2020年08月
<ゆみ.I>さん https://twitter.com/yumimimi_manzi
-秋田県内初のクラスター(感染者集団)発生のため中止に-
特集 / 菅原達郎 氏「全国でも負けない野球人の育成」
高円宮賜杯第40回全日本軟式野球大会秋田県大会秋田支部予選
高円宮賜杯第40回全日本軟式野球大会秋田県大会秋田支部予選
-秋田県内で初めてのクラスター(感染者集団)発生のため大会は中止に-
決勝 / 南山第五野球部3-2高清水クラブ
全国各地で開かれている独自大会。甲子園に道は続いていなくとも最後まで戦い抜いた球児たちへ、指導者や仲間が送ったメッセージを集めた。■伊香(滋賀)・隼瀬一樹投手(3年)昨秋の県大会準決勝で近江を延長十回まで無失点に抑え、チームは選抜大会の21世紀枠候補に選ばれた。だが、コロナ禍で練習できない期間が続き、調子を崩した。背番号は「10」になり、この日は代打から一塁手で出場したが、登板なく敗戦。「同点になれば登板もあったが、流れを持ってこられなかった。滋賀を制覇して地域を勇気づけたかった。これからの人生につながる試合ができた。プロを目指して、下を向かず目の前のことに集中していきたい」■安中総合(群馬)・清水惇投手(3年)中学時代はU15日本代表。甲子園常連校の誘いを断り、2学年上の兄と一緒に野球をするため、地元の県立高を選んだ。27日の健大高崎戦でも鋭いスライダーを駆使して好投したが、終盤に力尽きた。「3年間で球速も上がったし、私学に対しても自分の投球ができた。僕の選択は間違ってなかった。大学に行って4年間がんばって、プロを目指したい」■盛岡大付(岩手)・大久保瞬投手(3年)サイドスローから最速147キロを投げ込む右腕。準決勝では好投してライバル・花巻東の「夏の岩手3連覇」を阻止したが、四回途中から登板した決勝では本調子ではなかった。「甲子園がない年にあたったからこそ、ここまでがんばれた。この期間を、一番がんばろうと思っていた。これから先、どんなことがあっても乗り越えていける」■岡山南・森岡春海外野手(3年)八回の守備で右足がつり、治療して九回の打席に立ったが三ゴロに。ここでも両足がつってベンチに戻れずにいると、中学時代からの友人でもある倉敷商の貝原礼透(あやと)外野手がベンチを飛び出し、「飲んで」とスポーツドリンクを渡してくれた。「話すのは3年ぶり。うれしかった。好きな野球がまだできるんだし、楽しんでほしい。もっともっと高校野球を長く続けられるように頑張ってほしい」■能代松陽(秋田)・山田柊斗選手(3年)県内屈指の強打者だが、この夏は不振。決勝も四回の好機に併殺打など、4打数無安打に終わった。「自分の力がほとんど発揮できなかった。修正してもうまくいかず、夏は怖い、と思いながら終わってしまった。主将の園部がいつも『元気出して行こう』と言ってくれたのでついていけた」■渋川工(群馬)・小泉健太監督村上一光主将を中心に、自分たちで考える学生主体の部活動を目指してきた。「休校期間中も自分たちで連絡を取り合い、集まれる者は集まり、ノックを打ちに来て欲しいと連絡してきた」と生徒の成長をほめ、「最後の2週間は練習試合でも主体性が出てきて、一緒に野球するのが楽しくて仕方がなかった。ありがとうと言いたい」。シード校に五回コールド負けしたが、選手に感謝した。■彦根翔西館(滋賀)・伊吹克己監督 6点リードされていた七回裏、1死二、三塁から申告敬遠で満塁にしたが、押し出し四球でコールド負けが決まる。「(敬遠は)私の判断です。選手は全員、最後まで諦めていなかったし、ひっくり返すつもりだった。併殺を狙いにいきました」。県内の1年生大会で準優勝した最上級生に、「夢を見させてくれた学年なので、勝たせてあげないといけないチームだった。ありがとうの一言しかない」と涙。
令和2年8月5日午後0時半頃、鹿角市花輪字陳場の花輪中学校の敷地内にクマ1頭がいるのを、出入り業者の70代男性が発見し、学校に連絡した。鹿角市役所を通じて鹿角署に届け出があった。夏休み中で生徒はいなかった。<2020.3.08>花輪第二中学校の卒業式が3月7日同校体育館で開かれ、新型コロナウィルス対策のため出席は卒業生と教職員のみに。保護者は、式を生中継する屋外モニターで門出を見守った。1947(昭和22)年、前身の旧柴平村立柴平中学校として創立。56年花輪町との合併に伴い、「花輪二中」に改称。今月末で73年の校史に幕。【2016.12.02】平成32年4月の統合が計画されている花輪一中と花輪二中の第2回再編協議会が11月28日、花輪一中で開かれ、統合後の校名は 「花輪中学校」 と決定。鹿角市教育委員会は 「市立学校等再編計画」 (28~32年度)に基づき、小学校が 「末広と十和田」「草木と大湯」「花輪北と平元」、中学校が 「花輪一と花輪二」 の4組、8校の再編・統合を推進する。花輪一中・花輪二中の協議会では初回に統合時期を平成32年4月と決定。再編計画では花輪一中の校舎を改修し使用することにしている。2回目の今回は統合後の校名を 「花輪中学校」 と決定。花輪地区は、金澤博和、木村優(雄)太投手等好選手多数輩出。
両翼100m、中堅122m、内野:土、外野天然芝、スコアボード磁気反転式
収容人員10,370人(内野ベンチ席、外野芝生席) 照明設備ナイター照明6基
田上遼平(世田谷西リトルシニア)慶應藤沢、前田尚哉(東練馬シニア)近大附、岡西佑弥(橿原ボーイズ)智辯和歌山、酒井優夢(橿原ボーイズ)智辯学園、仲宗根大斗(安仁屋ヤングスピリッツ)沖縄尚学、尾崎悠斗(糸島ボーイズ)九州国際大付、西田稀士郎(佐賀フィールドナイン)浦和学院、マーガード真偉輝(宜野湾ポニーズ)星稜、玉城陽希(中本牧シニア)横浜、宮原慶太郎(東練馬シニア)慶應義塾、渡部海(住吉ボーイズ)智辯和歌山、大勝朱恩(浦和シニア)浦和学院、福原聖矢(安仁屋ヤングスピリッツ)東海大菅生、八谷晟歩(佐賀フィールドナイン)浦和学院、壽田悠毅(世田谷西リトルシニア)早稲田実業、浅倉大聖(世田谷西リトルシニア)日大三、海老根優大(京葉ボーイズ)大阪桐蔭、井坪陽生(八王子シニア)関東一。<2020.8.4>昨年2019年、シニア日本代表はアメリカ イリノイ州クリスタルレイクで開催されるMCYSA全米選手権大会に出場した。その18名の進路は以下の通り。【投手】辻田旭輝(岩見沢リトルシニア-クラーク記念国際)、越井颯一郎(千葉北リトルシニア-木更津総合)、求航太郎(川崎中央リトルシニア-東海大相模)、南琉人(湖東リトルシニア-東海大相模)、山田 翔太(稲沢リトルシニア-大垣日大)、棚田蒼(東広島リトルシニア-広島新庄)、青柳佳佑(大阪西成シニア-大阪桐蔭)。【捕手】横山瑛太(八千代中央リトルシニア-専大松戸)、金丸健司(熊谷リトルシニア-上尾)、佐藤大翔(板橋リトルシニア-日大鶴ヶ丘)。【内野手】石崎世龍(取手リトルシニア-慶應義塾)、山田慎之介(浦和リトルシニア-花咲徳栄)、深谷謙志郎(横浜緑リトルシニア-東海大相模)、森本亜裕夢(北摂リトルシニア-慶應義塾)。【外野手】向中野希星(青森山田シニア-青森山田)、村岡龍(世田谷西リトルシニア-慶應義塾)、小林幸男(長野東リトルシニア-二松学舎大附)。
山田誠也選手 青山学院大-敦賀気比-鯖江ボーイズ
8月25日で26歳 通算65勝54敗(18場所)幕下3勝11敗(2場所)
<朝日新聞バーチャル高校野球> 「八回までの記憶はほとんどない。気づいたら終盤。でも、九回の攻防だけは鮮明に覚えている」。2008年8月4日の第90回記念大会1回戦。鳴門工 (徳島) と対戦した本荘の主将、二塁手の吉尾渉さん(26)はそう振り返る。鳴門工は五回までに2点を奪うが、本荘も七回に反撃。阿部竜也選手、吉田大樹選手の連打と内野ゴロで1点をもぎ取った。「秋田大会から弱いと言われたチーム。こういう点の取り方だった」、そのまま僅差で九回へ。先頭の吉尾さんが右前打で出塁。1死後、阿部選手の左中間二塁打で一気に本塁へ。アウトになりそうなタイミングだったが、送球が少しそれた。同点。「三塁コーチが泣きながら腕を回していた」、2死から池田恭介投手が右越えの適時二塁打。土壇場での逆転劇に、スタンドが揺れた。「球場全体がうちを応援する感じ。その雰囲気に乗った」、出場4度目、悲願の甲子園初勝利まであと3人。だが、鳴門工の先頭打者が安打で出塁すると、また球場がざわつき始めた。「面白い試合を観客は期待している。甲子園の雰囲気は、展開によって流される。独特な感じだった」、内野手がマウンドに集まった。ベンチから尾留川徹監督の指示を聞いた三船翔選手が飛び出した。指示の内容は 「犠打で送ってくる。1死二塁になったら、本塁打を打っている次の安岡瑞葵君と勝負」。だが――。選手たちに指示は伝わらなかった。甲子園の魔力か、緊張からか、指示内容が三船選手の頭から飛んでしまった。「伝令の内容は 『頑張れ』 『お前らなら大丈夫』。結局、話し合って、安岡君を歩かせて次の打者勝負で行こう、と」 敬遠するため、片村玄徳捕手が立ち上がると、ベンチの尾留川監督が 「えっ」 という表情で天を仰いだ。球場の雰囲気が一変した。勝負を望む観客の声がわき起こった。「バックネット向こうの銀傘が、僕らを押しつぶすように迫ってくる。こんな中で、よく恭介は投げているなと思った」 雰囲気にのまれたのか、次打者もストレートの四球で満塁。直後、下位打線に連続適時打を浴びた。あっけない幕切れだった。「両チームであいさつを交わした時、大きな拍手がわいた。今度は 『いい試合をありがとう』 という温かい拍手だった」 決断の末に負けた。だから仕方がない。尾留川監督も選手たちもそう思った。真相が分かったのは、その年の秋になってからだ。「甲子園は怖いところ。それがみんなの結論。でも、勝ち負けがすべてじゃないということを学んだ。僕にとって、高校3年間は濃すぎるくらいの時間だった」(山田佳毅) 。※吉尾渉主将、由利本荘市出身、本荘高を卒業し、2009年に同市消防本部の消防士に。今年3月、救急救命士の資格を取得した。
8/10 準決勝 明桜 - 仙台育英・一関学院の勝者
(息子が)現役3年生なので来年親子で出たい。<平成3年夏金足農登録選手> 渡部幸仁(2、男鹿東)、○ 伊藤誠(3、山王)、伊藤嘉将(2、美津島)、加賀大(2、船川)、菊地尚(2、羽城)、村山清人(3、秋田北)、小松幹(2、土崎)、三浦健吾(3、八竜)、高階聖人(3、大潟)、佐藤平(3、秋田北)、鈴木幸紀(2、羽城)、下間康貴(1、男鹿東)、吉田太郎(3、土崎)、橋本博樹(3、天王)、伊藤和人(3、外旭川)、吉田重孝(3、払戸)、門間和人(3、羽城)、[部]豊島君男、[監]嶋崎久美。<令和2年夏金足農登録選手> [投]加藤響(3、協和)、[捕]長坂大樹(3、飯島)、[一]柴田和歩(3、勝平)、[二]貝田佑斗(3、土崎)、[三]佐々木聖友(3、南外)、[遊]吉田重人(3、男鹿東)、[左]菅原颯粋(3、酒田六)、[中]加賀谷光(3、秋田東)、[右]児玉大成(3、井川)、〇 田井武尊(3、大阪三国丘)、小柳友人(3、天王)、加藤大澄(2、中仙)、伊藤洸太朗(3、河辺)、島﨑大地(3、五城目一)、山口祐太(3、山本)、鈴木太晟(2、土崎)、藤原知也(3、秋田南)、山形琉唯(2、中仙)、出原拓真(3、御野場)、齊藤蒼(1、土崎)、[部]船山毅、[監]中泉一豊、[記] 高橋琴未(3、秋田東)、吉岡孝絋(3、将軍野)。
2011(平成23年)8月2日、強盗未遂容疑で男逮捕、北都銀行西目支店( 熊谷和秋支店長 )に1億5千万要求。
<2011.2.10> 帝国石油に刺激を受け、36年創部のTDK、39年創部の秋田相互銀行(後秋田あけぼの銀行)も奮起。その後2回ずつ出場する。TDKは浅井治彦(専修大)-岡本隆(秋田高-早稲田大)のバッテリーと、大昭和白老から移籍した野村稔(静岡・榛原高)ら投手陣が活躍。秋田相互銀行は、主戦の石崎透(秋田市立-東洋大)ら地元の甲子園出場組を多く採用した。熊谷和秋、石井靖(ともに秋田商)や佐藤純一(大曲)堀井政志(秋田商)ら粒ぞろいの選手ばかりだった。(初出場の監督、佐藤伸一。2度目の監督、山中寛)このほか、現衆議院議員の佐藤敬治(東京大)、佐藤敬夫(成蹊大)はともにクラブチームの出身。敬治の球を受けた捕手の緑川大二郎(東京大)は大館商工会議所会頭を務めるなど、選手を辞めてからの活躍が目ざましい。
<2011.2.10> 帝国石油に刺激を受け、36年創部のTDK、39年創部の秋田相互銀行(後秋田あけぼの銀行)も奮起。その後2回ずつ出場する。TDKは浅井治彦(専修大)-岡本隆(秋田高-早稲田大)のバッテリーと、大昭和白老から移籍した野村稔(静岡・榛原高)ら投手陣が活躍。秋田相互銀行は、主戦の石崎透(秋田市立-東洋大)ら地元の甲子園出場組を多く採用した。熊谷和秋、石井靖(ともに秋田商)や佐藤純一(大曲)堀井政志(秋田商)ら粒ぞろいの選手ばかりだった。(初出場の監督、佐藤伸一。2度目の監督、山中寛)このほか、現衆議院議員の佐藤敬治(東京大)、佐藤敬夫(成蹊大)はともにクラブチームの出身。敬治の球を受けた捕手の緑川大二郎(東京大)は大館商工会議所会頭を務めるなど、選手を辞めてからの活躍が目ざましい。
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