1987 昭和62年第69回甲子園秋田大会決勝は、圧倒的強さで進出してきた第1シード 秋田経法大付とノーシードながらバランスのとれた攻守でコマを進めてきた県南の伝統校 角館の対戦に。経法大付は春の全県大会と東北大会でも優勝しており、マウンドには常に若松かプロ注目水沢が立っていた。角館の浅利にとっては、中学時代からどうしても超えられない大きな 「壁」それが水沢だった。共に仙北地区の中学出身で、2年で全県優勝投手になり、3年時にも全県出場を果たしている水沢の生保内中は、浅利の角館中にとってはまさしく天敵だった。そして今再びその大きな壁に挑む時が来た。浅利は角館の中軸で、守備も遊撃手と攻守の要、前日の秋田中央戦でも本塁打を放ち、確かな手ごたえを感じていた。が、結果は佐々木修の連投の疲れもあり、1ー7で経法大付に敗退。浅利の甲子園への夢はついえたが、水沢に対しては3打数1安打(二塁打、1三振)の内容で、試合には敗れたが、中学からのライバル水沢からの二塁打は大きな自信になった。水沢は中学時代から注目の右腕で、オフにはスキーアルペンで全県優勝するなど抜群の運動神経を魅せていた、高校卒業時に広島からドラフト指名されプロへ進んだが、現役中は故障に泣かされ、1軍のマウンドに立つことは出来なかった。( 敬称略 平成9年8月「熱球通信」からの再掲 )<昭和62年夏 秋田経法大付
登録選手>[投]水沢英樹(3、生保内)[捕]○ 佐々木一幸(3、平和)[一]若松寿樹(3、比内)[二]土屋治巳(3、川柳)[三]西巻健一郎(3、岩崎)[遊]田中亮(2、山王)[左]佐藤康典(3、土崎)[中]鈴木由和(3、川柳)[右]古屋吉則(3、大曲西)佐々木卓哉(3、大曲)平林卓郎(3、越谷南)成田敦(3、鷹巣)長谷部建一(3、秋田西)佐々木誠(3、山王)今野新二(2、豊岩)嵯峨猛(2、山王)若林秀樹(3、川柳)[責]古谷孝男[監]鈴木寿 。<昭和62年夏 角館 登録選手>[投]佐々木修(3、西明寺)[捕]○ 村上浩樹(3、中仙)[一]森元寿文(3、角館)[二]高橋亮(3、角館)[三]佐々木直行
(3、角館)[遊]浅利昌彦(3、角館)[左]草彅慎也(3、生保内)[中]草彅大輔(3、豊成)[右]藤田貴士(3、中仙)藤田喜士(3、中仙)高橋博之(2、大田)石塚仁(2、生保内)戸堀賢太郎(3、中仙)佐藤雅和(2、大曲)柴田清史(3、生保内)佐々木英樹(2、豊成)田口慎二(1、生保内)[責]才田一展、[監]塚田博 。 ※2012 平成24年天皇賜杯第67回全日本軟式野球大会 (10/27~、沖縄県) 出場 TDK 浅利昌彦監督 「 会社・職場・家族に感謝し、チーム一丸となって戦います 」


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