8回日本シリーズに駒を進め一度も頂点に立つことができなかった男が「悲運の名将」西本幸雄。<2020.11.25> 今年はオリックスの前身 阪急ブレーブスの監督だった西本幸雄氏(享年91)生誕100年。<2011.11.29> 平成23年11月25日に91歳で死去した西本幸雄氏の通夜が11月28日、兵庫県西宮市の斎場で営まれ、元阪急の山田久志氏、福本豊氏や近鉄時代の教え子の梨田昌孝前日本ハム監督ら球界関係者が多数参列。山田久志氏は「つらくて悲しくて。まだ気持ちの整理がつかない。監督というより人生の師匠。おかげで素晴らしい野球人生を送らせていただいた」と感謝の言葉。【2011.11.26】プロ野球阪急や近鉄で監督を務め、パ・リーグ優勝を8回果たした名将、西本幸雄氏が平成23年11月25日午後8時40分、心不全のため宝塚市の自宅で死去、91歳。西本氏は和歌山市出身、旧制和歌山中-立教大(主将)から戦後、星野組に入り、一塁手兼監督として活躍し、1949年の都市対抗野球で優勝。1950年毎日オリオンズ結成時に入団し、1955年に現役引退。1960年に大毎監督となってパ・リーグ優勝を果たす。1963~1973年に阪急監督で5回、1974~1981年に近鉄監督で2回パ・リーグを制したが、日本シリーズでは1度も優勝できず、「悲運の闘将」と呼ばれた。監督通算1384勝1163敗118分(勝利数歴代6位)。選手の心を掌握し、努力型の選手を開花させる監督術は、巨人9連覇の川上哲治監督の「川上管理野球」と対比された。1988年野球殿堂入り。【2011.11.27】西本幸雄氏スポニチ紙連載「我が道」 阪急ブレーブス昭和の屋台骨「昭和44年トリオ」の項。トリオとは加藤英司・福本豊・山田久志の各氏。山田氏に言及した項 『山田は富士鉄(現新日鉄)釜石の時に腰を痛め、入団が半年遅れた。故障が癒えた2年目の70年から打たれようが、負けようが、どんどん使った。52試合登板、10勝17敗の成績が物語る。一見した時、下手から浮き上がるような快速球に、将来を託せる投手だと思ったからだ。練習中「もっと制球力を付けろ」と言うと「速けりゃ打たれません」と横を向く、向こう気の強さもあった。戦経験さえ積ませれば、必ずエースになると踏んでいた。』
記事検索
人気記事
カテゴリ別アーカイブ
QRコード
記事検索
月別アーカイブ
カテゴリ別アーカイブ
記事検索
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。