2021年04月


8月13日の決勝戦 松山商-三沢、甲子園の名勝負と言えば、この試合を挙げる人も多い。元祖アイドル三沢太田投手と松山商エース井上の一歩も譲らない投手戦で延長18回を終えて0対0。<2013.4.25> 一色俊作元松山商高野球部監督、2013 平成25年 4月24日 午前5時、虚血性心不全のため松山市内の自宅で死去、75歳。1990(平成2年)にも愛媛新田高校を率いて春センバツ大会準優勝。<2012.5.28> 甲子園の名勝負再び。1969(昭和44年)夏の甲子園決勝で延長18回の末、引き分け再試合の名勝負を演じた三沢高(青森)と松山商(愛媛)が平成24年6月3日(日)、弘前市営球場で対戦することに。OB同士の試合は過去あったが、現役の対戦は43年ぶり。今回の試合は、1967年夏の甲子園で準々決勝に進んだ東奥義塾が創立140周年記念事業として企画し実現(東奥義塾も松山商と対戦)。 松山商9-3三沢。
<スポーツ報知> 大相撲の元関脇・豪風で、尾車部屋付きの押尾川親方(41)が、来春にも独立する方向であることが4月22日、分かった。東京・墨田区に土地を確保済みで、今年6月頃に着工予定という。師匠の尾車親方(元大関・琴風)は来年4月26日に65歳となり、定年を迎える。押尾川親方は「師匠の誕生日をメドに、部屋をしっかり用意するために準備しておくということ」と話した。予定地は両国国技館までバス、電車を使って20分ほどの好立地。東京スカイツリーも見える。「力士ファーストで場所を考えた」と説明した。6階建てで3階までは相撲部屋として使用。4階より上は賃貸マンションに加え、大学も近所にあることからシェアハウスにする予定など、ユニークな試みも考えられているという。「力士とも同年代でしょうから、いい触れ合いを持ってくれれば」と願った。かつて押尾川部屋はあったが、05年3月で閉鎖。今回、押尾川親方が独立となれば、それ以来の“復活”となる。同親方も「押尾川部屋は十数年ぶりのことになる」と話し、「下町を愛し、下町に愛されるように。土俵の中は厳しく、それ以外ではチームワークのある部屋づくりを目指す。この街の新たなシンボルとなれるよう頑張りたい」と夢を描いた。
平成14年度第24回全国中学校軟式野球大会東北予選会(青森県)の大会運営の迷走ぶりが多くの紙面で取り上げられた。準決勝予定当日、雨天のため大会本部は急遽試合会場を青森市営球場からスポーツランド水沢球場に変更、この間の移動距離 約250km、午後2時頃現地に到着してみると水沢市も土砂降り状態、午後4時前に雨が小降りになると今度は 近くの胆沢町民球場で試合開始と発表。が、またしても雨脚が強くなりようやく大会本部は試合開始を断念して雨天順延を決定 (翌日も雨天順延)。この間に要した時間約8時間。これもそれも全国大会が目前に迫っており、代表校選出のために試合消化を優先させようとしたことによるもので、当然のこながら大会運営に批判が続出 (最終的に準決勝は秋田県のスタジアム大雄と平鹿町営球場、決勝は平鹿町営球場)。肝心の秋田県勢の準決勝は、雄和1-6天童三(山形)、男鹿南1-2河北(宮城)と、共に敗退して全国大会出場はならなかった。<雄和町立雄和中学校登録選手> [投]金卓史(3)、[捕]佐藤瑛彦(3)、[一]池田勇人(3)、[二]池田圭佑(3)、[三]佐藤農(3)、[遊]○ 珍田真樹(3)、[左]伊藤慎一(3)、[中]長谷川恵太(3)、[右]佐藤雄大(3)、佐藤雄太(3)、長谷川公彦(3)、高橋勇人(3)、佐藤一平(3)、佐藤広大(3)、金雄矢(3)、伊藤十夢(3)、鎌田裕輔(3)、菅原達也(3)、小白川宮貴(2)、浅野潤也(2)、[部]國安裕[監]菅原吉伸[記]永澤慶大。<男鹿市立男鹿南中学校登録選手> [投]澤木雄一(3)、[捕]柴崎達徳(3)、[一]菅原佑太(3)、[二]大友晃太(3)、[三]加藤友幸(3)、[遊]○ 宮崎翔平(3)、[左]本川慎一(3)、[中]加賀力哉(3)、[右]目黒公介(3)、吉田淳一郎(3)、鎌田慎太郎(3)、秋山克也(3)、目黒雄(3)、近江隆(3)、安藤竜也(2)、中川陽介(2)、加藤翔(2)、山下恭平(2)、安田直紀(2)、石垣亮(2)、[責]木村守人[監]櫻庭豊[コ]畠山正人[記]目黒裕也。

日本体育大学 佐々木大夢選手(3、金足農)学生コーチ。<2019.3.07、日刊スポーツ> 昨夏の甲子園で準優勝した金足農高で主将を務めた佐々木大夢外野手 (3年) が3月6日、「トップアスリートAO入試」 で首都大学野球リーグ1部の日体大に合格した。佐々木は決勝までの全6試合に 「2番・左翼」 でフル出場。1年冬にバセドー病を発症した経験などから、競技を引退する意向を示していたが、「日本一へあと1つ勝てなかった悔しさがある。大学では高校でなれなかった日本一になりたい」 と翻意した。【2018.8.08】夏の甲子園第4日の8月8日、金足農の佐々木大夢主将は、野球ができる喜びをかみ締めながら、初戦に臨んだ。昨年2月、甲状腺の疾患の一つバセドー病と診断され、半年ほど運動ができない状態が続いたからだ。「ここまで回復し、野球ができるなんて想像もしなかった」。この日も全力でグラウンドを駆けた。「走ってはいけないよ」。医師から告げられ、「もう野球ができないのか」 と初めて聞く病名にショックを受けた。野球部の遠征にも行けず自室にこもる日々が続いた。高校1年の夏ごろから急激に体力が落ち、練習についていけなくなった。階段を上るだけで息切れがし、異常に疲れた。すぐに水分が欲しくなり、夜はトイレに何度も起きた。熟睡はできなかった。食欲も落ち、70キロあった体重は60キロまで落ちた。昨冬、コーチが異変に気付き、病院に行くよう促された。両親を通じ、中泉一豊監督やコーチ陣に 「野球部をやめたい」 と伝えると、菅原天城コーチらから 「しっかり休んで戻って来てほしい」 という言葉が返ってきた。そう聞いて、チームの役に立ちたいと思い直した。4階の教室に自力で上れず、チームメートがかばんを持ってくれたことも思い出した。マネジャーに転身し、2年の夏の秋田大会では記録員も務めた。服薬を続け、症状は和らいだ。昨秋には選手に復帰し、新チームで主将の大役を任された。「チームで一番声を出すし、非常に気がきく性格だから」。中泉監督は抜てきの理由を語る。だが、高校最後の大会まで1年を切っていた。「人一倍練習しないといけない」 と、オーバーワークになってしまうことも、しばしばあった。そんな時、「焦らなくていいんだよ」 というチームメートや家族の言葉が心の支えになった。甲子園出場を懸けた夏の秋田大会。打率5割3分8厘はチームトップ。チャンスメーカーとして11年ぶりの優勝に大きく貢献した。「支えてくれた人たちのために、全力プレーで感謝の気持ちを伝えたい」。そう誓って、大舞台のグラウンドに飛び出した。【高野裕士】

<週刊ベースボール> ロッテ初優勝の70年は制球力を誇る2人の右腕が20勝をクリア。25勝で最多勝に輝いたのが6年目の成田文男で、21勝で続いた5年目の木樽正明が防御率で成田を上回り、MVPに選ばれた。東京スタジアムの近くで育ち “下町のエース” と呼ばれた成田は高速で曲がるスライダーが武器で、69年にノーヒットノーランを達成。一方の木樽も、打者の内角へ鋭く食い込むシュートと成田に教わったスライダーを武器に、69年に防御率1.72で最優秀防御率に輝くなど、ともに絶頂期だった。木樽は翌71年に24勝で成田に続いて最多勝となっている。<2011.4.25> 元東京オリオンズーロッテオリオンズの成田文男投手、東京都足立区出身ですが、父親は鷹巣町出身、幼少期を秋田県で過ごす、修徳からプロ入りしエースとして活躍する、ちなみにビートたけしと同じ中学の野球部出身でいっしょにプレーしていた。<2011.4.25> 平成23年4月21日午後6時36分、肝不全のため岐阜市内の病院で死去、64歳。1965年東京修徳高校から東京オリオンズ入団。1969年阪急戦でノーヒットノーラン達成。東京オリンピック翌年の入団でした、合掌。・大相撲ですが幕内の北太樹は東京都町田市出身ですが、父親は横手市(大森町)出身、本名は讃岐明義、お父さんはちなみに私の叔父の同級生です【北の富士っこ】。・現新日本石油ENEOS野球部副将の山岡剛捕手(日大高から早稲田大)、父親は山岡長英氏(下浜中-秋田高-早稲田大-日本鋼管)です。下浜中時代は秋田商で活躍した山岡政志氏とバッテリーを組んでいました。早稲田に進み岡田オリックス監督の次に主将を務め三塁手として活躍しました。・東海大相模で1番打者として活躍し主将も務めた佐藤功選手。原巨人監督の1つ上です。お父さんが秋田市出身で、よく帰省してはバットを振っていたそうです、甲子園では先頭打者本塁打の記録も持つ、記憶に残る選手でした、早稲田大に進み活躍しました。・元近鉄、巨人の阿波野秀幸投手。父親は能代市出身。八橋の試合に親戚来てました。ちなみに、当時父親の勤務先は津軽商事となってました!能代って津軽?・母方の祖父母が秋田出身のイチロー選手、旧大雄村には益子さんと言う親戚も住んでいるとか。
ヤクルトの石川雅規投手が4月16日、大卒投手として初の20年連続勝利を懸けて今季初登板・初先発し、5回5安打6奪三振2失点と好投したが、打線の援護がなく敗戦投手となった。失点は相手先発投手の藤浪に浴びた2ランのみ。あと27勝の通算200勝を見据え、身長167センチの “小さな巨人” の挑戦は続く。<2013.7.22> 現職に新人3人が挑んだ2013(平成25年)第23回参院選秋田県選挙区(改選数1)は、自民党新人中泉松司氏(34、公明党推薦)が260,846票を獲得、民主党現職松浦大悟氏(43)に66,349票差をつけて初当選。<平成6年夏秋田北中学校登録選手>[投]石川雅規(3)、[捕]瀬川健太郎(3)、[一]○ 武田英明(3)、[二]中泉勇太(3)、[三]千田貴久(3)、[遊]草彅基志(3)、[左]菊地潤(3)、[中]能登谷博文(3)、[右]佐藤裕貴(3)、伊藤伸(3)、渡辺倫生(3)、岩谷朋樹(3)、中泉松司(3)、小野正樹(3)、柏谷正剛(2)、中川智(3)、高橋政範(3)、納谷雄大(3)、渡辺剛(3)、泉光(2)、[責]高田康三、[監]菊池晋、[記]柏谷悟史。<2013.4.22> 日本維新の会は、元社会人野球ユーランドクラブ(平成20年度まで秋田県野球連盟加盟)部長で会社社長の松村讓裕氏(45、秋田潟上リトルシニア顧問)を今夏の第23回参議院選挙比例代表に擁立。



第1・2代表決定トーナメント ゴールデンリバース2-3水沢駒形野球倶楽部
能代松陵クラブ 秋田県コロナ感染警戒レベル3を考慮し大会出場辞退










