★ 備忘録 「 熱球通信 」 特定非営利活動法人秋田県野球フォーラム ★

「 熱球通信 」は特定非営利活動法人秋田県野球フォーラム会員有志による備忘録を兼ねた「 秋田県野球 」にこだわった私的ブログです。掲載している記録等については公式なものではありませんのでご注意願います。リンク等についてはオールフリーですので事前のメール等一切不要です。更新頻度は原則毎日の更新です。秋田県出身で県外に在住の方も念頭に更新していきますが、内容等一部については地元情報と時差が生じる場合があります。練習試合・親善試合の結果情報は原則掲載しません。また、コメント送信欄と掲示板については諸般の事情により対応していません。積極的な中学硬式野球と女子野球の紹介にも努めていきます。

2022年11月

57cd9f70元プロ野球選手 江川卓氏が11月11日、テレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」に生出演。<2016.11.20> 作新学院元監督で昭和37年に史上初の甲子園春夏連覇に導き、江川卓氏らを育てた山本理氏が11月19日午前2時頃、栃木県内の自宅で死去、83歳。<2015.2.10> 高校2年夏、栃木県予選2回戦でノーヒットノーラン達成、さらに3回戦の石橋戦では完全試合、準々決勝でもノーヒットノーランと、27回を投げて失点0、奪三振47記録。準決勝の小山戦も10回までノーヒットノーランだったが、11回にサヨナラスクイズを決められ、甲子園出場はならなかった<2011.1.10> 松井優史著 「真実の一球-怪物・江川はなぜ史上最高と呼ばれるのか-」(竹書房)、作新学院時代の江川は間違いなく160キロを投げていた!!作新学院江川卓、『怪物伝説』 の軌跡と真相!高校1年生秋、江川卓が最も速い球を投げた、10連続三振の前橋工業戦での新事実とは?江川に投げ勝った男、江川の影で耐えた男たちのエピソードを交え、作新学院・江川卓 「怪物伝説」 の軌跡と真相に迫るノンフィクション。<2009.10.10> サトウ八チロー 「雨に散った江川投手」雨のために江川投手は 敗戦投手となった 彼のことだから雨をうらんだりはしない 敗けましたと大きくうなづき深いためいきをもらした 晴天つづきだった今度の大会に 雨が落ちた それもものすごいどしゃぶりだった 普通なら中止だっただが延長戦になっていたのでつづけた 天を仰いで応援団は 嘆きと悲しみの底に沈み ナインの胸にはこの雨が 生涯忘れることの出来ないものとなったこんな雨は 又とない雨だ 甲子園の雨は ものすごい音がする わたしはそれをよく知っている すぎし日に わたしはそれを唄った 雨に散った江川投手の心に この日の雨はしみこんだにちがいない 心の底までぬらしたにちがいないわたしはその姿を目に浮かべまつ毛をびしょびしょにぬらしていた わたしは雨を愛した詩人だ だがわたしは江川投手を愛する故に この日から雨がきらいになった わたしは雨をたたえる詩に別れて雨の詩はもう作らないとこころにきめた。

anh日本学生野球協会は11月15日、東京都内で審査室会議を開き、今夏の全国高校選手権に出場した聖望学園(私、埼玉)は部員12人による飲酒や喫煙が発覚し、10月22日から1カ月の対外試合禁止処分とした。大阪市内の野球場の女子トイレに盗撮目的で侵入した審判員は除名。その他高校8件の処分は次の通り。<謹慎>・東野(私、埼玉)の部長 部内体罰=9月23日から1カ月・鴨川令徳(私、千葉)の監督 部内暴力=9月20日から3カ月・桜ケ丘(山口)の部長 部内体罰と報告義務違反=5月1日から7カ月・水城(私、茨城)の監督 部内暴言=10月12日から1カ月・東明館(私、佐賀)の監督 部内不適切発言=9月12日から6カ月・校名非公表の監督 部内不適切指導=9月17日から6カ月・信太(府、大阪)の監督 部内不適切指導=11月9日から3カ月。<対外試合禁止>・西目(県、秋田)部員の部内いじめ=10月26日から1カ月

pku<スポーツ誌> 放出決定後、6球団が手を挙げ、前代未聞の公開トレードになったのが、97年1月15日に発表された近鉄・石井浩郎と巨人・石毛博史、吉岡佑弐(※ 吉岡雄二の当時の登録名)の1対2トレードだ。前年、左手首の骨折で出場わずか2試合に終わった石井は11月15日、球団との下交渉で60パーセントダウンの年俸5000万円プラス出来高(推定)の提示に、「25パーセントを超えるダウンは辞めろと言っているようなもの」と激怒。その後、2度にわたる交渉で50パーセントダウンまで修正されたが、石井は納得せず、事実上放出が決まる。あくまで自由契約を希望する石井に対し、主砲をタダ獲りされたくない球団側は12月16日、トレードによる放出を通告した。ヤクルト、西武、横浜、ロッテ、ダイエー、巨人が参戦を表明したが、交換相手をめぐり、交渉は難航。先発投手と二遊間を守れる内野手が欲しい近鉄は、石毛と吉岡の名を挙げた巨人に「話にならない」と難色を示し、石井丈裕と橋本武広の両獲りを希望した西武には「1対1で」と突っぱねられた。その後、横浜の三浦大輔、進藤達哉との交換がまとまりかけたが、最終的に横浜側が「編成上、あの世代(20代前半)の投手は出せない」と拒否し、これまたご破算に。これらのやり取りが、新聞などを通じて毎日公開されるのだから、俎上に載せられた選手は、さぞかしやきもきさせられたことだろう。そして、前述のとおり、石毛、吉岡との交換で巨人移籍が決定。北九州で自主トレ中だった石井は「2カ月は長かった。ようやく決まり、スッキリした。(巨人では)自分の能力を出すだけ」と新天地での復活を誓った。だが、移籍後も故障に悩まされ、近鉄時代の輝きを取り戻すことができないまま、3年後にロッテへ。これに対し、巨人時代に1軍でほとんど実績のなかった吉岡は、近鉄で2年連続26本塁打を記録するなど主砲に成長。トレードによって大きく花開いた。

mittsu高校時代GK同士で対戦しました。<2019.11.12> サッカー日本代表GKを務めた田口光久氏が11月12日午前3時2分、呼吸不全のため東京都内の病院で死去、64歳。秋田市河辺出身。通夜は17日午後5時から、葬儀・告別式は18日午後1時からともに東京都新宿区上落合3の4の12、最勝寺会館で。喪主は長男直樹氏。秋田商高から73年に三菱重工 (現J1浦和) 入り。日本代表では75年に国際Aマッチに初選出され、通算59試合に出場 (84失点) した。引退後は日本テレビ系 「とんねるずの生でダラダラいかせて」 で木梨憲武のパートナーとしてゴールキーパーを務めて、サッカーファン以外にも親しまれた。<2012.12.31> 全国高校サッカー選手権大会 西目-米子北 (解説) 田口光久氏。<昭和47年度全国高等学校サッカー選手権大会秋田県予選 、14校、10/06~、市営八橋球技場・市民広場、秋田商登録選手> [Gk]○ 田口光久(3)、[RB]鈴木等(2)、[LB]宇佐美省吾(3)、[RH]籾山喜孝(3)、[CH]石山雄一(3)、[LH]柏崎重徳(3)、[RW]阿部秀一(3)、[RI]佐藤実(3)、[CF]宇佐美伸二(3)、[LI]菅原穣(3)、[LW]船木均(2)、横山芳久(1)、鈴木晋(3)、須田一(3)、夏井文和(2)、藤原喜博(2)、萩庭一彦(2)、加藤力(1)、渡辺裕之(1)、桜田一夫(2)、[部長・監督] 鎌田満。【2009.12.12】サッカー元日本代表主将でGKの田口光久氏 (三菱重工-秋田商-河辺) が、母校河辺中で講演会。河辺中創立50周年事業で来県。高校時代から全国有数のGK、当時の秋田商GK陣のユニホームは上下オール紺一色のシンプル系。

sakig<第1種 9人> ・高杉政利北嶋公樹浅野直樹佐藤耕也渡邊大輔鈴木譲仁菊地昭彦佐藤暢星貴俵大。 <第2種 26人> 安部天洋森川泰敬佐藤裕紀夏井翼吉岡優嶋田拓馬阿部淳平伊藤健斗亀井紀芳佐々木晋佐藤康藤本浩史伊藤高洋・三浦雅人富樫大樹伊豆元貴高橋大晟齊藤一広高橋隆幸佐々木竜之助佐々木裕亀谷渉山田善之佐々木亜由美大日向勇人小南陽祐。秋田県野球協会審判部

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