2020年12月
http://www.go-stop-call.com/4umpire.html 打球が打たれたら、先ずその方向にステップしてスタートします。そうすると何が見えるかと言いますと、打球を追う審判が眼に飛び込んできます。打球だけを見ていては、打球を追う審判は眼に入りません。打球に対してステップしてスタートするから見えるのです。誰が打球を判断する当該かなって他の審判を見ているようでは、すでにスタートが遅れていると理解する必要があります。
ポーズ・リード・リアクトという用語をご存じの方も多いかと思いますが、意味は知っていても、実際の行動として表現されている方は少ないのが現状だと思います。打球の判断は常にすべての審判がするのですから、誰がその打球の判定の当該審判かと考えていること自体が間違いなのです。打球の性質というものを判断するには、まずは打球の方向にステップしてみてください。打球の方向にステップするという意味は、視界を広くするという意味が含まれています。視界が狭い審判の動きというものは、自分よがりな動きをする可能性がとても高いです。自分よがりの動きをするのが、まだ審判初心者であれば、それはある意味仕方がない場合もありますが、ベテラン審判が自分よがりの動きをすることで、皆さんが大好きなマニュアル通りに動けなくなることも多いですよ。多くのベテランは、他の審判にマニュアル通りに動くように反省会等で指示をするのではないですか。マニュアル通りに動きなさいと指示をしている審判が、逆にマニュアル通りに動くことを阻害しているとすれば。。。。若い審判がどのような動きをしようが、ベテランは黙ってカバーリングをするべきなのですよ。それがクルーとしてのフォーメーションなのです。その第一歩が、打球に対してステップしてスタートなのです。外野手の中間付近に飛んだ打球の判断は難しいと思っている審判の方は多いと思いますが、難しくありません。「あなたが追えばよい」だけです。他人任せの判断ではなく、自己中心的な判断で良いのです。その判断が自分よりも他の審判が早ければ、その打球に関しては、その判断は早かった審判に任せれば問題ありません。俺の打球なのになって思っても、他の審判のほうがすでにその打球の当該になっているのです。判断が遅い審判の出番はありません。判定も出来ません。審判というものは、プレイの判定をして、初めて審判としての価値が出てくるのです。あなたは判定がしたくてグラウンドに立っているのではないですか。難しいプレイの判定をしたいから、グラウンドに立っているのではないですか難しいプレイの判定を、そのプレイの近くで見て、正しい判定がしたいのではないですか。それが審判の判定というものです。難しいプレイの遭遇することが怖いですか。打球に対してのステップからスタートが遅い審判は、その難しいプレイから避けているように、私は感じてしまいます。難しいプレイの判定から逃げている審判は、仲間からの信頼もなくなります。それはもっとも避けなけれがいけないことですよ。信頼関係というものは、それは審判経験の多さや、年齢的なものでは補えません。常に審判としての行動をしてるかどうか、これだけが判断基準です。皆さんの周囲で本当に信頼されている審判というものは、そうではないですか大きな大会に派遣されたとか、有名校同士の試合で審判したとか、審判の正しい判定をしたかどうかよりも、そっちが信頼を得るのだと思っているとすればそれは考えを改めたほうが宜しいですよ。たとえ練習試合でも、審判として一生懸命取り組んでいる審判のほうが、仲間としても信頼があるのは言うまでもありません。その信頼を得るための第一歩が、打球に対してのステップからスタートだといっても良いかもしれません。これが出来ている審判は、仲間が困っている時でも、きっと助けてくれることでしょう。仲間が抗議されているときに、選手と会話なんかしてるような審判は、それだけで駄目な奴って烙印をおされるのです。仲間のことを考えている審判は、決して遅い動きはしないものです。審判の判定というものは、素早い動きと、そしてプレイに近づく勇気がなければ出来ません。プレイの判定は、距離よりも角度だって言っているようでは、判定の神髄というものを理解していないという事を表明してるようなものですので、仲間の前で言わないほうが宜しいと思います。角度重視なら、審判がグラウンド上にいる必要などないのですからね。フォーメーションも要らない。そんなことで、難しいプレイの判定が出来るのであれば、それこそ審判など不要ですよ。あなたの価値というものは、プレイに近づいて、正しい判定をすることで認められるのですからね。プレイに近づく勇気のある審判だけが、仲間からもチームからも信頼されるのです。終わります。少しでも参考なって、次のグラウンド上での審判に役立つとすれば、著者としてこれほど嬉しいことはありません。騙されてと思って、実践してみてください。実践すれば、絶対に良い結果が出ますよ。出ないはずがありません。私が少なくても結果は出してきたのですから。
左から 菅原至恩(川面)、今野真颯(広面)、田牧竜之介(皆瀬)選手
<TKC>さん https://twitter.com/y89tkc
http://www.go-stop-call.com/4umpire.html 打球が打たれたらスタートするわけですが、貴方はどちらの足からステップしていますか? もちろん、打球の打たれた方向の足から「ステップ」するんですよね。そうしていますか? 打球の方向にステップするのは、それは「プレイに正対する」ためなんですよ。「何だそんな事知ってるよ!」でしょうか?「貴方」は、打球の方向にステップしていますか?それが問題なんですよ。知っていても実践しなければ、知らないと一緒です。特に「打球の方向にステップ」するのは、意識的にステップしますよ。無意識では足の運びが上手く行きません。特に内野内に位置した審判の場合は、それが著しく行動に現れます。スムーズな足の運びが出来ないんですね。何気ない事でも理由があるのが、審判としての行動なのですね。プロ審判のスムーズな動きは、すべてこれです。これ。参考になりましたでしょうか。実践すれば、必ず結果はついてきます。しなければ、良い結果が出た理由を知ることはないでしょう。理由を知る必要があるのです。まして上に立って後輩を指導する立場の審判はね。<深い意味があります>では、打球の方向にステップして、次はどうするのかという事は、次回のこっそり審判で解説したいと思います。野球もシーズン終了となり、来年度に向けて色々と考えたりされている事と思います。今の時期にゆっくりしてしまうと、来年度の出足が遅れますよ。既に来年は始まっていると思うのが、出来る審判の考え方です。私の制作したレポートをお持ちの方は、再度すべてに目を通して頂くだけで、審判としての気持ちが盛り上がるのではないかと思いますので、ぜひ通読されてください。
3位決定戦 南秋田8-0にかほ
<週刊ベースボール> 巨人・菅原勝矢の記事からいく。秋田県出身。67年に11勝を挙げたが、しばらく伸び悩んでいた右腕だ。独特の担ぎ投げから投じる重い速球が武器だが、気が弱く、藤田元司コーチからは「びびんちょ」と呼ばれていた。この男、いろいろな記録を持つ。たとえば、66年8月21日、初登板のサンケイ戦(神宮)で初登板初先発初完封。67年5月18日の阪神戦(甲子園)での2勝目は、1安打完封勝利、さらに、この年の8月15日、同じく阪神戦(甲子園)で1球勝利、1日置いた同カードで5回雨天コールドの完封勝利。71年9月6日のヤクルト戦(神宮)では6回までの降雨コールドでのノーヒットノーラン。そして、この72年途中まで続いた11連勝。71年まで通算20勝とは思えぬ勝ち運がある、いや、そこまでしないと勝てないと考えると、勝ち運がなかった男、とも言えるか。<スポーツ紙紹介、一部略> 長い巨人の番記者生活で、この男ほど波瀾万丈の道を歩んだ選手を知らない。菅原勝矢投手、秋田県立鷹巣農林高から東京農大を経て、昭和41年に巨人に入団、現役8年間で33勝8敗、防御率2.98という成績を残している。秋田県大館市の農家に10人兄弟の9番目として生まれた。兄弟で高校へ進学したのは彼ひとりという極貧の環境だったが、「どうしても野球がしたい」 と東京農大へ。ところが、1年目の春のリーグ戦に3勝をあげ、素質を見抜いた巨人の青木宥明スカウトにくどかれると、家計を助けたいと大学をスパッと退学、プロの水に飛び込んだ。ずんぐりむっくりの体形、赤い頬、ズーズー弁、まるで砲丸投げのようなぎこちない投法・・・・。チームメートだけでなく、番記者からも好かれるキャラクターだった。ニックネームは 「ガービー君」 。東北なまりが消えず、「カーブ」 が 「ガービー」 に聞こえるからだった。入団当時は速球だけだったが、カーブ、スライダーと球種を増やすにつれて成績も上昇し、41年に初勝利、42年には11勝4敗という好成績をマークしている。この間、なぜか菅原には珍記録がついて回った。まず、プロ入り初登板だった41年8月21日のサンケイ戦で、初勝利が完封勝ち。神宮球場が初めてなら、ナイターも初体験だった。2勝目となった42年5月15日の阪神戦は、ノーヒットノーラン目前の1安打(1四球)完封という離れ業だった。さらに意外だったのは5年がかりの11連勝。これだけ間隔をあけながらの記録だと、うっかり見過ごされかねないほど、珍しい記録といえる。巨人投手の連勝記録は松田清の19連勝、初登板から無傷の連勝としては41年の堀内恒夫の13連勝だが、いずれも短期間でマークしたもの。菅原のような例はあまりない。理由は簡単。活躍→抜擢→故障→空白→活躍→このサイクルの繰り返し。さまざまな故障に泣かされ、ブランクは長かったが、久々に登板となってもなぜか負け投手だけにはならなかった。ついているのかいないのか? まったく不思議な男だった。その11連勝は43年から始まった。6月30日の大洋戦完封勝ち(後楽園)が華々しい? スタート。ところが2連勝目が9月21日の中日戦(中日)。なんと84日ぶりの白星だった。この間、菅原は原因不明の故障に悩まされていた。背中の筋肉が硬くなり、投げているうちに「背中がつる」(筋肉の収縮現象)のである。「人には説明できないですね。いくら話しても実感してはもらえないでしょう」 と、菅原は童顔を曇らせるだけだった。それでも体調がよくなった秋には、阪神戦(9月28日)、広島戦(10月10日)と連勝を伸ばしてみせる。「もう大丈夫。ローテーションの一角をまかせる」 と、川上監督を喜ばせた44年と45年には勝ち星なしの2軍生活。理由は前回と同じ背中の筋肉がつる奇病だった。大学時代から交際していた美代子さんは44年、結婚したとたんに近所のお地蔵さんに通うのが日課になってしまった。そして46年後半に4連勝すると、47年は開幕からエンジン全開で4月22日の3勝目で、延べ11連勝をマークした次第。もうひとつの珍記録がある。これは42年8月15日の阪神戦(後楽園)だった。8回2死から金田正一投手が負傷降板し、菅原がリリーフ。藤田平を1球で左飛に打ち取った。その裏、巨人は2点を取って逆転。打順が回ってきた菅原には代打が送られ、9回は中村稔が抑えた。これにより38年8月21日の近鉄・ミケンズ、41年8月26日の中日・坂東英二に次いでの 「1球で勝利投手」 に。
新型コロナルス感染症の首都圏での感染拡大状況から中止と決定
中島和俊投手(TDK-秋田南)現役勇退へ