思いつくまま徒然に、脈絡は全くありません、敬称略。昭和40年夏甲子園大会、秋田高校ベスト4の背番号1は左の鐙文行が付けていたが、2年生大久保正樹がは1回戦大鉄、2回戦日大二戦でロングリリーフ好投。昭和46年秋田市立高校、高橋 (範) がエースナンバーだが船木千代美がロングのリリーフ。昭和48年秋田高校、ファースト小野巧 (八郎潟) がエース高原宏 (八郎潟) をリリーフして好投。昭和49年秋田市立、エースは石崎透 (高清水) だが、控えの鷲谷亘 (秋田北) は他チームではエースだったろう。昭和61年秋田商、エースは山岡政志 (下浜)、藤原博直 (羽城) も好投手だった。昭和55年秋田商、エースは高山郁夫 (花岡)、控えは背番号1で主将の安保 (八幡平)、他にも今野、山本英樹 (秋田南) と多彩だった。平成5年経法大付、2年小野仁 (泉)がエース格、控えには左の小島英人 (泉) と右の小倉克芳 (勝平) がいた。また捕手の西山純 (西部) と外野手多田勝 (左近山)は元レギュラー。平成6年秋田高校、エースは今利浩 (協和) で控えの下手 / 池田智 (大正寺)と上手 / 松田真拓 (八郎潟)の両右腕は完投能力十分だった。新チーム秋のレギュラー大和田平 (城南)もスーパーサブ。平成7年金足農、ベスト8進出のエースナンバーは千葉純 (勝平) だったが、故障のため一塁 / 佐藤慶和 (合川) がエース格で右の外野手佐藤直人 (勝平) と加藤優貴 (大潟) もマウンドに上がった。平成8年春秋田高校、後藤光尊 (八郎潟) がエースで本格派の神谷了 (協和) と技巧派の森康隆 (秋田南) が後ろに控えた。三塁には控えながら2年の伊藤元志 (男鹿南)が先発で出場した。同年夏、経法大付エース左腕金沢博和 (花輪二) の他にも右の鎌田祐哉(秋田北)。野手組では前の4番の三浦怜也 (神代) もいた。平成9年秋田商、エースは石川雅規 (秋田北)、サブで信田道輝 (西仙北東)、根元喬 (稲川) それに1年の伊藤大吾 (城東)。平成10年金足農、田口正也 (河辺) はエース左腕佐藤佑 (城東) に劣らないサウスポーだった。
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