2024年01月
2/17.18と秋田でセミナーします。
— 高島 誠⚾︎野球パフォーマンスアップスペシャリスト (@littlemac0042) January 22, 2024
ご興味ある方はよろしくお願いします。
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太田アナも「キマッたーーー」叫んでいるけど会場のみんなも叫んでいたよ!!!
— Lulit (@OneLoveLulit) January 28, 2024
反りに行った時一瞬時が止まった感じがしてゾクゾクした!この空気感を体感できて幸せだ!記憶に残る一番!凄かったーーー pic.twitter.com/DI7JLF77uv





<オリックス> 牧田勝吾、山口和男、谷口悦司、小松聖、下山真二、乾絵美、早川大輔、縞田拓弥、岡崎大輔、小林敦、佐野如一。<ロッテ> 松本尚樹、高橋薫、榎康弘、柳沼強、福澤洋一、中川隆治、田中良平、三家和真、黒木純司、有吉優樹、永森大士。<ソフトバンク> 永井智浩、福山龍太郎、作山和英、宮田善久、松本輝、福元淳史、稲嶺誉、大本将吾、加藤領健、古澤勝吾、山本省吾、小川一夫。<楽天> 後関昌彦、愛敬尚史、益田大介、沖原佳典、部坂俊之、山田潤、足立祐一、 岩見雅紀、大久保勝也。<西武> 渡辺久信、潮崎哲也、前田俊郎、渡辺智男、水澤英樹(北海道・東北、広島-秋田経法大付-生保内)、竹下潤、後藤光貴、鈴木敬洋、十亀剣、安達俊也、岳野竜也、上本達之。 <日本ハム> 大渕隆、山本一徳、山田正雄、白井康勝、高橋憲幸、坂本晃一、飯山裕志、熊崎誠也、加藤竜人、荻田圭、石本努。

左/本荘 阿部光投手(2、象潟) 右/経法大付 水沢英樹投手(2、生保内)


元秋田県立能代高校硬式野球部監督の太田久氏(77)が2014平成26年1月23日午前8時18分、肺がんのため能代市内の病院で死去、葬儀は1月26日、能代市芝童森の能代典礼会館セレモで、喪主は妻和子さん。1961昭和36年 に母校の能代高校硬式野球部監督に就任。1963年夏、後にプロ野球入りした簾内政雄投手を擁して初の甲子園出場、1977、78年の夏には甲子園連続出場。教え子にはプロ通算284勝山田久志氏 (野球殿堂入り)、大沢勉氏らがいる。< 昭和52年夏甲子園出場能代高校登録選手 > [投]高松直志、[捕]東海林憲昭、[一]平川浩司、[二]佐藤明彦、[三]菅野政喜、[遊]佐藤弘人、[左]石井温志、[中]平川晃一、[右]佐藤哲士、大谷幸一、大友尚樹、市川基、田口清司、近藤亮悦、[責]金谷晴隆、[監]太田久。 http://www.hokuu.co.jp/2010koramu/0729kousiennto.html



<新聞報道> 鎌倉学園硬式野球部100周年記念祝賀会 令和6年1月21日、横浜市中区のホテルで開催。同部は1921年創部。これまで春の選抜大会に2度出場し、夏の神奈川大会決勝に6度進出。長らく監督を務めた武田隆・現副校長が「名門と言われているが、大きな宿題が夏の甲子園出場。何とか頑張って、重い扉を開けて欲しい」とあいさつ。竹内智一監督は「選手一人一人に全力で関わり、頑張ります」と応じた。<2018.7.27> 第100回全国高校野球選手権記念大会南神奈川大会準決勝、鎌倉学園が横浜創学館に5-4で競り勝ち、決勝進出、スタンドは歴代OBで埋まった。ベイスターズなどでプレーした若田部健一さんとともに1987年夏に神奈川4強入りした二塁手の岩田光徳さん (49) は 「今までで一番甲子園に近い代。鎌学の“K”の重みを背負って必ず行ってくれるはず」 と期待を込めた。88年夏の決勝を指揮した元監督の武田隆教頭 (62) は 「30年は長かった。素直にうれしい」 と自らの労苦も重ねて喜んだ。夏初制覇への6度目の挑戦に向け 「優勝と準優勝では天と地の差。自分は地獄を味わった。何としても勝ってほしい」 と思いを託した。【2018.4.26】神奈川新聞 高校野球連載 「鎌倉学園最強世代」。http://www.kanaloco.jp/ 【2011.7.07、朝日新聞神奈川版】日本高野連と朝日新聞社が高校野球の発展に貢献した指導者を表彰する 「育成功労賞」 に県内から鎌倉学園の前監督、武田隆さん(55) が選ばれた。元プロ野球・ダイエーの若田部健一投手らを育てた名監督だ。10日の神奈川大会開会式で表彰される。 早大を卒業した1978年に赴任してから09年10月まで同校一筋で指導した武田さん。受賞に 「名誉なこと。長く指導したのを評価してもらえたのかな」 とはにかんだ。 赴任時、部員はたった15人。古豪はどん底に落ちていた。「まさにゼロからのスタートだった」 青年監督はスパルタ式の練習で選手を鍛えた。「思い返すとめちゃくちゃだったが、選手がよくついてきてくれた」。成果は着実に表れ、2年目は16強、3年目は4強に進出。常に強豪の一角として神奈川の高校野球を盛り上げた。 長い監督生活で、忘れられない試合が二つある。 一つは若田部投手を擁して臨んだ87年夏の準決勝。相手は前年の覇者、横浜商だった。「若田部は制球も球速も抜群だったから、外角の出し入れだけで抑えられた。そこをY校が読み、外角を狙って踏み込んできた」。序盤の6失点を追いつけず敗退。神奈川の厳しさを思い知った。 もう1試合は翌88年夏の決勝。エースの指のマメがつぶれ、法政二に打ち込まれて敗戦した。「初戦からエースを使い続けた僕は、度胸がなかったんだね」。決勝に1度、準決勝に3度導きながら、甲子園出場はついにかなわなかった。「もう一度できるなら、あの2試合をしたいよ」 「言い訳、泣き言、人のせい、この三つは絶対ダメ」と厳しい指導を貫いた。厳しさの中に温かさがあると信じてきた。事実、厳しく接した子ほど、卒業後も訪ねてきてくれた。 その信念が数年前から揺らいできた。「僕のエネルギーがなくなったのか、生徒の気質が変わったのか」。折しも教え子3人が教員として学校に戻ってきた。「引き際だ」 と09年秋の県大会4強進出を花道に監督から退いた。 今は本業の体育教師の傍ら、鎌倉学園中学の野球部を指導する。高校生を鍛え上げた昔と違い、野球を楽しめるよう心がける。「おじいちゃんが孫を教えているようなものだから」。やさしいまなざしでつぶやいた。「この子たちが高校野球で活躍するのが楽しみなんだよ」。(安富崇)

秋田商 原田北翔内野手(2、山王)

秋田商 松橋星羅投手(2、城南)
<新聞報道> 米大リーグ ブルージェイズの菊池雄星投手(32、花巻東)が球児たちにメジャー級のプレゼントを贈る。高校時代を過ごした岩手県花巻市に11月、最新機器を備えた屋内練習施設をオープンすると発表。専用ホームページでは「 岩手に恩返しをしたかった。プロを目指してトレーニングする場所になったら 」とビデオメッセージを寄せた。施設名は「 King of the Hill 」。「 ヒル 」はマウンドを指し、大リーグではエースピッチャーに対する敬称だという。岩手からこう呼ばれる選手が誕生してほしいとの思いを込めた。投球の軌道や回転数を計測する機器や動作解析カメラなど最新設備を設置し、専門スタッフとトレーナーによる指導も受けられる。

