katuzou60秋田県軟式野球連盟六十年史(平成18年12月1日発行)でも詳しく紹介。明治40年5月14日、現在の秋田市千秋矢留町生まれ。秋田中(甲子園出場)から慶応義塾大学→ノンプロ東京クラブと進み、昭和7年の都市対抗で優勝。ポジションは主に捕手。昭和11年プロ野球草創期の大東京軍に入団し、永井武雄監督解任を受け選手兼任監督1号に、戦績は2勝27敗3分。戦後秋田に帰郷し、県内実業野球の育成や母校秋田高の指導にあたる。創業した妻の実家の家業を助けるべく再上京し、秋田高校野球部OB会「東京矢留会」を設立。昭和57年2月10日、74歳で逝去。没後も「伊藤勝三基金」「伊藤勝三スポーツ振興基金」を通して秋田県スポーツ界を支援。・時事通信社 「時空甲子園」 秋田高校 秋田中時代からの伝統を誇る名門。1915年、夏の第1回大会に出場し準優勝。決勝で延長13回の熱戦の末にサヨナラ負けした。投の大久保、打の成田で65年にもベスト4。後藤、石井、滝田と並ぶ中軸打線は強力。プロで162本塁打放った 「男・石井」 の長打力に期待したい。猿田は慶大で主将。同じ慶大成田の打撃も勝負強い。投手陣の層が薄いのはやや気がかり。捕手の人材が豊富。伊藤も本職は捕手、戦前の大東京で監督を務めた。 [遊] 猿田和三、[中] 成田憲明、[二] ★後藤光尊、[三] ★石井浩郎、[左] ★滝田政治、[右] ★小西秀朗、[一] ★伊藤勝三、[捕] ★阿部茂樹、[投] 大久保正樹、齋藤新、太田政直、菅原朗仁、★永井洋二郎、高田環樹、菅原勇輝、佐藤翔、石井勇悦、小野巧。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%8B%9D%E4%B8%89