
中川申也、斎藤幸治選手と同期の阿部浩人選手 詳細は <
BALL PARK AKITA> ・全国を沸かせた秋田経法大付 中川申也(投、阪神入団) vs 斎藤幸治(内、東芝入社)。昭和63年第54回全県少年野球大会決勝戦、中川(山内村立山内中学校)と斎藤(秋田市立城南中学校)は共に初優勝を狙っていた。試合は戦前の予想通り、両投手の投げ合いとなり延長戦の末、勝利の女神は斎藤に微笑んだ。中川は試合後倒れ、救急車で病院に搬送 (歴史に残る決勝戦)。中学卒業後は偶然か両者共に秋田経法大付に進学し、合宿所も同室となった。まず最初に頭角を表したのは中川の方だったが、それはそれは鮮烈なデビューだった (詳細省略、夏甲子園大会で一躍全国区)。秋田経法大付は翌年の春センバツにも出場するが、故障中の中川の代役として斎藤が地区大会好投した所産であった。その斎藤は、その後不運にも故障し、春センバツでの投板はならなかった (念願の甲子園初投板は2年夏の甲子園3回戦対横浜商戦)。試合は不運な内野安打で痛恨のサヨナラ負け。高3年時は中軸4番として活躍したが、結局甲子園出場はならなかった。<平成3年夏秋
田経法大付登録選手> [投]中川申也(3.山内)、[捕]永井英樹(3、鷹巣)、[一]斎藤幸治(3、城南)、[二]○深川昌幸(3、山王)、[三]
阿部浩人(3、土崎)、[遊]杉本公三(3、五里合)、[左]三浦義弘(3、秋田東)、[中]明石幸治(3、大館一)、[右]土門康典(3、城南)、間藤哲(2、花輪一)、伊藤芳朗(3、大館一)、田中直人(2、秋田北)、秋山芳弘(3、上野)、古谷広明(2、豊岩)、小玉塁(1、羽城)、小島英人(1、泉)、高田健二(1、角館)、[部]古谷孝男、[監]鈴木寿。
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