準々決勝~

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<朝日新聞デジタル> かつて主将として日米大学野球の代表チームを率いた猿田和三(かずみ)さん(58)がこの春、秋田県庁の事務方トップの副知事に就いた。慶応大の在学時は首位打者になったこともある強打者だ。秋田市出身。3兄弟の末っ子に生まれ、4歳のころには五つ年上の兄とキャッチボールを始めた。小学生のとき、兄が通う秋田高校が夏の秋田大会で優勝。1年だった兄が打席に立つことはなかったが、兄や見知った顔の選手たちが喜びに沸く姿を球場のスタンドから見ていた。「甲子園に行くってすごいことなんだ」。甲子園出場を目標にした瞬間だった。兄と同じ秋田高に進学。いまでも思い出すのが、3年夏の秋田大会の準々決勝だ。同点の九回、2死二塁で打席に立った。サヨナラのチャンスだったが、一度もバットを振らずに四球で出塁。次の打者につなぐことはできたが、チームはその後、延長戦で敗退した。なぜあのとき積極的になれなかったのか。「タイムマシンで帰れるなら、あの打席に帰りたい」。甲子園出場はかなわなかった。高校野球での後悔を少しは晴らせたと思えたのは、2年間の浪人期間を経て慶大に進学後、日米大学野球選手権大会に日本代表として出場したときのことだ。米国で開催された全4戦中3敗し、なんとか勝利を挙げたかった最終戦。5-4と追う展開になった九回、逆転サヨナラ本塁打を放った。「速すぎて見えない」とチームメートが苦戦した米投手の速球を見定めた長打。当時一緒に戦った元プロ野球選手の長嶋一茂さんからは、のちに「天才」と評された。活躍の一方で、プロ野球選手になる選択は考えていなかった。大学1年の夏に左足首を骨折してから、仕事として野球を続けるのは難しいと考えていた。進路に悩んでいた3年のころ、野球部長に相談すると、こんな答えが返ってきた。「地方公務員、いいんじゃないの? 知事は選挙に出ないとなれないけど、頑張れば副知事になれるんだよ」。背中を押され、秋田県庁に入った。入庁から33年。航空機や自動車部品メーカーの誘致など、これまで県内の産業振興に取り組んできた。目下の課題の一つは、秋田沖で進む洋上風力発電計画で地元に経済効果をもたらすことだ。「場所を貸すだけでなく、秋田の産業を育てる可能性はいっぱいある。知事の代わりとして最前線に立って、県内企業のみなさんの支え役になりたい」(高橋杏璃)