
キタトシオ氏、山際淳司の『スローカープを、もう一球』で、群馬県屈指の進学校である高崎高校の野球部が予想外の「怪進撃」を続けた結果、監督が校長に電話で「もう旅費がありません」と泣きつくシーンは面白かった。<2019.10.29> 1981年春の選抜高校野球大会に群馬県立高崎高の主戦投手として出場し、10月22日に56歳で亡くなった川端俊介さんの告別式が26日、同市内で営まれた。告別式では、当時バッテリーを組み、社会人になってからも球を受けてきた宮下洋之さんが弔辞。<2012.3.26> 32年前の秋季関東大会、「山なりの球」 で高崎旋風 (準優勝) を巻き起こし、山際淳司 「スローカーブをもう一球」 でも紹介された右腕川端俊介氏 (48) が高崎-近江戦を観戦 (試合はノーゲーム)。現役当時はマスコミの取材依頼が相次ぎ、センバツ大会では、星稜高校に被安打13、1-11で敗退した。
<2011.11.26> 西本幸雄監督と江夏豊投手と言えばやはり山際淳司 「スローカーブをもう一球」 。1979年日本シリーズ近鉄-広島戦で西本幸雄監督と対戦し、第7戦で伝説の 「江夏の21球」 を演じた江夏豊氏 (63)
は、西本氏の訃報に接し 「西本さんと言えばあの日本シリーズがすぐに頭に浮かぶ。寂しいよね」
としみじみ。【2011.4.05】 もう古典の範疇に入りましたか、山際淳司 「スローカーブをもう一球」。<紹介文より> 高校野球に題材を取った
「八月のカクテル光線」、プロ野球屈指の投手江夏豊の勝負を描いた 「江夏の21球」、自分一人でも出場の機会があると思った津田真男のボート (シングルスカル) での闘い 「たった一人のオリンピック」、ふとしたきっかけから高校野球からプロ野球に入った 「背番号94」、シティ・ボーイのボクサーの物語 「ザ・シティ・ボクサー」、バドミントンからスカッシュに鞍替えした 「ジムナジウムのスーパーマン」、弱小高校野球部の投手と監督を描いた 「スローカーブを、もう一球」(第8回日本ノンフィクション賞受賞)、そして棒高跳選手の 「ポール・ヴォルダー」 の8篇収録。
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