戦、結果はまさかの不調で4-10で敗戦、それまでの練習試合では日大山形を圧倒していたのに、、、、、。(平成9年10月発行「熱球通信」より再掲)<秋田南昭和56秋季秋田県大会決勝先発選手>[三]菅原神城(2、羽城)、[中]松田功(2、城東)、[一]斎藤誠(2、城南)、[投]○小林直樹(2、五城目一)、[右]鈴木隆(2、秋田西)、[二]斎藤智(1、秋田南)、[左]土井商一(2、土崎)、[遊]菊地良知(1、五城目一)、[捕]東海林健(1、秋田西)、浅野良裕(1、協和)、大塚晃(1、秋田西)、清水幸代(1、外旭川)、清水忍(1、城東)、長門幸雄(2、城南)、船木憲一(2、秋田東)、佐藤恵一(2、城南)、清水毅彦(2、秋田南)、[責]畠山貞蔵、[監]赤沼新二、[記]杉山安生(2、山王)。