「都市対抗野球大会60年史」(日本野球連盟、毎日新聞社)球宴人物マップ(秋田県)の項より抜粋。東北屈指の野球県。秋田中(高)と秋田商がライバル意識をたぎらせたのも、好選手を生んだ要因となっている。しかし、有力な企業が少ないこともあって、高校球児、大学の俊英は他県に流出。真夏の球宴に初名乗りをあげるのは昭和38年と、東北ではしんがり。秋田の一番乗りを果たしたのが帝国石油(秋田市)。昭和32年、小出敏造(明治大)、川上英俊(学習院大)の2人の大学出身投手を擁して秋田県予選に初参加。翌年には、伊藤俊成(秋田高、秋田トヨペット)の加入などでチーム力を強化。6年後に二次予選決勝進出を果たした。仙台鉄道度管理局と初代表の座をかけた試合は、斎藤誠(酒田東)が左翼席にサヨナラ本塁打。伊藤、捕手の鈴木美徳(秋田商)、中軸の栗林芳光(大曲高)らが小躍りした。
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