<中日-阪神> 2018年7月31日ナゴヤドーム、中日京田陽太内野手 (24) が “神走塁” を披露し、めずらしい2点犠飛を演出。3回、武山真吾捕手 (34) の右前打で1-1と追いついて、なお1死満塁の場面。大島洋平外野手 (32) の放った打球は中堅やや後方への飛球。中堅の俊介がつまずきながら捕球すると、三塁走者はゆっくり生還。さらに二塁走者の京田は即座に二塁からタッチアップ。中継がもたつく間に1度もスピードをゆるめずに、本塁を駆け抜けた。公式記録員は 「打点2」 と発表。犠牲フライで2打点するいわゆる 「2ラン犠飛」 は、ロッテ鈴木が13年9月15日の西武戦で記録して以来5年ぶり。
2020年07月
優勝 : 金足農業高校 (11年ぶり6回目)
優勝 : 明桜高校 (8年ぶり9回目)
飯塚明 (秋田市副市長、昭和40年秋田高校硬式野球部主将)、昭和21年4月28日生。昭和40年夏甲子園ベスト4時の主将(早稲田大-秋田-秋田南)。夏甲子園大会予選西奥羽大会決勝で秋田商を破り、春・夏連続の出場を果たす。初戦の大阪の大鉄(ナイターゲーム)にサヨナラ勝ちし、その後も勢いに乗り日大二(東京)、津久見(大分)を撃破、準決勝で優勝した原貢監督率いる三池工(福岡)に1点差で惜敗し決勝進出を逃す。鐙(羽城)-大久保(秋田北)の投手リレーが印象的で、トップ成田から飯塚、藤原(稔)、岡本の中軸も強力だった。早稲田大学教育学部卒業後、秋田市役所入庁、秋田市教育長-秋田市副市長等歴任。平成21年7月28日、胃がんのため死去、享年63歳。<昭和40年夏秋田高校登録選手> [右]成田憲明、[遊]佐藤茂範、[二]○ 飯塚明、[捕]藤原稔、[一]岡本隆、[中]今井敦雄、[投]鐙文行、大久保正樹、[左]斎藤正人、藤原清己、[三]渡辺和美、広瀬光男、堀内一志、高橋修平、[監]渡辺博太郎。秋田南中同期に元巨人吉成昭三(秋田商)投手。
-各地区 3位決定戦実施-
交流戦 花輪8-2八幡平
能代山本地区1区優勝:山本中、2区優勝:藤里中( 決勝:清水岱球場 )
- 応援は選手の家族に制限 -
- 応援は選手の家族に制限 -
-リーグ戦-
- 本荘由利1区 東由利 2区 西目 -
- 観戦は保護者に限定 -
秋田南中1期生。何よりも人材が揃っていた秋田商の同期三平晴樹投手 「3年の時は三浦清投手を擁して優勝間違いなしといわれたチームでした。春の全県選抜で優勝、さらに東北大会でも優勝しましたからね。」、急病で倒れた赤根谷飛雄太郎監督の後任佐川吉十郎監督 「当時のメンバーだったら全国の上位に進出しても何らおかしくはなかった。」 夏の県予選準決勝で秋田に1-2で惜敗し全国大会出場は逃がす。慶応大進学直後に結核で半年間入院、復帰後は主力投手となり、伝説の早慶66連戦にも先発。プロに誘われたが、利き腕の右肘を痛め断念、社会人野球の名門日本石油4年、大昭和製紙で1年プレーして現役を引退。1学年上に嵯峨健四郎投手(東映)、同期に三平晴樹投手(大毎)、1学年下に佐々木吉郎投手(大洋)。
【2016.7.25】三平晴樹投手(阪急-大洋-大毎-日鉱日立-秋田商-土崎)平成28年7月25日逝去、77歳。昭和33年大毎入団、昭和35年に12勝を挙げ優勝に貢献、昭和40年現役引退。通算41勝34敗。<秋田魁新報1991(平成3年)10月21日~ 連載 「八橋球場の50年-第1部 球史を彩った男たち」>。今川敬三(秋田商)、水沢博文(金足農)、大久保正樹(秋田高)、遠藤恒男(本荘高)、簾内政雄(能代高)、石戸四六(秋田商)、高橋茂(大曲農)、小野巧(秋田高)、中島義博(秋田市立)、大石正行(横手高)、成田光弘(秋田商)、工藤幹夫(本荘高)、景山貴志(経法大付)、三平晴樹(秋田商)、本多秀男(秋田高)、成田憲明(秋田高)、阿部政文(大館鳳鳴)、小山満(経法大付)、三浦健二(秋田工)、船木千代美(秋田市立)、山岡政志(秋田商)、佐々木吉郎(秋田商)、嵯峨健四郎(秋田商)、小西秀朗(秋田高)、石崎透(秋田市立)、男鹿谷和美(秋田高)、猿田和三(秋田高)、山田久志(能代高)、鈴木寿(経法大付)、高橋捷郎(秋田高)、三浦清(秋田商)、武藤一邦(秋田商)、高松直志(能代高)、高橋千秋(秋田市立)、中川申也(経法大付)。
平成29年夏秋田市立勝平中登録選手[投]小西龍稀(3)、[捕]五十嵐新平(3)、[一]高山隼(2)、[二]黒沢恵吾(3)、[三]藤井日々樹(1)、[遊]〇 柴田和歩(3)、[左]相馬大輝(2)、[中]若松優輝(3)、[右]海津彬生(3)、東海林輝星(2)、太田友臣(2)、佐藤仁星(2)、袴田天汰(2)、加藤蓮大(2)、佐藤蒼記(2)、小西隼和(1)、佐藤祐太(1)、石黒叶(1)、嵯峨陽色(1)、小栁青葉(1)、[責]榎浩幸、[監]石川央季。<バーチャル高校野球> 7月22日、秋田独自大会決勝 明桜7 - 2能代松陽。5点先行して迎えた九回裏。勝利は近いが、野球は最後まで何が起こるかわからない。この回3人目の打者を迎えた明桜の五十嵐新平捕手(3年)は、はやる気持ちを抑えて、マウンド上の長尾光投手(3年)にサインを送った。「ここで決めてくれ」。5球目、要求したのは決め球のスプリット。球はサイン通りきれいにミットに収まり、空振り三振。優勝が決まった。正捕手になったのは昨秋から。直後の秋の県大会決勝は、1、2年生の頃から夏の大会に出場してきた経験豊富な投手2人を抱えながら、能代松陽に敗れた。投手陣の持ち味を生かせなかった反省が残った。冬、9割ほどを捕手の練習に費やした。特に見直したのは配球。外角をより効果的にするため、序盤にもっと内角を攻める。打者の読みを外すだけでなく、投手がどんな球を投げたいかにも配慮する――。思惑通り打ち取れるようになると、ゲームを組み立てる捕手の醍醐味(だいごみ)を感じた。夏の大会が近づき投手陣が力をつけると、「球速140キロ超えの4投手がそろう優勝候補」として注目された。「ピッチャーがいいのに、打たれたら自分のせい」。責任感を背負って臨んだ大会だった。この日は、相手打者が変化球を狙えばコースを突いた直球を、タイミングが合っていなければ三振を奪える変化球を選び、見事なリードをみせた。試合後、つかんだ勝利を喜びつつも「秋田大会は通過点と思ってやってきました」。次の舞台は東北大会。頼もしい言葉が返ってきた。(高橋杏璃)
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