2人はエースで4番で左のスラッガー 後藤光尊(秋田-八郎潟、右左、176/73) -
佐藤力(秋田南主将-五城目一、左左、176/75)。以下平成11年1月発行 「熱球通信」 からの再掲、去年のアジア大会、日本は韓国に惨敗したが、その中でキラリと光る一撃があった。後藤光尊がドジャースのエースでもあるパク投手から打った左中間二塁打である (予選リーグの対台湾戦でも本塁打)。東京六大学法政大進学も直ぐに退学し、もう活躍できないのではと周囲を心配させたが、高校の先輩でもある齋藤正直監督の社会人野球川崎製鉄千葉に入社し、1年目からサードのレギュラーとして都市対抗準優勝に貢献した(そして全日本入り)。一方の佐藤力は、高1春のリーグ戦から投手兼任で一塁を守っていたが (中学の1年先輩石井智之投手とどちらが先輩かと見紛う位の堂々さ)、彼のバッティングのセンスは際立っていた。その後、体も出来て名前通りの力強いバッティングで常に秋田南の中軸として活躍、さらに2年の秋からはサウスポーエースとしてチームの投打の大黒柱となる。後藤は中学時代に野球で全県大会に出場しただけでなくラグビーでもSOとして活躍し全国大会に出場、究極の選択で野球を選択し、高1の秋から投手としてまた打者として活躍。高2秋の東北大会で優勝投手となり、続く明治神宮大会では場外ホームランを放ち松山商 (翌年夏全国優勝) に勝利している。中学時代から野球の盛んな南秋田郡区でライバルであった2人。球歴では佐藤がいつも後藤の後塵を拝していたが、ついに平成8年夏の県大会3回戦で秋田後藤投手と対戦し、今まで苦手としていた後藤から本塁打のおまけ付きで快勝。秋田南はベスト4ま進んだが悲願の甲子園には届かなかった。エースで4番で主将の佐藤力の高校野球は終わった。両者共にエースで4番としてチームを引っ張ったが共通しているのは投手としてより左のスラッガーとしての印象が強いことである。身長は共に175cm前後と大きくないが(体重差もあまりないが外見は対照的)、リストの効いたバッティングが持ち味だった(通算本塁打後藤40本以上、佐藤もそれに劣らない数字)。
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