2020年05月



<スポーツ報知 2020.4.19> 社会人野球・TDK(秋田)で地元出身の高卒左腕2人が、チームの柱となるため成長すると意欲を燃やしている。3年目の長谷川拓帆投手(20)=仙台育英出=は、けがに泣かされた2年間の思いをぶつけると決意。2年目の佐藤開陸(かいり)投手(19)=能代松陽出=は、ルーキーイヤーの経験を生かして巧みな投球術をみせると意気込んだ。地元・秋田出身の2人の左腕が、TDKを7年ぶりの都市対抗出場へ導くため奮投する。「もう3年目。結果を一番に求めていきたい」と長谷川が話せば、佐藤開は「(失点)ゼロで抑えることを大前提に、テンポよく投げてチームの流れを作れるようにしたい」。大卒選手もいるなか、若い2人が投手陣の軸になってみせる。ここまでの社会人での歩みは対照的だ。仙台育英では3年夏に甲子園8強の長谷川だが、1年目に左膝を手術。昨年は都市対抗東北2次予選で先発も経験したが、腰や左肩に痛みが出て調子が上がらなかった。復活をかける今年は「年明けから調子は良かった」と、3月のキャンプでも十分な投げ込みで力をつけてきた。仙台育英ではプロ志望届を提出するも指名漏れ。万全の状態に近づけば、今年解禁となるプロ入りも見えてくる。佐藤開は昨年、ルーキーながら公式戦で先発するなど貴重な経験を積んだ。それを踏まえ、「全力で投げることしか考えていなかった。(良いときと悪いときの)波が大きかった」と反省を口にした。能代松陽では2年秋に県大会優勝&東北大会4強、3年夏は秋田大会4強入り。あえて全力投球を“封印”し、制球や配球などの投球術で打者を翻弄していた当時を思い起こし、今年は持ち味を存分に発揮して抑えていくつもりだ。「うちは若いチーム。(投手も野手も)試合を重ねていくうちにきっかけをつかめばグッといきそう」と、佐藤康典監督(50)も若手の成長に期待した。7月に予定されていた日本選手権が中止となるなど公式戦はしばらくないが、成長できる時間が増えたととらえたい。「チームが勝たなきゃ意味がない。そのための力になれればいい」(長谷川)、「2年目の自分が活躍すればチームの力になれるはず」(佐藤開)と、勝利につながる力投をみせるために腕を磨いていく(有吉広紀)◆ 長谷川拓帆(はせがわ・たくほ)1999年4月30日、秋田市生まれ。20歳。小3で野球を始め、6年時に楽天ジュニアでプレー。桜中から仙台育英に進み、3年時に春夏連続で甲子園出場、夏は8強。178センチ、82キロ。左投左打。◆ 佐藤開陸(さとう・かいり)2000年8月14日、秋田・北秋田市生まれ。19歳。小1で野球を始める。鷹巣南中から能代松陽に進み、2年秋に東北大会4強。3年夏は秋田大会4強。165センチ、63キロ。左投左打。



<日刊スポーツ> 日本高野連は5月27日、ウェブ会議による理事会を開き、今夏の第102回全国高校野球選手権大会と地方大会の中止に伴う都道府県高野連ごとの代替大会について、大会実施要項を発表した。日本高野連と朝日新聞社が後援し、各都道府県連盟に総額1億9000万円の財政支援を行うことを決定。無観客開催で公式戦と位置づけ、大会期間は原則8月末までなどと決めた。新型コロナウイルス感染防止対策のガイドラインも作成し、各高野連に配布した。<高野連が示したガイドライン要旨>【原則】◆3つの密を徹底的に回避する。【共通】◆試合に関わるすべての者(連盟役員、審判委員、指導者、部員)は試合開始2週間前からの行動歴を記録しておく。【都道府県連盟の対策】◆すべての交流試合は無観客試合を基本とする。◆関係者(控え部員、保護者)のスタンドへの入場は各連盟が判断する。◆消毒液を球場入り口、一、三塁側ベンチに設置し、定期的に補充する。◆大会運営スタッフはマスクを着用する。◆ベンチ内が密集になる可能性があるため、横並びに座る。なるべく人と人の距離を取るようにする。◆控え部員や保護者も観戦可能と判断した場合はスタンドでの観戦とし、それぞれ2メートル以上の間隔をとって観戦するように指導する。大声を出さないようにし、拍手での応援を基本とする。◆放送室や記録室が密室、密集にならないように工夫する。工夫できない場合はアナウンス、BSOはなしで行う。マイクを使用する場合は、マイクカバーや消毒するなどして、感染防止に努める。◆同じ球場で試合を複数行う場合は、試合ごとにダグアウト内を清掃、消毒する。消毒箇所はベンチや手すりなど不特定多数の者が接触する場所。【参加校の対策】◆指導者、選手、記録員、補助員は試合当日起床後、自身で検温し、検温確認表を作成。37・5度以上は来場を自粛する。◆熱中症予防にも十分に配慮することとし、水分補給を行うが、各人のペットボトルや使い捨て紙コップなどを用意し、飲み回しなどを行わないようにする。◆円陣を組むなどは密集にならないように配慮し、マウンド上で集合する時はグラブを口に当てることとする。◆試合中は素手でのハイタッチ、握手を控え、ボールを触った手で目、鼻、口を触らない。



雄勝中で主将(秋田商太田直監督の1年先輩)、湯沢高で主将、秋田大で主将(北東北大2部リーグでベストナイン・首位打者)。秋田修英教諭着任と時期を同じくして県内外含め部員増加傾向。今後の監督・コーチ陣との更なる指導体制構築に注目。 秋田修英高校野球部指導者紹介 <秋田県立湯沢高校野球部歴代主将 昭和56年~>。昭56佐藤義則(十文字)→昭57新山英世(稲川)→昭58阿部哲哉(湯沢北)→昭59小松知彦(羽後)→昭60小野哲(湯沢南)→昭61柿崎国夫(醍醐)→昭62生田目仁司(湯沢南)→昭63信太勉(三輪)→平1小野崎勝徳(湯沢北)→平2小嶋幸喜(須川)→平3最上宏(増田)→平4高橋靖(稲川)→平5藤原雅典(山内)→平6佐々木仁(稲川)→平7佐藤雅和(山内)→平8佐藤秋彦(雄勝)→平9柿崎貴之(横手南)→平10高橋哲也(十文字西)→平11里見一成(湯沢北)→平12後藤武典(稲川)→平13佐藤優次(湯沢北)→平14高久幸太(湯沢北)→平15桐田良平(雄勝)→平16斎藤孝仁(湯沢南)→平17上坂翔太(稲川)→平18益子翔大(湯沢北)→平19柴田遼太郎(高瀬)→平20柴田豊(高瀬)→平21佐藤康之輔(皆瀬)→平22石垣理貴(羽後)→平23松田和也(湯沢北)→平24土田大和(羽後)→平25西村泰羅(平鹿)→平26斉藤友哉(湯沢北)→平27松岡功(雄勝)→平28高橋航大(雄勝)→平29富谷陽一郎(湯沢南)→平30沼倉凌(湯沢北)→令01松田和也(湯沢北)。
令和2年5月24日現在情報。花輪 阿部祐希選手は182cm84kgの恵まれた身体から豪快な打撃を見せる右の大砲。この日解禁された練習試合で十和田と対戦し、3番捕手として高校通算11号となるホームランを放つなど、8打数6安打8打点の活躍。今後、大学に進学してプロ入りを目指す。<4/6> ・高橋鉄真(3、五城目-井川、対秋田西、五城目G)、・播摩友翔(2、新屋-御野場、対秋田中央、新屋G)、・佐藤昂大(3、新屋-桜、対秋田中央、新屋G)。<4/7> ・高橋泰智(3、秋田高専-秋田北、対新屋、さきがけ八橋)。<4/13> ・齋藤来輝(3、本荘-象潟、対由利、由利G)、・藤井エル(3、平成-横手南、対六郷、スタジアム大雄)、・髙村聖和(3、平成-横手北、対六郷、スタジアム大雄)、・原陸(3、横手-横手明峰、対羽後、スタジアム大雄)。<4/20> ・榊絋仁(3、大館国際-十和田、対花輪、大館国際G)、 ・内藤悠喜(3、大館国際-尾去沢、対花輪、大館国際G)、 ・小田嶋翔(3、花輪-十和田、対秋田北鷹、大館国際G)、・阿部祐希(2、花輪-八幡平、対秋田北鷹、大館国際G)、・柴田健太郎(3、由利-鳥海、対西目、西目G)、・佐々木(大曲、対湯沢、仙北)、・佐々木翔(3、横手城南-美郷、対大曲農、大曲)、・工藤音弥(3、秋田修英-桜、対雄物川、大雄)、・伊藤光星(3、秋田修英-下川沿、対羽後、大雄)。<4/21> ・田村零士(2、能代松陽-田代、対3校連合、能代G)、・佐藤(能代松陽、対3校連合、能代G)、・板倉悠斗(3、能代-山本、対能代工、能代G)、・佐藤昂大①②(3、新屋-桜、金足農、新屋G)、・太田怜央(3、由利工-鳥海、対由利、由利G)、・小場夏亜(2、湯沢翔北-湯沢北、対横手城南、大曲)、<4/22> ・斉藤蓮(3、十和田-花輪一、対花輪、城山)、・豊田駿平(2、十和田-花輪二、対花輪、城山)。
<ザ・インタビュー~元プロ野球選手たちのセカンドステージ>かつてプロの世界で活躍した野球人にセカンドキャリアを聞く「ザ・インタビュー~元プロ野球選手たちのセカンドステージ」に昨年登場した元近鉄投手の村田辰美氏(67、三菱自動車川崎-六郷-金沢)に現在の状況を聞きました。関西独立リーグに所属する「06BUllS(ゼロロクブルズ)」の監督を務めるかたわら、加圧トレーニングのインストラクターとして長年続けてきた活動も新型コロナウイルスの影響で完全休業が続いていましたが、緊急事態宣言が解除。まずは5月25日からチーム練習が再開されることなりました。「ザ・インタビュー特別編」としてお届けします。【取材・構成=安藤宏樹】「年中夢求」をセカンドキャリアの座右の銘に掲げた村田氏にとって、新型コロナウイルスは強敵となった。4球団で構成する関西独立リーグは4月4日だった開幕を2度延期。緊急事態宣言発令を境にチーム活動も完全にストップした。04年の近鉄球団消滅をきっかけに転身した加圧トレーナーの仕事も休業に追い込まれた。そんな中、緊急事態宣言の解除を受け、チームが活動拠点を置く東大阪市にある花園中央公園野球場の使用が解禁。リーグ開幕に向けて、25日からチーム練習が再開することになった。「私自身も仕事はまったく出来ない状況でしたが、選手もみな自主トレ状態になりました。アルバイトをしている選手が多く、みんな厳しい状況が続きました。それでも離脱者は1人も出ることなく、可能な範囲で練習を続けてくれていたようです。ようやくグラウンドの使用禁止が解かれましたので、全体練習を始めようと思います」。就任2年目にして深刻な事態に見舞われた村田氏はようやく見えた小さな灯に力強い口調で現状を語った。苦しい日々
が続いた。それでも村田氏は「やれることをやろう」と選手たちにチーム内のグループラインを通じて呼びかけた。「SNSなどを通じてメッセージを出してほしいとお願いしました。自主練習などの活動内容もですが、特に医療従事者のみなさんに対して感謝の思いを伝えてほしいと。飲食店やコンビニなどでアルバイトしている選手も多いですから、彼ら自身も苦しい状況にあると思いますが、東大阪市に本拠地を置くチームとして、できることは可能な限りやっていこうと」。地域に認知され、活動に共感を持つ人々の輪が広がってこそ独立チームの未来は広がる。長きに渡りプレーした所属球団を失った村田氏だからこそ、その思いは人一倍強い。球団合併で古巣・近鉄は消滅した。これを機に野球解説など球界にかかわる仕事は激減。加圧トレーニングのインストラクターとして歩み始めた。NPB入りを目指す選手たちの受け皿でもある独立リーグ球団監督に昨年就任した。チームを消滅させることはなんとしても避けたい、との思いが根底にある。昨年行ったインタビューで村田氏は次のように話していた。「インストラクターの仕事は『年中無休』と話しましたが、資格を取ったときに『年中夢求』を座右の銘にしました。夢を求めると書きます。今はブルズの監督としてNPBに1人でも2人でも送り込みたいという『夢』も加わりました。リーグ戦は10月まで続きます。『年中夢求』の精神で優勝を目指しつつ、NPBに進める選手を育てていきたいと考えています」。活動休止中も村田氏に夢を放棄する選択肢はなかった。少しでも明日につながる活動方法はないかを模索し、選手たちへ呼びかけを行い、自らは知人に頼まれた仕事を手伝った。世界に広がるコロナ禍。独立リーグへの影響も決して小さくはなく、今後もさまざまな課題が振りかかってくるだろう。それでも村田氏は夢を求めてチーム活動を再開する。◆村田辰美 1952年7月9日生まれ。秋田県出身。六郷高、三菱自動車川崎を経て74年ドラフト2位で近鉄入団。86、87年に開幕投手を務めるなど中心投手として活躍。90年、大洋へ移籍し引退するまで通算404試合に登板、85勝90敗10セーブ、防御率4・19。左投げ左打ち。引退後は近鉄投手コーチ、プロ野球ニュース解説者などを経て加圧トレーニングインストラクター。19年から関西独立リーグ・06BUllS(ゼロロクブルズ)監督を務めている。