
右|福良淳一オリックス・バファローズゼネラルマネージャー兼チーム編成部長(GM)
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令和5年11月25日午前に福岡市内の佐ケ嶽部屋宿舎で断髪式、最高位 西幕下58枚目。<2018.2.6> 横綱白鵬主催の 『白鵬杯』 小学5,6年時優勝。<新聞報道> 大館東中学校3年伊藤暉さん(15、大館市)が大相撲の佐渡ケ嶽部屋(松戸市)に入門し2月5日、佐渡ケ嶽親方(49、元関脇・琴ノ若)に付き添われ故郷を後にした。伊藤さんは 「活躍し、地元に明るいニュースを届けたい」 と意気込んでいる。伊藤さんは身長175センチ、体重115キロ。家族に勧められ、有浦小学校1年生から相撲を始めた。大相撲入りのきっかけは、4年生の時に出場したわんぱく相撲全国大会。予選で敗れて悔し涙を流していたところに、当たりの強さや土俵際での粘りに素質を感じた佐渡ケ嶽親方から 「泣かなくても大丈夫。中学校を卒業したら入門しないか」 と声を掛けられたという。同大会には5、6年生でも出場し、6年生の時に準優勝した。

平成19年秋田わか杉国体に向けての中学校選抜交流試合。<紅組>[投]武田成輝(本荘南)、鷲尾拓也(東雲)、倉田圭一郎(太田)、佐々木俊康(能代東)、今野陽介(南外)、佐藤貴臣(雄勝)、[捕]斉藤亮悦(大曲)、門間裕匡(羽城)、[内]伊藤大樹(五城目一)、鎌田偉成(下北手)、藤田竜矢(山本)、長岐章公(鷹巣南)、佐藤和樹(秋田東)、[外]藤原和弘(大曲)、夏井正貴(男鹿南)、高田裕也(勝平)、[監]池端和俊(山本)。<白組>[投]青羽俊(常盤)、小山内圭祐(山本)、岩谷佳生(矢立)、蘭藤伸茂(西明寺)、田代貴規(勝平)、[捕]鎌田哲(大正寺)、若狭良成(秋田東)、[内]小松研吾(城南)、柴田遼太郎(高瀬)、渡邊雄太(大曲)、加藤誠也(天王)、目黒慎也(男鹿南)、吉田公(八郎潟)、和田知也(協和)、[外]後藤将司(山本)、阿部孔達(大館一)、[監]成田政己(下川沿)。 ※誤字脱字訂正加筆 jstaff@cna.ne.jp
[投手] ・佐々木俊康 (3、秋田-能代東、181/80、右右)打撃注目だが投げても最速138キロ。・鷲尾拓也 (3、能代--東雲、168/67、右右)テンポよく制球、球のキレ抜群。・今野陽介 (3、金足農-南外、180/71、右右)140キロ近い速球で大会屈指の右腕。・佐藤真太朗 (3、鷹巣農林-比内、183/71、右右)上、横、下の 「3投流」 で相手を惑わす。・村越大豪 (3、秋田工-下北手、178/69、右右)整ったフォーム から137キロの直球。・小林直哉 (2、合川-合川、176/76、右右)すでにドラフト候補の139キロ右腕。[野手] ・杉沼慶 (3、秋田中央-土崎、173/70、右右)パンチある打撃で抜群の出塁率。・小出健介 (3、秋田中央-男鹿北、172/75、右右)1番杉沼をかえす勝負強い2番。・伊岡森渉 (3、大曲工-仙北、175/72、右右)春県大会7打数7安打10割打者。・松枝奨 (3、平成-金沢、185/73、右右)走攻守バランスいい大型遊撃手。・高橋真一 (2、秋田商-雄勝、182/80、右右)フルスイング魅力の2年生4番。
8回日本シリーズに駒を進め一度も頂点に立つことができなかった男が「悲運の名将」西本幸雄。<2020.11.25> 今年はオリックスの前身 阪急ブレーブスの監督だった西本幸雄氏(享年91)生誕100年。<2011.11.29> 平成23年11月25日に91歳で死去した西本幸雄氏の通夜が11月28日、兵庫県西宮市の斎場で営まれ、元阪急の山田久志氏、福本豊氏や近鉄時代の教え子の梨田昌孝前日本ハム監督ら球界関係者が多数参列。山田久志氏は「つらくて悲しくて。まだ気持ちの整理がつかない。監督というより人生の師匠。おかげで素晴らしい野球人生を送らせていただいた」と感謝の言葉。【2011.11.26】プロ野球阪急や近鉄で監督を務め、パ・リーグ優勝を8回果たした名将、西本幸雄氏が平成23年11月25日午後8時40分、心不全のため宝塚市の自宅で死去、91歳。西本氏は和歌山市出身、旧制和歌山中-立教大(主将)から戦後、星野組に入り、一塁手兼監督として活躍し、1949年の都市対抗野球で優勝。1950年毎日オリオンズ結成時に入団し、1955年に現役引退。1960年に大毎監督となってパ・リーグ優勝を果たす。1963~1973年に阪急監督で5回、1974~1981年に近鉄監督で2回パ・リーグを制したが、日本シリーズでは1度も優勝できず、「悲運の闘将」と呼ばれた。監督通算1384勝1163敗118分(勝利数歴代6位)。選手の心を掌握し、努力型の選手を開花させる監督術は、巨人9連覇の川上哲治監督の「川上管理野球」と対比された。1988年野球殿堂入り。【2011.11.27】西本幸雄氏スポニチ紙連載「我が道」 阪急ブレーブス昭和の屋台骨「昭和44年トリオ」の項。トリオとは加藤英司・福本豊・山田久志の各氏。山田氏に言及した項 『山田は富士鉄(現新日鉄)釜石の時に腰を痛め、入団が半年遅れた。故障が癒えた2年目の70年から打たれようが、負けようが、どんどん使った。52試合登板、10勝17敗の成績が物語る。一見した時、下手から浮き上がるような快速球に、将来を託せる投手だと思ったからだ。練習中「もっと制球力を付けろ」と言うと「速けりゃ打たれません」と横を向く、向こう気の強さもあった。戦経験さえ積ませれば、必ずエースになると踏んでいた。』
宮城県立泉館山高校野球部大塚大監督。<2014.7.10> 平成26年全国高校野球選手権宮城大会2回戦 仙台東2-3東北、大塚大監督(40)は 「いい働きをしてくれました」 とエースをねぎらった。・1992平成4年春季高校野球秋田県大会 準決勝 能代5ー4大曲農、好投手左腕大農湊谷秀樹投手(太田、182/78、打では4番) から記録となる1試合3連続本塁打を放った能代3番大塚大外野手(鷹巣主将、180/76、早稲田大進学、両親高校教師)、拡張された八橋球場での3本塁打の内訳は、① 左中間、② 左中間、③ 追い風に乗っての左翼場外と文句なしの飛距離。本塁打は前年の地区大会で放った1本以来というのは実に意外な感が。続く東北大会でも対田村(福島)戦で場外本塁打等計2本。この年の能代高校( ユニフォーム / オリックスブルーウェーブイメージ、レギュラー平均177.8cm ) はドラフト候補選手が多数在籍しており、成田&村上のWエースで夏甲子園大会でも上位を狙えた大型チームだった。


1992平成4年11月21日 プロ野球ドラフト会議で阪神が竹内昌也投手を2位指名。・竹内昌也投手は2002年から中日の打撃投手、2015年からスコアラー。・社会人野球NTT東北の先輩・後輩 大塚広己(能代商-能代南)- 竹内昌也(本荘-象潟)。昭和63年第70回記念大会の甲子園秋田大会決勝は、強力打線の能代商と2年生の好投手竹内を擁する本荘との対決となった。戦前は、3回戦からすべてコールド勝ちの強力打線能代商の有利かと思われたが、本荘竹内投手が9安打打たれながらも能代商を3点に抑える粘投を見せ、本荘打線も疲れの見えた大塚投手から初回に4点を奪い結局5-3で勝利して甲子園行きの切符を手にした。注目の竹内と大塚の直接対決は4打数2安打2打点1本塁打の大塚に軍配。竹内は、象潟中2年時から大型投手として注目され、本荘進学後2年で甲子園出場、卒業後NTT東北からドラフト2位で阪神入団。一方の大塚は、サウスポーの技巧派投手兼スラッガーとしてチームを引っ張り、171cmと小柄ながら鋭い打球を飛ばしパワーも十分であった。もう少し上背があればプロでも十分やれる好素材であったと思う。(敬称略、平成9年3月発行「熱球通信」からの再掲)


