tsuruoka第104回甲子園大会、鶴岡東初戦広島盈進に勝利。・令和元年春季東北地区高校野球大会 準決勝 明桜 (旧 秋田経法大付)-鶴岡東 (旧 鶴商学園)。<2016.1.14> 平成23年夏甲子園出場 鶴岡東(鶴商学園-鶴岡商)野球部の監督を長年務めた田中英則氏が、8月12日の甲子園初戦対智弁戦を控えた2011(平成23年)8月8日、鶴岡市内の病院で急性循環不全のため死去、64歳。恩師の訃報を受けた鶴岡東佐藤俊監督は、号泣しながら 「田中先生のために校歌を」 とナインに訴え、試合後  「今日のプレーを天国から見ていてくれたと思う。これを新しい歴史にしたい」  とコメント。田中英則監督は、秋田県大館市出身で大館工から立正大に進学、卒業後の1970(昭和45年)に社会科教諭として赴任。同時に野球部監督に就任し、1978 (昭和53年) 夏選手権、1979 (昭和54年) 春センバツに君島厚志投手 (秋田県田代中) を擁して甲子園に出場。79年春センバツ大会では天理に勝利し、池田に敗退。1981 (昭和56年) 夏選手権にも甲子園出場を果たし1991 (平成3年) に監督を退任。甲子園初出場時は、人口10万人の城下町からの初めての甲子園出場で 「鶴岡市はおおいに沸いた」 と新聞報道。監督在任中は、三浦第三監督や嶋崎久美監督などと積極的に交流を図り、秋田県と山形県の高校野球発展の架け橋のさきがけとなった。<余談> 県南大曲の花館中出身の三浦第三選手と県北大館の大館一中出身の石戸四六選手は 「館」 つながりで秋田商時代から懇意。石戸投手が秋田商入学時の主戦は佐々木吉郎投手。