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佐賀県三養基郡基山町の私立東明館高校野球部員がパワーハラスメントを受けたとして監督の退任を求めた問題で、学校側は「明確なパワハラは認められない」との調査結果を公表。男性は今年8月に監督を退任していて、学校側は「懲戒などの処分は行わない」方針。<2021.8.5> 私立東明館高野球部監督の30代男性教諭からパワハラを受けたと訴える文書が同校に届いた問題で、同校は8月4日、監督が3日付で退任し、当面の間は休部することを明らかにした。3日夜に開いた野球部の保護者会で説明した。<2023.8.3>東明館の野球部監督の30代男性教諭から繰り返しパワーハラスメントを受けたとして、部員が学校側に退任を求めていることが8月2日、分かった。<2022.10.26> 2021年夏の甲子園に出場した東明館高校(佐賀県三養基郡基山町、学校法人東明館学園)は10月25日、野球部監督を務める30代の男性教諭が、部員に常習的な暴言などのパワハラをしたとして停職7日の懲戒処分にしていたことを発表した。処分は17日付で、23日までだった。高校によると、9月12日にパワハラを通報する匿名文書が高校に届き、校内調査をもとに、同19日に第三者でつくるハラスメント審査委員会を立ち上げた。委員会は今月11日、監督の行為の一部がパワハラに当たるとの報告書を提出した。暴言のほか、威圧的な立ち振る舞いもあり、部員がけがを報告しにくい雰囲気があった。一連の行為が原因で数人の部員が辞めたという。同監督は19年8月に就任し、21年夏の甲子園に出場した。高校は県高野連を通じて日本高野連に報告した。


野呂田 漸(秋田中央高校→中央大学②)
— ちなハム (@nhfdraftpro2) October 28, 2023
二塁送球 pic.twitter.com/LcLpfI0iLM







<日刊スポーツ> 青森山田は、秋季高校野球東北大会で8年ぶり2度目の優勝。来春のセンバツ出場が確実となった。青森山田の「 6番二塁 」伊藤英司内野手(1年)は、秋田・潟上市出身。小学生時代には金足農のエース吉田大輝投手(1年)とバッテリーを組み、今夏甲子園準Vメンバーの仙台育英・登藤海優史内野手(2年)とは小中学校のチームメートだった(中略)秋田・天王小1年から「 天王ヴィクトリーズ 」で野球を開始。5年秋から投手・吉田、捕手・伊藤のバッテリーが誕生した。伊藤は吉田のボールの威力をよく覚えている。「 ピンチの場面になると思い切り投げて『 絶対打たせたくない 』というのが、球から分かりました 」卒団後は吉田とともに天王中に進学。だが、伊藤は秋田北シニア、吉田は軟式野球とチームは別々となった。伊藤は同シニアで内野手に転向。そこには天王ヴィクトリーズの1年先輩、登藤がいた。「 守備がすごくうまくて、自分もショートで後ろで見ていたんですけど、それをまねしてやるようにしていました。守備も教えてくれて優しい先輩でした 」伊藤は秋の青森県大会からベンチ入り。「( 登藤さんは )甲子園に出て堂々とプレーしているのはすごい。自分も県大会に出て緊張したが、甲子園だともっとあるはず 」と、甲子園準優勝メンバーとなった登藤を尊敬している。同じ甲子園出場を目指すかつてのチームメートから刺激を受け、大きな夢ができた。「 いつか甲子園で金足農や仙台育英とやりたい 」。全国舞台での再会を心待ちにし、負けじとレベルアップする。【相沢孔志】
オリックス・高山郁夫投手コーチ(61))が退任することが10月26日、分かった。高山コーチは14、15年と18年から今季までの計8年間在籍。20年にはヘッドコーチも務め、選手に寄り添う指導で人望が厚かった。若手時代の山本や山岡をチームの中心選手に育て、今季は育成部門を担当。高卒1年目の斎藤や日高を付きっきりで指導し、斎藤は1軍デビューを果たした。今後については未定としている。<2017.10.29> オリックスは10月29日、新コーチングスタッフを発表、1軍には高山郁夫投手コーチ (55) が復帰。<2015.10.04> 秋田県の県北地区からやってきた秋田商2人の好投手。昭和55年10月第35回国体硬式野球競技(宇都宮市)1回戦対広陵戦で秋田商主将安保浩幸はマウンドに上がっていた。7回表一死一、三塁の場面。先発山内をリリーフしてのもので、これが春季全県大会準決勝対金足農戦(5イニング)を投げて以来の背番号1をつけた高校野球最後のマウンドだった。この大会、秋田商は投打(特に打線)がうまくかみ合い準優勝に輝いている。昭和53年秋の秋田市内リーグ戦で秋田商ベンチには一際背の高い高山郁夫がいた。ヒョロっとして体は出来ていなかったが、とても印象的なシーンだった。高山は中学時代、県大会地区予選決勝で戸田投手(大館鳳鳴)の大館一中に3-11で大敗し(大館一中は全県準優勝)、中学時代はそれほど脚光を浴びなかった。その戸田投手とは高校時代、公式戦で3度対戦しているが、特に高3年夏の3回戦(戸田も好投)であわやノーヒットノーランの13奪三振で知名度が全国区となった。安保の方は、八幡平中時代から注目の下手投げの好投手として中学での実績は高山より上であった。秋田商入学後もすぐに頭角をあらわし、高1秋の県大会で好投(優勝)。2年からは高山とチームの柱となり、夏県大会決勝で大館商を完封し甲子園出場(甲子園では高山-安保のリレーも広島商に2-5で敗退)。同年秋には2枚看板が完全に定着し、安保は主将でエースナンバー、高山は背番号11のエースに。東北大会は初戦安保が先発、次戦は高山先発。決勝は高山-安保のリレーで元西武の安部他の強力打線東北を7安打(試合は2-4で準優勝)。翌年の春センバツ初戦は高山の140km代の速球が冴えて6-1 で鹿児島商工に快勝。2回戦対静岡戦は安保先発で初回に3ランを被弾、急遽の高山のロングリリーフ、延長10回打線の爆発で9-3でベスト8入り。準々決勝は伊東(ヤクルト)の帝京に0-2で敗戦も打線は帝京を上回る8安打、高山も被安打5の好投で背番号11のエースとしてプロ注目の投手に。秋田県民期待の最後の夏。予選はほとんど高山が登板、決勝で強打の能代を退け3季連続で甲子園へ。安保は不調のため秋田大会での出番はなかったが、主将としてまた一塁コーチャーとして選手に声をかけ続けた。そして迎えた甲子園初戦、田川には辛勝したが次戦瀬田工布施に打線が沈黙し、高山もいつもの球速が見られず0-3で敗戦、2人の夏が終わった。(敬称略) ※以上平成9年12月発行「熱球通信」よりの再掲。

巨人は10月25日、中央大 西舘勇陽投手(21)を26日のドラフト会議で1位指名する方針を固めた。<2019.8.26> 8月25日の結団式で、日本代表団長で育英高校監督として1993年全国制覇を果たした日下篤氏 (64=高野連理事) が居眠り。<2019.8.22> ・20選手中学時代所属団体( ボーイズ7名、部活動4名、シニア4名、ヤング4名、ポニー1名)・高校日本代表選手20人 優勝校履正社からの選出なし。▽ 投手 (9人) 佐々木朗希 (3、大船渡)浅田将汰 (3、有明)池田陽佑 (3、智弁和歌山)前佑囲斗 (3、津田学園)飯塚脩人 (3、習志野)西 純矢 (3、創志学園)宮城大弥 (3、興南)奥川恭伸 (3、星稜)林 優樹 (3、近江)▽ 捕手 (2人)山瀬慎之助 (3、星稜)水上 桂 (3、明石商)▽ 内野手 (7人) 森 敬斗 (3、桐蔭学園)武岡龍世 (3、八戸学院光星)石川昂弥 (3、東邦)韮沢雄也 (3、花咲徳栄)遠藤 成 (3、東海大相模)坂下翔馬 (3、智弁学園)熊田任洋 (3、東邦)▽ 外野手 (2人) 鵜沼魁斗 (2、東海大相模)横山陽樹 (2、作新学院)。U18W杯杯 世界野球ソフトボール連盟 (WBSC) が主催する18歳以下による世界大会。81年に始まり今回が29度目。日本が高校日本代表で臨むのは04年が最初で、今回が6度目。優勝はなく、4度の準優勝が最高成績。1次ラウンド(R)は2組各6チームで総当たり戦を行い、各組上位3チームがスーパーRに進出。スーパーRの上位2チームで決勝を争う。今大会から球数制限が導入される。※ 今回選出されなかった主な選手 西舘勇陽(花巻東)清水大成(履正社)中森俊介(明石商)及川雅貴(横浜)井上広輝(日大三)東妻純平(智弁和歌山)黒川史陽(智弁和歌山)杉田翔太郎(敦賀気比)内山壮真(星稜)井上広大(履正社)桃谷惟吹(履正社)野村健太(山梨学院)。




2014平成26年 10月23日 午前1時55分、急性心筋梗塞のため能代市内の病院で死去、73歳。1982昭和57年能代高校軟式野球部監督6年目の第27回全国大会で初優勝。能代商教頭、能代高教頭を経て1999年から2002年まで旧米内沢高校校長。 監督6年目で全国一に 小玉徳征能代高軟式野球部監督(八森町) 第二十七回全国高校軟式野球選手権大会は八月二十五日から三十日までの六日間、兵庫県の明石公園、高砂両球場を会場に行われた。大会には、全国各地から予選を勝ち抜いてきた十八校が参加、熱戦を展開した。最終日(三十日)の決勝戦(明石公園球場)では、奥羽代表として出場した本県の能代高が東中国代表の玉野高(岡山県)と対戦。延長十三回、三時間二十四分という熱闘の末、能代が4-3と劇的な逆転勝ちして初優勝を逐げた。同校軟式野球部は昭和二十七年の創立。今年で三十周年を迎えている。全国大会へは四十九年に初出場。この時はベスト8まで勝ち進んだ。五十四年からは連続して奥羽大会を勝ち抜き、今年で四年連続五回目の全国大会出場であった。