高卒2年目今季は2軍で86試合出場 打率2割3分5厘0本塁打21打点
二塁を中心に内野4ポジションすべてを守るユーティリティーとしても成長

「熱球通信」は特定非営利活動法人秋田県野球フォーラム会員有志による備忘録を兼ねた「秋田県野球」にこだわった私的ブログです。掲載している記録等については公式なものではありませんのでご注意願います。リンク等についてはオールフリーですので事前のメール等一切不要です。更新頻度は原則毎日の更新です。秋田県出身で県外に在住の方も念頭に更新していきますが、内容等一部については地元情報と時差が生じる場合があります。練習・親善試合の結果情報は原則掲載しません。また、コメント送信欄と掲示板については諸般の事情により対応していません。積極的な中学硬式野球・女子野球の紹介に努めています。
高卒2年目今季は2軍で86試合出場 打率2割3分5厘0本塁打21打点
二塁を中心に内野4ポジションすべてを守るユーティリティーとしても成長
日本体育大学硬式野球部@ntblabo
【幹部発表】
2021/11/15 21:03:54
2022年度の幹部を紹介致します。
グラウンドマネージャー 3年 佐々木 大夢 #金足農業
新チームを迎えた、日体大野球部の応援を今後とも宜しくお願い致します!🔥
#NITTAIBASEBALL https://t.co/4ZClu2fT03
スポーツ報知 オリックスは20日から本拠地・京セラDでヤクルトとの日本シリーズに臨む。就任1年目の中嶋聡監督(52)は昨年最下位のチームを25年ぶりのリーグ制覇に導き、クライマックスシリーズ最終ステージも突破。“ナカジマジック” と称賛される指導力の原点はどこにあるのか。鷹巣農林(現秋田北鷹)高時代の監督、津谷正俊さん(74)の証言で“原点”に迫る。(取材・構成 宮崎尚行)津谷さんが教え子の快挙に目を細めた。「胴上げを見た時には感動で鳥肌が立ち、涙が出ました。あの照れ屋の中嶋が、本当にうれしそうで。長生きすると、こういうものが見られるんだなと感慨深かったです」喜びをかみしめつつ、往時を懐かしんだ。〈1〉捕手転向。「1年からセンターでレギュラー。2年の時に捕手に転向させた。肩が強かったので最初は投手もさせてみたけど、連投ができなかったのと、緩急をあまりうまく使えなかったので、それならばと」甲子園出場経験はないが、県内では強肩強打の捕手として注目され、86年ドラフト3位で阪急に入団。肩の強さをきっかけに始まった捕手人生は2015年に日本ハムで引退するまで、プロ実働29年で31年に及んだ。〈2〉鋼のメンタル。「入学当初から『プロに行けますか?』ではなく、『絶対プロに行く』という決意でした。2年の時に、バントの自打球が鼻に当たったことがありました。『大丈夫です』と出続けて、病院へ行ったら骨折だった。次の日も鼻に綿を詰めて出場した。3年時のある試合では、腰痛で欠場する予定でしたが、スカウトが見にきていると聞いた途端に『出ます』と。それで、2本塁打。調子が悪くても、ここぞで力を出せる。本番に強いタイプでした」〈3〉背中で引っ張る。林業科は山中で木を切って運ぶハードな実習があったが、7、8キロ走って戻り平気な顔で練習に加わる姿があった。「4番捕手の主将として、人をまとめていく力があった。黙々とやる姿を見せていた。農家出身の少年らしい我慢強さ、忍耐力があった。お姉さんが2人いる末っ子の長男だけど、甘えた感じはさらさらなかった。授業も一生懸命で、成績が落ちなかった」〈4〉昔から寡黙。優勝後に津谷さんを中心に、引退後、初めて後援会が再集結した。北秋田市役所でくす玉を割るなど、ささやかなセレモニーで祝った。同級生がお祝いの連絡をすると「ありがとう」の一言だけ。「寡黙な中嶋らしい」とみんなで笑ったという。「年末に帰ってきた時には、日本一の監督として会いたい」と故郷の恩師は最高の報告を待っている。◆中嶋聡(なかじま・さとし)1969年3月27日、秋田県生まれ。52歳。鷹巣農林(現秋田北鷹)から86年のドラフト3位で阪急(現オリックス)入団。西武、横浜(現DeNA)、日本ハムと渡り歩き、2007年からバッテリーコーチ兼任。15年限りで引退。19年からオリックス2軍監督。20年途中から1軍監督代行、今季から1軍監督。通算1550試合、804安打、55本塁打、349打点、打率2割3分2厘。右投右打。