★ 備忘録 「熱球通信」 ・ 特定非営利活動法人秋田県野球フォーラム ★

「熱球通信」は特定非営利活動法人秋田県野球フォーラム会員有志による備忘録を兼ねた「秋田県野球」にこだわった私的ブログです。掲載している記録等については公式なものではありませんのでご注意願います。リンク等についてはオールフリーですので事前のメール等一切不要です。更新頻度は原則毎日の更新です。秋田県出身で県外に在住の方も念頭に更新していきますが、内容等一部については地元情報と時差が生じる場合があります。練習・親善試合の結果情報は原則掲載しません。また、コメント送信欄と掲示板については諸般の事情により対応していません。積極的な中学硬式野球・女子野球の紹介に努めています。

2020年01月

2019令和元年 第71回秋季高校野球秋田県大会 湯沢翔北高校 藤井南翔 主将

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<令和元年秋> 藤井南翔(湯沢翔北-羽後)。<令和元年夏> 佐藤尚磨(西仙北-秋田南)。<令和元年春> 岡田雄基(大曲農-南外)。<平成30秋東北> 亀卦川祥太(秋田修英-宮城門脇、石巻中央リトルシニア)。<平成30秋> 佐藤俊輔(湯沢翔北-皆瀬)。<平成30夏> 山口航輝(明桜-大阪加美)。<平成30春> 松橋稜(秋田修英-将軍野)。<平成29秋> 能勢涼太(明桜-岡山岡輝)。<平成29夏> 渡晃介(本荘-金浦)。<平成29春> 田森力樹(能代-八竜)。<平成28秋> 近藤伸亮(秋田北鷹-鷹巣南)。<平成28夏> 渡辺知晃(本荘-金浦)。<平成28春> 橋本陽介(湯沢翔北-湯沢北)。<平成27年秋> 小林星也(大館国際-下川沿)。<平成27夏> 三浦理輝(秋田高専-桜)。<平成27春> 出原和樹(秋田工-御野場)。<平成26秋> 田村倫基(明桜-埼玉栄進)。<平成26夏> 千葉天馬(角館-角館)。<平成26春> 田代大智(大曲工-大曲)。<平成25秋> 大友翔矢(本荘-大内)。<平成25夏> 猿田航也(秋田西-五城目一)。<平成25春> 武田伸司(秋田工-土崎)。<平成24秋> 鈴木拓海(秋田-秋田南)。<平成24夏> 木村達哉(金足農-中仙)。<平成24春> 鈴木晶遥(六郷-中仙)。<平成23秋> 畠山慎平(能代商-能代南)、開会式中止。<平成23夏> 齋藤佑真(秋田南-秋田南)。<平成23春> 沓澤雄翔(横手城南-稲川)。<平成22秋> 木村瑞希(合川-花輪二)。<平成22夏> 高橋翔平(秋田西-秋大付)。<平成22春> 鈴木雅翔(鷹巣-森吉)。<平成21秋> 藤田浩幸(大曲農-角館)。<平成21夏> 伊藤開(大曲農-仙南)。<平成21春> 今知貴(秋田商-平和)。<平成20秋> 齊藤匠(横手-十文字)、。<平成20夏> 澤田豊希(五城目-男鹿東)。<平成20春> 板橋郁弥(大館鳳鳴-成章)。<平成19秋> 伊藤流馬(秋田南-城東)。<平成19夏> sho高瀬歩(十和田-小坂)。<平成19春> 佐藤和樹(秋田-秋田東)。<平成18秋> 杉沼慶(秋田中央-土崎)。<平成18夏> 佐々木修平(六郷-千畑)。<平成18春> 佐々木弘史(秋田商-八郎潟)。<平成17秋> 菊地大樹(男鹿工-天王南)。<平成17夏> 菊地光博(横手清陵-増田)。<平成17春> 阿部達矢(湯沢商工-三輪)。<平成16秋> 堀井貴広(大曲農--西仙北東)<平成16夏> 佐々木陽祐(秋田商-角館)。<平成16春> 佐々木陽祐(秋田商-角館)。<平成15秋> 小野了(秋田中央-秋大付)<平成15夏> 佐々木竜太(西仙北-平和) ※こまちスタジアム使用開始。<平成15春> 高久満(湯沢商工-湯沢北)。※以下参考 <平成4秋> 工藤明(能代商-八森)、<平成16春センバツ大会> 佐々木陽祐(秋田商-角館)、<昭和48夏甲子園大会> 高木昇(秋田-山王)。

2015.04/千葉ロッテ 木村優太投手(経法大付-花輪二)プロ入り7年目で初勝利。

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記憶に残る試合 / 木村優太投手 (ロッテ-東京ガス-経法大付) 高校最後の夏。

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記憶に残る試合 / 木村優太投手 (ロッテ-東京ガス-経法大付) 高校最後の夏。

huzoku甘いマスクが特徴の長身投手で、花輪二中時代すでに身長183cm。平成15年夏甲子園予選、第2シード秋田経法大付(古窪敬一監督)は、準々決勝(対平成戦)で1年生佐藤卓真(東京ガス、西仙北東)を先発、2番手菅原圭介(3、羽城)の後を受け、木村投手は急遽3番手で登板し、10奪三振を奪ったものの野手の失策も響きよもやの3-6で敗戦。平成高校は快心の勝利、それとは対照的に秋田経法大付は全てにカラ回りの状態で、チーム全体がリズムにうまく乗れない時の歯がゆさ、苦しさを肌で感じた試合だった。ドラフト候補木村雄太投手(左左、189/77)の最後の夏は想定外の消化不良のままで終わった。(秋田県北部花輪地区から好投手多数輩出)。<平成15年夏 秋田経法大付登録選手> [投]木村雄太(3、花輪二)、[捕]今野福太郎(2、本荘南)、[一]○川北篤志(3、金浦)、[二]小笠原和也(3、十和田)、[三]斉藤祐太(3、羽後)、[遊]阿部隆雄(3、能代二)、[左]菅原慧(3、秋大付)、[中]高橋純(2、塩釜一)、[右]佐藤大(3、泉)、菅原圭介(3、羽城)、高橋洋大(3御野場)、田中雄也(3、二ツ井)、長谷川一斗(2、桜)、佐久間努(2、中山)、鈴木康太(2、多賀城)、餅祐介(1、多賀城二)、浅沼俊晃(3、大潟)、佐藤卓真(1、西仙北東)、工藤勝秋(1、能代二)、佐藤裕平(2、大曲)。

記憶に残る試合 / 木村優太投手 (ロッテ-東京ガス-経法大付) 高校最後の夏。

左 / 菅原圭介投手 (3、羽城)、右 / 木村雄太投手 (3、花輪二)
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山口北州印刷出版部/岩手学童野球選手名鑑2019/2月5日発売/定価1,660円。

https://twitter.com/info_ymhk
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画像は昨年度、一昨年度のものです

回顧 秋田県社会人野球大会 / TDK-秋田相互銀行(対戦月日不詳、八橋球場)。

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ベースボールマガジン社 / 週刊ベースボール 2020.1.27号 + 2020.2.03号。

2020(令和2年)第11回全日本少年春季軟式野球大会(56、3/21~、静岡県)。

<ルパン3世>さん https://twitter.com/rupan3_89
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「熱球通信」 高校野球 OB リレートーク / #47 / 高原宏 さん (秋田高-八郎潟)。

gfd国内外のプロ野球で好きな球団と選手名 .今は特定の球団、選手はいませんが、巨人の長島さんに憧れて野球を始めました。野球を始めた時の最初のポジションは .サード秋田高校への進学を決めた理由 .父親の勧め。秋田商業の今川監督さんが我が家に訪問され、誘っていただいた時は、商業に入ると決めましたが。今迄で一番長く感じたこと .後述する秋田大会決勝で、スクイズで塁からホームベースまでの時間今迄で一番緊張した時 .小学6年生の時、全県珠算大会の予選を通過した直後の決勝戦で心臓がドキドキ飛び出しそうで、そろばんの玉が上手く弾けなかった。やり残していることがあったら .大学野球をやれば良かった。好きな食べ物 .純米酒。お刺身、温野菜。嫌いな食べ物 .焼いたレバー、セロリ球技以外の趣味 .プログラミング、歴史。好きなタレント(芸能人)・ミュージシャン .吉田拓郎、河島英五信条、座右の銘 be a hard fighter and good loser 高校時代、野球部赤沼監督から言われ続けた言葉です。高校野球、夏の大会の思い出 .決勝戦0-1で、6回にヒットで出塁、1アウトで3塁の走者の場面。スクイズのサインでスタートが遅れてしまった。悪いことに打球が投手前。完全にアウトのタイミング。奇跡?が起きて、投手がファンブル。かろうじて同点のホームを踏んだこと。この試合負けていたら、敗戦の原因だと思うと今でもゾッとします。. 現在、野球との関わりは .特にありません。関東地区OB会の副会長をやってます。野球をしてきて今日役立っていること .練習(準備)の大切さを実感したこと。自分一人で進んでいるわけでは無い、周りに生かされていると思えること。最近での一番の出来事は .最近とは言えませんが、甲子園100年記念大会でマウンドに上がり、打席ではヒットを打ったこと。また、46年ぶりに八郎潟中学が全県優勝したこと。よく行くラーメン屋さんや推奨するお店があったら.今住んでいる近くの中華屋さんの「酸辣湯 (サンラータン)」。現在、高校野球で頑張っている後輩に一言 .人に指示された練習をこなすだけではなく、自分で熟考した納得のいく練習を行なってください。自分に悔いのないように、練習して試合を迎えてください。 be a hard fighter and good loser 」に対する自分の回答でした。今後の目標を .甲子園で母校を応援する(決勝)スマホアプリ作成機械学習でデータ分析

1970(昭和45年)八郎潟中 猛練習と高原・小野の2枚看板で掴んだ全県初優勝。

S45【2019.2.26】 南秋田郡八郎潟町は、小中併設校化 (20年度開設予定) に向けた八郎潟中学校舎改修に2億7319万円を計上。【2016.8.31】 平成28年第82回秋田県大会決勝 八郎潟 2-1 秋田北、八郎潟中46年ぶりの優勝。【2014.1.22】 昭和45年夏、八郎潟町立八郎潟中学校は、右上 / 高原宏と右横 / 小野巧の両主戦投手を擁して全県初制覇。県大会では、河辺に2-0、東能代に2-0、太田に6-0、決勝は大会前の優勝候補秋田西に3-2と準決勝以外は接戦だったが、地区予選はもっと苦戦した。地区予選決勝 (対天王) は、延長14回0-0の翌日再試合となり逆転で勝利するという薄氷を踏む予選突破だった。本格派高原投手 (右 / 右、昭和48年秋田高で甲子園出場) は、左足を高く上げトップでグラブと手が離れるフォームで、後年の高松直志投手 (左 / 左、能代) に先んずる特徴ある投球フォームだった。

西日本スポーツ / ソフトバンク 育成枠1位 石塚綜一郎選手(黒沢尻工-岩見三内)。

1ce22ed8<西日本スポーツ> 自宅近くの公園でのキャッチボールが、一人っ子の石塚にとって野球の原風景だ。幼稚園のころから練習相手は祖父有孝。母子家庭で昼夜問わず働きづめだった母順子の代わりに、有孝と4年ほど前に亡くなった祖母栄子に身の回りの世話をしてもらった。秋田市東部、山あいにある岩見三内小は1学年12人で男子は6人。岩見三内中に進むと全員が野球部に入った。決して強くないチームにあって石塚の能力は抜けていた。「いつかプロ野球選手になると言い続けた。言うのが恥ずかしくなる時期もあったけど、そこはぶれなかった」。1年の冬、強く引き留められながら一人中学の野球部を離れ、硬式チームの秋田南シニアに入団した。ここでも送り迎えをしてくれたのは有孝だった。中学生ながら11本もの本塁打をスタンドに放り込み、県外の強豪私立高からも誘いがかかる存在になった。投手、捕手、内野手とあらゆるポジションを任された。「憧れはずっと (巨人の) 坂本勇人選手。(青森の) 光星学院に行きたいとも思ったけど、母に苦労をかけたくなくて…」。球界を代表する遊撃手を生んだ高校も選択肢にあったが、選んだのは岩手の黒沢尻工業高。公立であり、ベストナインに2度輝いた細川亨 (ロッテ) を青森大時代に指導した石橋智が監督だったことも決め手になった。高校でも入学間もなく試合に出始めたが、チーム事情から本格的に捕手に打ち込めるようになったのは2年の秋から。練習中、石橋からは 「細川はできていたぞ!」 と現役プロのベテラン捕手と比較されながら技を磨いた。高校通算39本塁打。最後の夏は岩手大会の準決勝で敗れた。ベンチを去る際、ロッテに1位で入団した大船渡高の163キロ右腕、佐々木朗希とすれ違った。面識も対戦歴もなかったがドラフト後、野球部長の計らいで佐々木と対面する場が設けられた。岩手の沿岸部を車に揺られること1時間半。いざ佐々木を目の前にすると緊張で会話がたどたどしくなった。「自動車学校の (教習) 後も 『俺は走らないといけない』 と言っていた。意識の高さが分かった」。世代最強の存在に刺激を受けて飛び込むプロの世界。「活躍して稼いで、母と祖父を楽にしてあげたい」。夢の舞台が家族孝行の場となる。(鎌田真一郎)

大仙市誕生15周年映画鑑賞会 / 「野球部員、演劇の舞台に立つ!」 無料上映会。

大曲出身 鈴木一美さんプロデュース / 文部科学省特別選定作品
http://yakyubuin-vs-engekibuin.com/
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高校野球酒場 「球児園」 にて / 第97回全国高校野球出場秋田商 会田海都主将。

高校野球酒場 「球児園」  https://kyuujien.owst.jp/
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平成27年 第97回全国高校野球 秋田商 会田海都主将 (右右、180/75、雄勝)。

会田会都選手 2019年度桐蔭横浜大学野球部副主将
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昭和61年第68回全国高校野球大会秋田大会/秋田県立金足農業高校登録選手。

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 https://www.kensetumap.com/company/81442/  超高校級アンダースローの足利豊、故障から復活の左腕斎藤広樹、長身1年生右腕の佐川潔等バラエティに富んだ強力投手陣が印象的。<昭和61年夏金足農登録選手>  [投]足利豊(3、河辺)、[捕]柴山雄光(3、秋田南)、[一] 嶋崎智裕(3、五城目一)、[二] 後藤一家(3、八竜)、[三] 笹淵伸次(3、天王)、[遊] 嶋田充孝(3、右右、174/71、山本、俊足)、[左] 鈴木範貴(3、井川)、[中] ○ 斎藤広樹(3、雄和)、[右] 三浦修(2、五城目一)、山平喜仁(3、羽城)、高橋有(3、雄和)、遠藤一寿(3、象潟)、佐川潔(1、山王)、斎藤清彦(1、北浦)、小玉勇(1、五城目一)、富岡善昌(1、下浜)、大越久美(1、潟西)、[部] 豊島君男、[監] 嶋崎久美。

1999(平成11年)早稲田大鎌田祐哉投手1走者完封 35年ぶり完全試合逃がす。

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1977(昭和52年) 第43回秋田県少年野球大会出場 秋田北中 安田一彦外野手。

omi安田 一彦選手 (57、金足農-秋田北、元プロ野球小野和幸投手と同期) が1月15日10時45分にお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。葬儀1月19日正午、秋田市金足追分 虹のホール・レぜール追分。喪主・長男豪さん。<秋田北中登録選手>  [投]千葉聡、[捕]佐藤雅人、[一]渋谷久敏、[二]藤原順、[三]秋本和昭、[遊]小野和幸、[左]山内徹雄、[中]保坂徹、[右]安田一彦、鈴木孝一、船岡正人、、、。

2014(平成26年) 角館高校甲子園応援列車 「甲子園号」 583系N1+N2編成 。

往路/土砂降り 復路/大幅遅延  <>さん https://twitter.com/sisinji
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ヤフオク出品もあり / 1989(平成元年) 第61回センバツ大会 秋田-北陸 DVD。

222第61回センバツ大会出場後、プロ野球入り選手、山田喜久夫 (東邦-中日-広島)、元木大介(上宮-ハワイ1年間野球留学-巨人)、種田仁 (上宮-中日-横浜-西武)、大越基 (仙台育英-早稲田大中退-米マイナーリーグ-ダイエー)、吉岡雄二 (帝京-巨人-近鉄-楽天)、和田一浩 (県岐阜商-東北福祉大-神戸製鋼-西武-中日)、宮地克彦 (尽誠学園-西武-ダイエー・ソフトバンク)、谷佳知 (尽誠学園-大阪商大-三菱自動車岡崎-オリックス-巨人)、沖原佳典 (西条-亜細亜大-NTT東日本-阪神-楽天)、大西崇之 (鹿児島商工-亜細亜大中退-ヤオハンジャパン-中日-巨人)、犬伏稔昌(近大付-西武)、仁平馨 (宇都宮工-広島-中日)。・試合前の北陸高校の学紹介でバスケットボール部が能代工を破るシーンあり。試合開始午前8時00分、NHK解説 / 野村徹氏 (大昭和製紙-早稲田大-北野)、秋田高校チームゲスト / 猿田和三氏。<秋田高校先発> ①(右)成川一右 (3、大潟)、②(中)田口和幸 (2、秋田南)、③(左)小塚晃央 (2、秋田東)、④(捕)阿部茂樹 (2、大潟)、⑤(一)木谷臣吾 (2、山王)、⑥(遊)渡辺勇司 (3、下浜)、⑦(投)椎名博樹 (3、秋田南)、⑧(三)大庭義嗣 (3、秋田北)、⑨(二)京極勝夫 (3、大正寺)、[部長]須藤正直、[監督]小野巧。

秋田県内野球場紹介 / 南秋田郡五城目町 雀館運動公園多目的広場 (野球場)。

<丼。>さん https://twitter.com/kaerunoasi2019
小学校が建設されるとレフト側が70m規模 になるとの情報あり
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秋田県内野球場紹介/秋田県北秋田市森吉野球場 (旧 北秋田郡森吉町米内沢)。

ナイター用照明鉄塔6基・バックスクリーンスコアボード撤去
(北秋田市森吉総合スポーツセンター隣接)
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2020プロ野球ドラフト会議指名候補 / 東北公益文化大 赤上優人投手(右、角館)。

1997(平成9年)金足農業高校野球部創立65周年記念試合(6/14~、弁天・長沼)。

1474http://www.nakagawa-ex.jp/about/ 1997(平成9年)秋田県立金足農業高等高校野球部創立65周年記念試合(6/14~、招待校 / PL学園、弁天球場・長沼球場)。<PL学園登録選手> [投]日比悠介(3)、[捕]高墳幸司(3)、[一]浅田純宏(3)、[二]本橋伸一郎(2)、[三]浦崎希(3)、[遊]前田新悟(3)、[左]加藤大介(3)、[中]大西明宏(2)、[右]○南建三(3)、小林亮寛(3)、濱田大(2)、小坂樹(3)、坂口宗夫(3)、中村猛安(3)、三木資史(3)、足立昌吾(3)、稲田学(2)、藤嶋雅行(3)、伸辻正智(3)、馬野圭介(3)、安田伸吾(3)、[監]中村順司、[責代、コ]清水孝悦。<金足農登録選手> [投]工藤太一(3)、[捕]吉田朋広(2)、[一]泉田透(3)、[二]矢嶋賢吾(2)、[三]高野大(3)、[遊]○佐藤一徳(3)、[左]佐藤佑(2)、[中]小松宏行(1)、[右]金田一浩(2)、大友則明(3)、吉山悟哲(2)、藤原博成(3)、長谷川創(3)、千田伸(3)、高橋東建(1)、能登谷博文(3)、向井伸年(3)、山平和也(3)、江畑公一(3)、中川智(3)、佐川顕仁(1)、菅原義人(2)、中川大輔(1)、谷地隆史(2)、北嶋尚之(1)、[責]浅利吉晴、[副責]中田稔、[監]嶋崎久美、[コ]柏谷安彦。

秋田県出身 慶應義塾大学野球部OB選手 / 斎藤頼太郎捕手 (秋田-大曲-花館)。

b655621f八橋球場の思い出-小学校 (花館小)、中学校 (大曲中) 時代は八橋球場が全県大会の開催球場であり、八橋球場でプレーすることが夢であり、目標であった。幸い、中学時代は全県大会ベスト4に進出し、多くの思い出を作ることができ、今でも準決勝 (工藤幹夫投手率いる本荘南中)の試合は詳細にわたって思い出すことができる。高校 (秋田高) 時代は殆ど八橋球場で試合を行なったため、非常に多くの思い出があるが 捕手としては狭い球場を恨めしく思ったことが度々あった。だが、グランドは土の手入れが良くイレギュラーバウンドが他に比べて少なかったような気がする。何れにせよ自分の青春時代の晴舞台が  “八橋球場”  であり、思い出のページであった事は言うまででもない。<昭和53年春季秋田市内高校野球リーグ秋田高校登録選手 [投]能登谷静雄(2、土崎)、[捕]○ 齋藤頼太郎(3、大曲)、[一]伊藤敦(2、山王)、[三]高橋信一(3、秋田西)、[三]佐々木雅文(3、秋田東)、[遊]関寛(3、河辺)、[左]鈴木光一(2、秋田西)、[中]小玉正志(3、五城目一)、[右]齋藤正直(3、山王)、村越勇(3、下北手)、北嶋博憲(3、八郎潟)、田口良実(3、山王)、加藤一則(3、男鹿東)、佐藤良(3、外旭川)、猿田隆(2、秋大付)、佐々木雄一(秋田南)、藤原正人(2、大正寺)、石塚浩哉(3、城南)、鎌田雅人(3、羽城)、武石弘美(2、上小阿仁)、[部]藤田幸雄、[監]大久保正樹、[記]小西康光(刈和野)。
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