★ 備忘録 「熱球通信」 ・ 特定非営利活動法人秋田県野球フォーラム ★

「熱球通信」は特定非営利活動法人秋田県野球フォーラム会員有志による備忘録を兼ねた「秋田県野球」にこだわった私的ブログです。掲載している記録等については公式なものではありませんのでご注意願います。リンク等についてはオールフリーですので事前のメール等一切不要です。更新頻度は原則毎日の更新です。秋田県出身で県外に在住の方も念頭に更新していきますが、内容等一部については地元情報と時差が生じる場合があります。練習・親善試合の結果情報は原則掲載しません。また、コメント送信欄と掲示板については諸般の事情により対応していません。積極的な中学硬式野球・女子野球の紹介に努めています。

2020年05月

練習試合/2020令和2年5月31日(日)能代松陽-明桜(琴丘スカルパ球場)

編集人も観戦/短かった昭和47年の夏 秋田-能代工 秋田高校3年 佐藤茂三塁手

2013年5月31日 朝日新聞デジタル高校野球
satousigeru

2012 平成24年度 秋田県立大曲高等学校野球部3年生・マネジャー登録選手

oomagari判田将内野手 社会人野球 秋田GLANZ所属 #2昨シーズンは仕事もありなかなか試合等に参加出来ずでしたが、参加できる際は大曲から飛んでくる野球をこよなく愛する人です。 バッティングともに瞬足が持ち味で今年も期待の選手の1人です!」 秋田GLANZ <3年生> 小松大純(豊成)、佐川達郎(中仙)、田中慎太郎(大曲南)、茂木陽大(仙北)、○ 高橋昌蔵(大曲南)、進藤尚人(仙北)、山本駿(平和)、茂木雄大(仙北)、鈴木正紀(中仙)、高橋亮太(大曲)、判田 将(大曲)、粟津健汰(大曲)、鈴木苑子、<責任教師> 浅野晃秀 <監督> 照井正喜。

2020 / 令和2年5月30日(土)大館国際-能代松陽(山田久志サブマリン)

<ムッシュ亀吉>さん https://twitter.com/Liner_back
5301214

平成25年5月 / 日本高野連地方大会功労者 前秋田県高野連理事長鎌田勝氏選出

日本高野連は2013(平成25年)5月30日、各都道府県高校野球連盟功労者に前秋田県高野連理事長 鎌田勝 秋田北高校副校長(湯沢商・新屋等の監督歴任、秋田高校2年時に三塁手で昭和48年夏甲子園大会出場、3年時は主将/投手登録で2年生山岡長英捕手とバッテリー、旧若美町払戸出身)氏を選出、同氏は秋田県高野連の理事長を2008年度から3年間務めた。功労者表彰は第45回大会から5年ごとの記念大会で実施され(各都道府県から1人選出)、表彰式は各地方大会の抽選会や開会式などで行われる。新屋監督時代に現在東京ヤクルトスワローズ藤田太陽投手(川鉄千葉、飯島)を指導。【2013.4.27】2013(平成25年度)秋田県高校野球連盟評議員・理事会が4月26日秋田市で開かれ、新会長に元県高野連理事長佐藤茂氏(金足農校長、東京教育大-秋田高、平鹿・横手・西仙北等の監督歴任)選出。※一部未確認【2008.5.30】日本高野連「地方大会功労者」に前秋田県高野連理事長佐藤茂選出。日本高野連は、第90回全国選手権大会に合わせて表彰する、地方大会の運営や高校野球の育成に10年以上にわたって尽力した「地方大会功労者」の47人を発表した。秋田県からは、県高野連の理事長を2002年度から6年間務めた佐藤茂氏が選ばれた。表彰は第45回大会から5年ごとの記念大会で実施され、各都道府県から1人ずつ選ぶ。表彰式は各地方大会の抽選会や開会式などで行われる。

2010/ 平成22年度 秋田県立鷹巣高校野球部登録選手(3年生・マネジャー)

takanosu工藤里穂さん、現在、社会人野球能代松陵クラブマネージャー 公式戦の場内アナウンスも担当。<秋田県立鷹巣高校野球部3年生> 千葉健成(鷹巣南)、佐藤司(藤里)、藤原昇平(鷹巣南)、藤嶋梢平(鷹巣南)、佐藤秀平(二ツ井)、亀山朋玖銛(鷹巣)、○ 鈴木雅翔(森吉)、清水裕太(二ツ井)、近藤大心(合川)、鈴木和翔(森吉)、田中大樹(藤里)、三澤亘(鷹巣)、長崎克俊(鷹巣)、工藤里穂<責任教師> 土濃塚寿史 <監督> 湯澤 淳。

TDK投手陣 / 小木田敦也(角館)佐藤開陸(能代松陽)長谷川拓帆(仙台育英)

- 秋田さきがけ -
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スポーツ報知 / TDKの若き左腕 長谷川 拓帆(仙台育英)佐藤 開陸(能代松陽)

touyスポーツ報知 2020.4.19> 社会人野球・TDK(秋田)で地元出身の高卒左腕2人が、チームの柱となるため成長すると意欲を燃やしている。3年目の長谷川拓帆投手(20)=仙台育英出=は、けがに泣かされた2年間の思いをぶつけると決意。2年目の佐藤開陸(かいり)投手(19)=能代松陽出=は、ルーキーイヤーの経験を生かして巧みな投球術をみせると意気込んだ。地元・秋田出身の2人の左腕が、TDKを7年ぶりの都市対抗出場へ導くため奮投する。「もう3年目。結果を一番に求めていきたい」と長谷川が話せば、佐藤開は「(失点)ゼロで抑えることを大前提に、テンポよく投げてチームの流れを作れるようにしたい」。大卒選手もいるなか、若い2人が投手陣の軸になってみせる。ここまでの社会人での歩みは対照的だ。仙台育英では3年夏に甲子園8強の長谷川だが、1年目に左膝を手術。昨年は都市対抗東北2次予選で先発も経験したが、腰や左肩に痛みが出て調子が上がらなかった。復活をかける今年は「年明けから調子は良かった」と、3月のキャンプでも十分な投げ込みで力をつけてきた。仙台育英ではプロ志望届を提出するも指名漏れ。万全の状態に近づけば、今年解禁となるプロ入りも見えてくる。佐藤開は昨年、ルーキーながら公式戦で先発するなど貴重な経験を積んだ。それを踏まえ、「全力で投げることしか考えていなかった。(良いときと悪いときの)波が大きかった」と反省を口にした。能代松陽では2年秋に県大会優勝&東北大会4強、3年夏は秋田大会4強入り。あえて全力投球を“封印”し、制球や配球などの投球術で打者を翻弄していた当時を思い起こし、今年は持ち味を存分に発揮して抑えていくつもりだ。「うちは若いチーム。(投手も野手も)試合を重ねていくうちにきっかけをつかめばグッといきそう」と、佐藤康典監督(50)も若手の成長に期待した。7月に予定されていた日本選手権が中止となるなど公式戦はしばらくないが、成長できる時間が増えたととらえたい。「チームが勝たなきゃ意味がない。そのための力になれればいい」(長谷川)、「2年目の自分が活躍すればチームの力になれるはず」(佐藤開)と、勝利につながる力投をみせるために腕を磨いていく(有吉広紀)◆ 長谷川拓帆(はせがわ・たくほ)1999年4月30日、秋田市生まれ。20歳。小3で野球を始め、6年時に楽天ジュニアでプレー。桜中から仙台育英に進み、3年時に春夏連続で甲子園出場、夏は8強。178センチ、82キロ。左投左打。◆ 佐藤開陸(さとう・かいり)2000年8月14日、秋田・北秋田市生まれ。19歳。小1で野球を始める。鷹巣南中から能代松陽に進み、2年秋に東北大会4強。3年夏は秋田大会4強。165センチ、63キロ。左投左打。

ベースボールマガジン社/ 週刊ベースボール2020.6.08/ 12球団球場物語

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2017平成29年春季秋田県大会 東北大会出場 公募就任輿石重弘監督采配的中

mei<スポーツ報知>春季高校野球秋田県大会準決勝、明桜7-1秋田修英(5月29日、こまちスタジアム)。秋田の準決勝が行われ、明桜が秋田修英を7-1で下し、2年連続19度目の東北大会出場を決めた。1点先行されて迎えた4回2死二、三塁に代打の岩崎晟吾(2年)が逆転適時打。守備では5回2死満塁のピンチを素早い投手交代で乗り切るなど、今春就任した輿石重弘監督(54)の采配が光った。指揮官の目に狂いはなかった。0-1で迎えた4回2死二、三塁。明桜の輿石監督が、先発の佐藤光一(3年)に代えて左打者の岩崎を代打に送った。相手は左投手だったが、「当てるのがうまい選手なのでいけると思った」 と読み通りに右翼前への逆転2点適時打が飛び出た。さらに岩崎は2球連続で盗塁を試み、三盗では相手の悪送球も誘って3点目をもぎ取った。殊勲の2年生は 「少し早い(出番)と思ったけど、結果を出せて良かった」 と胸を張った。5回からマウンドに立った曽谷龍平投手(2年)が5回2死から2つの四球などで満塁のピンチを作った。すると、輿石監督はすぐに右翼を守っていた山口航輔(2年)にスイッチ。プレッシャーのかかる場面に最速144キロの右腕は 「いいところで回ってきた」 と続く打者を一塁への邪飛に抑え、残る4イニングも2安打5三振で零封。最後は三振で締めて 「最後までいけると思ったし、楽しんで投げられた」 と笑った。インターネットなどの公募で、輿石監督は帝京三高(山梨)を離れ、今春から就任。監督が選手に浸透させているのは、感謝の気持ちとプラス思考だ。毎朝の練習前にはグラウンドで選手と腹式呼吸を行い、感謝の思いを口にしている。メンタルトレーニングの一種で 「技術より気持ち。そして言葉にすることで意識を高めることができる」 と精神面を強化してきた。甲子園春夏計13度出場の名門は、昨秋は地区予選で敗れたものの、今春の公式戦は8連勝と勢いを取り戻した。「選手はすごい力があるということを感じさせてくれた。県を勝って東北大会につなげたい」 と輿石監督。山梨では成し遂げられなかった甲子園の夢を新天地で叶えるため、目の前の一戦一戦を勝ち抜く。(遠藤洋之)

高校野球ドットコム / 昨年はPL学園も出場「マスターズ甲子園」大会 中止発表

bbac159b高校野球ドットコム  全国高校野球OBクラブ連合は7月28日、今秋に予定されていた「マスターズ甲子園2020(第17回大会)」の【中止】を発表した。全国高校野球OBクラブ連合の公式HPでは、 「本連合はマスターズ甲子園2020(第17回大会)の主催団体として、甲子園本大会の開催に向けて各都道府県予選大会をはじめ準備を進めておりましたが、新型コロナウイルス感染症による影響の長期化が懸念されると共に、第102回全国高等学校野球選手権大会が中止決定されたことを受け、今年度のマスターズ甲子園2020甲子園本大会および地方予選大会を中止する決定に至りました。本連合の設立趣旨およびマスターズ甲子園大会理念には高校野球支援を掲げており、今年度は、各都道府県高等学校野球連盟において検討されている地方大会への援助を主とした支援事業に注力して参ります。大会関係者・支援者の皆様方には、今年度大会の中止についてご理解を賜ると共に、高校野球支援へのご協力を頂けますようお願い申し上げます」 と断腸の思いでの決断に至った理由を記している。2004年にスタートしたマスターズ甲子園は、全国の高校野球OB・OGの憧れの場所・甲子園球場を舞台に、毎年11月に全国大会が行われ、甲子園出場を目指す予選大会も盛り上がっている、昨年の第16回大会ではPL学園が大阪府代表と出場し話題になったことも記憶に新しい。 

日刊スポーツ / 会話はグラブを口に 日本高校野球連盟が代替大会実施要項を発表

222<日刊スポーツ> 日本高野連は5月27日、ウェブ会議による理事会を開き、今夏の第102回全国高校野球選手権大会と地方大会の中止に伴う都道府県高野連ごとの代替大会について、大会実施要項を発表した。日本高野連と朝日新聞社が後援し、各都道府県連盟に総額1億9000万円の財政支援を行うことを決定。無観客開催で公式戦と位置づけ、大会期間は原則8月末までなどと決めた。新型コロナウイルス感染防止対策のガイドラインも作成し、各高野連に配布した。<高野連が示したガイドライン要旨>【原則】◆3つの密を徹底的に回避する。【共通】◆試合に関わるすべての者(連盟役員、審判委員、指導者、部員)は試合開始2週間前からの行動歴を記録しておく。【都道府県連盟の対策】◆すべての交流試合は無観客試合を基本とする。◆関係者(控え部員、保護者)のスタンドへの入場は各連盟が判断する。◆消毒液を球場入り口、一、三塁側ベンチに設置し、定期的に補充する。◆大会運営スタッフはマスクを着用する。◆ベンチ内が密集になる可能性があるため、横並びに座る。なるべく人と人の距離を取るようにする。◆控え部員や保護者も観戦可能と判断した場合はスタンドでの観戦とし、それぞれ2メートル以上の間隔をとって観戦するように指導する。大声を出さないようにし、拍手での応援を基本とする。◆放送室や記録室が密室、密集にならないように工夫する。工夫できない場合はアナウンス、BSOはなしで行う。マイクを使用する場合は、マイクカバーや消毒するなどして、感染防止に努める。◆同じ球場で試合を複数行う場合は、試合ごとにダグアウト内を清掃、消毒する。消毒箇所はベンチや手すりなど不特定多数の者が接触する場所。【参加校の対策】◆指導者、選手、記録員、補助員は試合当日起床後、自身で検温し、検温確認表を作成。37・5度以上は来場を自粛する。◆熱中症予防にも十分に配慮することとし、水分補給を行うが、各人のペットボトルや使い捨て紙コップなどを用意し、飲み回しなどを行わないようにする。◆円陣を組むなどは密集にならないように配慮し、マウンド上で集合する時はグラブを口に当てることとする。◆試合中は素手でのハイタッチ、握手を控え、ボールを触った手で目、鼻、口を触らない。

・ドラフトノート・明桜高校 佐々木湧生投手(181/77、右/右、秋田東-旭川)

1968/ 昭和43年第50回全国高校野球大会 秋田市立 中島義博選手(秋田北)

naka5月26日はラッキーゾーンの日。1947年のこの日、甲子園球場にラッキーゾーン設置、広すぎてホームランが出にくいとの理由で設置されたが、1992年に撤去。・1992(平成4年)3月、バットやボールの改良を受けて甲子園球場の 「ラッキーゾーン」 が撤去。撤去後初開催の第64回センバツ大会で最初に本塁打を放ったのが星稜の松井秀喜選手。【2014.7.11】初戦の市神港戦で山口高志投手(阪急-松下電器-関西大)からホームランを奪って自信をつけ、続く智弁学園戦の4回にカーブを狙ってレフトのラッキーゾーンに2試合連続となるアーチ、これで逆転して初出場でベスト8に進出。甲子園大会12打数7安打6打点。【2004.8.01】平成16年第75回都市対抗野球に秋田県野球協会審判部技術指導員の中嶋義博さん(53)が東北代表の審判員として派遣される。都市対抗は社会人野球最高峰の大会で、秋田県から同大会に派遣されるのは7人目で、球審を務めるのは初となる。昭和43年夏に秋田市立の6番打者として甲子園大会に出場し2本塁打を放つ。昭和59年に第2種公認審判となり、昭和61年に第1種取得。<昭和43年夏 秋田市立 登録選手> 秋田市立7-2市神港、7-2智弁学園、1-5静岡商、[投]鎌田忠和、[捕]竹谷正作、[一]吹田清、[二]保坂正美、[三]笠原良一、[遊]佐藤道世、[左]中島義博、[中]浅野光博、[右]松橋博則、小松茂美、高橋千秋、三浦正行、五十嵐洋一、船木隆悦、[責]虻川庄治郎、[監]長谷川光佑。<昭和39年夏 秋田北中 登録選手> [投]石黒修、[捕]保坂千代志、[一]小松茂美、[二]中島義博、[三]保坂正美、[遊]北島博美、[左]中島和秋、[中]西重信、[右]保坂誠、船木久一郎、石川雅義。

岩田努氏「秋田高球児たちよ あの夏を越えよ!」(昭和39年秋~昭和40年夏)

041_036_imgs-00015月26日はラッキーゾーンの日。1947年のこの日、甲子園球場にラッキーゾーン設置、広すぎてホームランが出にくいとの理由で設置されたが、1992年に撤去<2017.1.31>秋田県勢甲子園第1号は昭和40年成田憲明(日本航空-慶応大)、初戦大鉄戦の6回、2球目のストレートをライトラッキーゾーンに運んだもの。「初戦で緊張し、前半0-3でリードされていて、打った瞬間入ったと思った。会心の一撃だった」。延長13回決勝点のホームを踏んだのも成田選手。2015.2.27>大久保正樹氏(66、秋田県軟式野球連盟副会長兼理事長)2014年度秋田県スポーツ賞功労賞受賞。<昭和40年夏秋田高校登録選手> [右]成田憲明、[遊]佐藤茂範、[二]○飯塚明、[捕]藤原稔、[一]岡本隆、[中]今井敦雄、[投]鐙文行、大久保正樹、[左]斎藤正人、藤原清己、[三]渡辺和美、広瀬光男、堀内一志、高橋修平、[監]渡辺博太郎。昭和40年夏甲子園大会準決勝で三池工に敗れた秋田高校の甲子園大会までの軌跡を纏めた 「秋田高球児たちよ あの夏を越えよ! いま振り返る 悲願の全国制覇にかけたあの夏」(岩田務氏平成24年7月作、A4サイズ22ページ)、前作の「秋田中学第一回準優勝までの足取」に次ぐ労作。 

・岩手大学準硬式野球部#1 菅原久吾内野手(3、農学部、横手-十文字-睦合)

十文字中3年時 遊撃手で第80回記念秋田県少年野球大会出場
https://twitter.com/iwatejunko
EY1ZZt1UwAAYHjG

2013 / 平成25年魁星旗第5回秋田県中学秋季軟式野球大会登録選手 <2>

ten<十文字中> [投]鈴木千逸(2)、[捕]菅原拓己(2)、[一]○太田圭亮(2)、[二]高橋佳伸(2)、[三]熊谷一真(2)、[遊]菅原久吾(2)、[左]後藤功希(2)、[中]土田峻也(2)、[右]小川柊吾(2)、廣田一真(2)、佐藤宏紀(2)、佐藤将成(2)、柴田圭介(2)、藤原誠人(2)、原田慎司(2)、石川快(2)、佐藤謙吾(2)、原田怜司(2)、吉田周平(2)、伊藤航大(2)、[責]佐藤大樹、[監]高橋秀彰、[記]内藤学哉(1)。<天王中> [投]戸田圭宣(2)、[捕]藤井海都(2)、[一]菅原大地(2)、[二]登藤乙矢(2)、[三]近藤寿哉(2)、[遊]○三浦勇輝(2)、[左]児玉樹紀(2)、[中]高橋茉央(2)、[右]和田啓太(2)、越後樹(2)、谷和磨(2)、三浦翔(2)、小玉航(2)、武田真愛也(2)、小野滉翔(1)、吉田輝星(1)、鎌田文汰(1)、沼田優翔(1)、藤原亮太(1)、佐沢辰起(1)、[責]小林理、[監]高砂明、[記]鈴木琉冴(1)。<稲川中> [投]高橋勇樹(2)、[捕]佐藤誉(2)、[一]藤原良成(1)、[二]佐藤郁也(2)、[三]遠田慶太(2)、[遊]○麻生柊真(2)、[左]高階淳也(1)、[中]麻生良太(2)、[右]阿部佑輝(2)、栗原玲(1)、佐藤扇(1)、柴田大翔(1)、高橋海南(1)、小松谷珠梨(1)、小野寺涼太(1)、後藤泰幸(1)、佐藤駿将(1)、高橋航也(1)、栗原伊吹(1)、木村景太(1)、[責]渡邊勇司、[監]阿部広美。

高校野球ドットコム紹介 / 秋田修英高校 佐藤秋彦野球部長(秋田大-湯沢-雄勝)

KIMG0005[1]雄勝中で主将(秋田商太田直監督の1年先輩)、湯沢高で主将、秋田大で主将(北東北大2部リーグでベストナイン・首位打者)。秋田修英教諭着任と時期を同じくして県内外含め部員増加傾向。今後の監督・コーチ陣との更なる指導体制構築に注目。 秋田修英高校野球部指導者紹介  <秋田県立湯沢高校野球部歴代主将 昭和56年~>。昭56佐藤義則(十文字)→昭57新山英世(稲川)→昭58阿部哲哉(湯沢北)→昭59小松知彦(羽後)→昭60小野哲(湯沢南)→昭61柿崎国夫(醍醐)→昭62生田目仁司(湯沢南)→昭63信太勉(三輪)→平1小野崎勝徳(湯沢北)→平2小嶋幸喜(須川)→平3最上宏(増田)→平4高橋靖(稲川)→平5藤原雅典(山内)→平6佐々木仁(稲川)→平7佐藤雅和(山内)→平8佐藤秋彦(雄勝)→平9柿崎貴之(横手南)→平10高橋哲也(十文字西)→平11里見一成(湯沢北)→平12後藤武典(稲川)→平13佐藤優次(湯沢北)→平14高久幸太(湯沢北)→平15桐田良平(雄勝)→平16斎藤孝仁(湯沢南)→平17上坂翔太(稲川)→平18益子翔大(湯沢北)→平19柴田遼太郎(高瀬)→平20柴田豊(高瀬)→平21佐藤康之輔(皆瀬)→平22石垣理貴(羽後)→平23松田和也(湯沢北)→平24土田大和(羽後)→平25西村泰羅(平鹿)→平26斉藤友哉(湯沢北)→平27松岡功(雄勝)→平28高橋航大(雄勝)→平29富谷陽一郎(湯沢南)→平30沼倉凌(湯沢北)→令01松田和也(湯沢北)。

きなこ@なぽれおん / おとっちゃんが買ってきた「加湿器」が気になりすぎて…


2019 / 平成31年春季秋田県内各地区高等学校野球リーグ戦本塁打(6地区)

6383808f-s令和2年5月24日現在情報。花輪 阿部祐希選手は182cm84kgの恵まれた身体から豪快な打撃を見せる右の大砲。この日解禁された練習試合で十和田と対戦し、3番捕手として高校通算11号となるホームランを放つなど、8打数6安打8打点の活躍。今後、大学に進学してプロ入りを目指す。<4/6> ・高橋鉄真(3、五城目-井川、対秋田西、五城目G)、・播摩友翔(2、新屋-御野場、対秋田中央、新屋G)、・佐藤昂大(3、新屋-桜、対秋田中央、新屋G)。<4/7> ・高橋泰智(3、秋田高専-秋田北、対新屋、さきがけ八橋)。<4/13> ・齋藤来輝(3、本荘-象潟、対由利、由利G)、・藤井エル(3、平成-横手南、対六郷、スタジアム大雄)、・髙村聖和(3、平成-横手北、対六郷、スタジアム大雄)、・原陸(3、横手-横手明峰、対羽後、スタジアム大雄)。<4/20> ・榊絋仁(3、大館国際-十和田、対花輪、大館国際G)、 ・内藤悠喜(3、大館国際-尾去沢、対花輪、大館国際G)、 ・小田嶋翔(3、花輪-十和田、対秋田北鷹、大館国際G)、・阿部祐希(2、花輪-八幡平、対秋田北鷹、大館国際G)、・柴田健太郎(3、由利-鳥海、対西目、西目G)、・佐々木(大曲、対湯沢、仙北)、・佐々木翔(3、横手城南-美郷、対大曲農、大曲)、・工藤音弥(3、秋田修英-桜、対雄物川、大雄)、・伊藤光星(3、秋田修英-下川沿、対羽後、大雄)。<4/21> ・田村零士(2、能代松陽-田代、対3校連合、能代G)、・佐藤(能代松陽、対3校連合、能代G)、・板倉悠斗(3、能代-山本、対能代工、能代G)、・佐藤昂大①②(3、新屋-桜、金足農、新屋G)、・太田怜央(3、由利工-鳥海、対由利、由利G)、・小場夏亜(2、湯沢翔北-湯沢北、対横手城南、大曲)、<4/22> ・斉藤蓮(3、十和田-花輪一、対花輪、城山)、・豊田駿平(2、十和田-花輪二、対花輪、城山)。

2020令和2年5月24日OP戦 / 秋田中央-能代松陽(山田久志サブマリン)

秋田中央-能代松陽W 第2試合終了
<ムッシュ亀吉>さん
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日刊スポーツ / 関西独立リーグ / 宣言解除で独立L再開へ 村田辰美氏 現状語る

de96668f<ザ・インタビュー~元プロ野球選手たちのセカンドステージ>かつてプロの世界で活躍した野球人にセカンドキャリアを聞く「ザ・インタビュー~元プロ野球選手たちのセカンドステージ」に昨年登場した元近鉄投手の村田辰美氏(67、三菱自動車川崎-六郷-金沢)に現在の状況を聞きました。関西独立リーグに所属する「06BUllS(ゼロロクブルズ)」の監督を務めるかたわら、加圧トレーニングのインストラクターとして長年続けてきた活動も新型コロナウイルスの影響で完全休業が続いていましたが、緊急事態宣言が解除。まずは5月25日からチーム練習が再開されることなりました。「ザ・インタビュー特別編」としてお届けします。【取材・構成=安藤宏樹】「年中夢求」をセカンドキャリアの座右の銘に掲げた村田氏にとって、新型コロナウイルスは強敵となった。4球団で構成する関西独立リーグは4月4日だった開幕を2度延期。緊急事態宣言発令を境にチーム活動も完全にストップした。04年の近鉄球団消滅をきっかけに転身した加圧トレーナーの仕事も休業に追い込まれた。そんな中、緊急事態宣言の解除を受け、チームが活動拠点を置く東大阪市にある花園中央公園野球場の使用が解禁。リーグ開幕に向けて、25日からチーム練習が再開することになった。「私自身も仕事はまったく出来ない状況でしたが、選手もみな自主トレ状態になりました。アルバイトをしている選手が多く、みんな厳しい状況が続きました。それでも離脱者は1人も出ることなく、可能な範囲で練習を続けてくれていたようです。ようやくグラウンドの使用禁止が解かれましたので、全体練習を始めようと思います」。就任2年目にして深刻な事態に見舞われた村田氏はようやく見えた小さな灯に力強い口調で現状を語った。苦しい日々025e1e2eが続いた。それでも村田氏は「やれることをやろう」と選手たちにチーム内のグループラインを通じて呼びかけた。「SNSなどを通じてメッセージを出してほしいとお願いしました。自主練習などの活動内容もですが、特に医療従事者のみなさんに対して感謝の思いを伝えてほしいと。飲食店やコンビニなどでアルバイトしている選手も多いですから、彼ら自身も苦しい状況にあると思いますが、東大阪市に本拠地を置くチームとして、できることは可能な限りやっていこうと」。地域に認知され、活動に共感を持つ人々の輪が広がってこそ独立チームの未来は広がる。長きに渡りプレーした所属球団を失った村田氏だからこそ、その思いは人一倍強い。球団合併で古巣・近鉄は消滅した。これを機に野球解説など球界にかかわる仕事は激減。加圧トレーニングのインストラクターとして歩み始めた。NPB入りを目指す選手たちの受け皿でもある独立リーグ球団監督に昨年就任した。チームを消滅させることはなんとしても避けたい、との思いが根底にある。昨年行ったインタビューで村田氏は次のように話していた。「インストラクターの仕事は『年中無休』と話しましたが、資格を取ったときに『年中夢求』を座右の銘にしました。夢を求めると書きます。今はブルズの監督としてNPBに1人でも2人でも送り込みたいという『夢』も加わりました。リーグ戦は10月まで続きます。『年中夢求』の精神で優勝を目指しつつ、NPBに進める選手を育てていきたいと考えています」。活動休止中も村田氏に夢を放棄する選択肢はなかった。少しでも明日につながる活動方法はないかを模索し、選手たちへ呼びかけを行い、自らは知人に頼まれた仕事を手伝った。世界に広がるコロナ禍。独立リーグへの影響も決して小さくはなく、今後もさまざまな課題が振りかかってくるだろう。それでも村田氏は夢を求めてチーム活動を再開する。◆村田辰美 1952年7月9日生まれ。秋田県出身。六郷高、三菱自動車川崎を経て74年ドラフト2位で近鉄入団。86、87年に開幕投手を務めるなど中心投手として活躍。90年、大洋へ移籍し引退するまで通算404試合に登板、85勝90敗10セーブ、防御率4・19。左投げ左打ち。引退後は近鉄投手コーチ、プロ野球ニュース解説者などを経て加圧トレーニングインストラクター。19年から関西独立リーグ・06BUllS(ゼロロクブルズ)監督を務めている。

2020令和2年5月24日OP戦 / 秋田中央-能代松陽(山田久志サブマリン)

秋田中央-能代松陽W 第1試合終了 秋田南Gでは 秋田南-西目
<ムッシュ亀吉>さん
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スポニチアネックス / 夢のご当地オールスター東北北海道編 / 全国屈指投手王国

2020令和2年5月24日OP戦 / 秋田中央-能代松陽(山田久志サブマリン)

<ムッシュ亀吉>さん https://twitter.com/Liner_back
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